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第九章 (6/6)

 答えは意外なものだった。 「動物庭園に行った時だ。初めて訪れた者は大概まず臭いに反応する。肉食獣は特に臭いが、お前は気にする様子がなかった」  普段は他人に悟られないように気を付けているが、あの時は初めて見る動物に目を取られて、そんなことを考える余裕もなかった。 「あのあと調べたら、嗅覚を失くした者の中にフェロモンにも反応しなくなったという症例があって、お前が他のアルファに影響されなかった理由が分かった」 「じゃあ……あんたにだけ反応したのは……」  ずっと、自分は壊れているのだと思っていた。エルベルトに惹かれ続けながらも、彼の言う運命の繋がりではなく、単なる壊れた身体の偶然だと。不完全な自分には運命すらない、と。  しかし、そうではなかった。 「まだ疑っているのか」  呆れたようにエルベルトは苦笑いを浮かべ、ルカの顎に触れた。 「人間の皮膚というのは小さな口と一緒だ。あらゆる成分を身体の中に取り込んでいく。こうして触れている間も、私の一部をお前は吸収しているということだ」  全く意味が分からなかったが、顔を寄せられて暖かい吐息が唇に触れると、口付けられる時の甘さを思い出した。 「ぁ……」  目が合うと、エルベルトは「心当たりはあるようだな」と口角を上げ、説明を続けた。 「フェロモンは嗅覚を刺激するものであって、普段は肌の接触程度ではなんの反応も起きない。だがそれが運命で定められた番であったなら、些細な接触でも身体の髄まで感じるのは不思議ではないだろう。唾液が混ざれば尚のこと。お前が最初から口付けだけは拒めないでいた理由はその辺りにあるんじゃないのか」  あれはそういうことだったのか。  ルカは自然とエルベルトの唇に目をやった。常に引き締められて冷淡そうに見えるが、その柔らかい温もりも、肉厚な舌が施す濃厚な愛撫も、よく知っている。  触れ合う度に広がるあの甘さも。 「味が、するんだ……その……」  キスをした時に、と言おうとしが、その言葉が恥ずかしくて、熱くなる顔を背けた。 「味が?」  一瞬驚きの表情を浮かべたものの、察しのいい男はすぐに分かり切ったようににんまりと笑い、逃げる視線を追いかけた。 「何をした時にだ? 答えろ、ルカ」 「……だから、あんたがッ——」  エルベルトの意地の悪さに耐えかねて声を荒げた、その時。 「陛下!」  ソフィアが部屋に飛び込んできた。 「大変です! 動物庭園に火がッ!」  突然の割り込みにルカもエルベルトも驚いて振り向き、ソフィアの報告に凍り付いた。 「獣たちも逃げてしまって、大変なことに!」  それまで流れていた柔らかな空気が一変した。 「すぐに行く」  迷うことなく立ち上がるエルベルトの腕をルカは咄嗟に掴んだ。 「俺も行かせてくれ。何かの役に立つはずだ」  瞬間、頭に浮かんだのはランツのことだった。  違っていればいい。ただの事故であって欲しい。  ――だけど、もし……。  向けられるエルベルトの目に鋭さが増したが、決断は早かった。 「私のそばから離れるな。いいな?」 「それは……約束できない。でも、必ずあんたの元に戻る。それは約束する」 「……いいだろう」  そう言ってエルベルトはルカを縛っていた鎖を取りのぞいた。

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