動物庭園に続く美しく整えられた並木道を歩いたのはつい先日のこと。 　今、同じ場所にいるとは思えなかった。目の前に広がるのはまるで戦場のような光景だ。 　強風に煽られる炎が黒い煙を噴き上げる中、門番と見回りの兵士は必死に大勢の民を誘導し、火消しに走り回っていた。 　その足元には血溜まりに横たわるいくつもの動物の死骸。 「陛下！」 　恐怖に震えて咽び泣く民の中から、煤にまみれたマルクがマスケット銃を手に走り寄ってきた。険しい顔はルカの姿を見て更に凄む。 「なぜそいつがここにッ」 「説明はあとだ！　状況は？」 　マルクは言いたいことを呑み込むように一旦口を噤み、冷静に報告を始めた。 「民はほとんど避難させました。兵士の増援も間もなく到着します。けどまだ猛獣が――」 　その言葉を遮るように、けたたましい蹄の音を立てるガゼルの群れが門から飛び出てきた。一頭のトラが音もなくそれを追って姿を現すと集まった人々から悲鳴が沸き起こった。 「撃てッ！」 　躊躇なく放たれたエルベルトの命令に兵士が一斉に従う。 　ルカは轟く銃声に煽られて盲目に突進してくるガゼルを避けながら門に目を向けると、遠くに人影が見えた気がした。立ち籠る煙ではっきりは見えないが、誰かがいる。 　逃げ遅れた者かもしれない。 　だが本能的に違うと分かっていた。 　振り返るとエルベルトはトラを仕留め、兵士を集めて指示を出している。隣にはマルクがいる。 　一瞬の迷いの末、ルカは意を決し、庭園の中に駆け込んだ。 　もしあれがランツなら先に見つけて止めなければならない。 　これ以上、取り返しのつかないことが起きる前に。 「ランツ！　いるんだろう！　っ……どこだ！」 　息を吸うだけで喉が焼けそうだ。煙の匂いなんて少しもしないのに、咳がこみ上げて目に涙が溜まる。それでも降り注ぐ火の粉の中を進み、弟の名を呼び続けた。 　中央広場に辿り着くと、燃える木々から離れて呼吸が少し楽になった。 「ランツ！」 「ここだよ、兄さん」 　しゃがれた声を絞り出してもう一度呼ぶと、背後からなぜか水の音と共に答えが返ってきた。 　驚いて振り向くと、ランツが噴水の中から起き上がり、濡れた髪を掻き上げた。 「お前、何やって……」 　まるで遊んでいるかのようなあどけない笑みを浮かべてはいるが、ずぶ濡れの姿で噴水から出てきた弟が身に着けているのはフェルシュタインの軍服だ。腰には長剣もある。 「何って、熱いからさ。ほら、兄さんもこっちきて――」 　手招くその手で腕を掴まれたと思った瞬間、いきなり乱暴に引き寄せられ、後頭部を押さえられて水に沈められた。声を上げる間もなかった。 「ッ……！」 　唐突すぎて一気に水が口と鼻を侵す。全力で抗っても、アルファの弟に敵うわけがない。水を搔き乱し、懇願するようにランツの腕にしがみついた。息苦しくて意識が遠のきそうになる。 　このまま殺されるのかと思った時、ようやく解放された。 「――がッ、はッ……ッ」 　ルカは激しく咳き込み、水を吐きながらその場に崩れた。 　息を吸おうとして水に噎せ、また吐いては喘ぎ、咳き込んだ。 「大丈夫？　でもほら、濡れてると熱くないでしょ？」 　ランツが膝をつき、変わらず呑気な口調で話しかけてくる。ルカは少しずつ空気を取り入れつつ、瞬きを繰り返して弟を見上げた。 　見慣れた顔に、いつも愛おしいと思う優しい笑顔がある。 　だがその目は怖ろしいほど冷たかった。 　今まで向けられたことのない嫌悪と憎悪がルカを凍り付かせる。