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第十章 (2/7)

「元気そうだね、兄さん。心配したよ。殺されたんじゃないか、捕まって拷問されてるんじゃないか、って。でも杞憂だったね。怪我もしてないみたいだし、こんなにいい服まで着せてもらって」 「……ランツ――」 「街に潜入してた部下に聞いた時は驚いたよ。標的のはずのエルベルトと仲良く動物を見にきてたって? しかも番になるって堂々と発表して。まさかって思ったよ。兄さんに限ってそんなこと絶対にありえないって。でも、街でも見かけられてたし、フェルシュタインの王が番を選んだって、ローアンにまで届いたし。全部、本当だったんだね」  言葉の節々から嫌味と怒りがひしひしと伝わってくる。 「ランツ、悪かった、失敗したんだ。だけど――」 「言い訳なんて聞きたくないよ! 失敗して生きてる時点でもう裏切りだッ」 「ッ――」  喉の奥で声が詰まり、何も言えなくなる。  ずっと、こうなることを恐れていた。  悲痛に歪む弟のこんな顔を見たくなかった。 「そんなにいい生活が欲しかったの? 国王の番になって、贅沢し放題で、そりゃあ今の生活より百倍いいよねッ」 「違ッ――」  全てを犠牲にしようとしたのだ。 「今でも信じられないよッ! 兄さんが国を――僕を、裏切ったなんて!」  ――裏切ってない。  そう訴える資格を自分は持っているだろうか。  エルベルトを選んだあの瞬間。  あれは裏切りではなかったのか。こうなると分かっていて。  それでも――。 「話を聞け! ランツ!」 「聞いてどうすんの? あれは全部エルベルトを騙すための芝居で、今から二人で殺しに行こうとでも言うの? そう言ってくれるの!」  泣き出しそうな顔ですがりつかれ、自分がどれほど弟を傷付けてしまったか思い知らされる。  それでも、エルベルトを殺さなかったこと、信じたことは後悔していない。  あの男はこの国に、そしてローアンにとっても、必要な存在だ。  それをどうにか弟に伝えようと思って、ふと違和感を覚えた。 「部下はどうした?」  こんな大掛かりな仕掛けを一人でできるはずがない。そもそもこれはエルベルトをおびき出す策だとすれば、ランツがこんなところで油を売っているのはおかしい。自分をエルベルトから引き離すためか? だがエルベルトのそばには大勢の兵がいる。  ランツは脱力したように地面に座り、乾いた笑いをこぼした。 「僕より部下? もう部下なんかじゃないし。失態を犯した恥さらしの言うことを誰が聞く? 今頃、勝手にエルベルトの首を狙ってるよ。出世する絶好の機会だしね」  どういうことだ。ではランツはここで何をしている。  全て諦めているのか、それとも……。 「分かってるの? 兄さんのせいだよ。兄さんのせいで何もかも失ったんだ! 陛下の信用も、部下の信頼も、地位も立場も全部! こんなの、追放されたも同然だッ。こそこそと敵地に潜入して、ベータにまで命令されて……ッ!」  顔を歪めてまくし立てる弟を前に、ルカは言葉を失くした。  これは、誰なんだ。  ルカの知る弟は地位や属性階級などに一度も執着を見せたことがなかった。いつだって国や民の生活をよくしたいと、ただそれだけが望みだったはずだ。こんなふうに喚き散らし、冷静さを欠いたことなど一度もない。 「僕には兄さんしかいなかったのに。兄さんさえいてくれれば、なんだってできたのに」  いつだって弟が向けてくれたのは信頼と期待の眼差しだった。  それを裏切ったのは――。 「アルファ殺しのその腕さえあれば、倒せない敵なんていなかったんだ! 陛下の右腕にだってなれたんだ! それが、こんなッ……」  頭を抱える弟に伸ばしかけた手が止まる。

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