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第十章 (4/7)

 視界が歪み、ナイフを引き抜こうとしても、身体がうまく動かない。 「ルカ?」 「触るなッ」  伸ばされる手から身をよじって離れ、ようやくナイフの柄を掴んで引き抜いた。その痛みと回り始めた毒の作用で、地面が急に傾いたかのように身体が揺れて、くずおれていく。 「ルカ! まさか……ッ」 「大した、こと……ない」  握り締めた拳を押さえながら言葉を絞り出すと、エルベルトは丸めた肩を掴んで恐ろしいほどの剣幕で叫んだ。 「何が大したことないだ! 解毒薬は!」  ランツに向かって怒鳴る。 「……そんなもん、敵地に持ち込むわけないだろう」  消え入りそうな声でランツが答えるとエルベルトは舌打ちをし、すぐさま手を掴んできた。  毒抜きをするつもりだと気付いて、ルカは慌ててそれを止める。 「耐性が、あるからッ。大丈夫だ、すぐ治まる」  咄嗟に出た嘘だった。  ローアンの軍は特殊な毒を配合して使う。軍人に耐性をつけさせ、解毒薬を内部で厳重に管理する。父はそれを手に入れることはできたが、オメガであるルカの身体がどこまで耐えられるか分からず、せっかく手に入れた可能性を失うのを恐れて試さなかった。  ランツもそのことは知らないはずだ。  身体の感覚が急速に鈍くなっていく中、ルカはまだ何か言いたげなエルベルトに首を振り、弟の姿を探した。  こんな状況だというのに、瞬間見えた先ほどの表情が一縷の望みをルカに与えていた。  ランツはルカを殺したいわけではなかったのだ。  ただどうしようもなく傷付き、怒りに任せて悪い方向に考えを走らせてしまったのだろう。  昔から頑固で思い込みが激しい奴だったと内心で苦笑する。  今なら冷静に向き合えるかもしれない。  そう思って固まったままの弟に声を掛けた。 「ランツ、ごめん。お前を傷付けて、ごめん……。許して、くれとは言わない。だけど、これだけは信じてくれ。俺は、お前が幸せになれるなら、なんだってしてやりたかった」 「……嘘だよ……だって兄さんは……そいつを選んだ」  悔しそうな顔でランツが俯く。 「なぁ、ランツ……。思い出せ。お前は、なんのために父さんの跡を継いだんだ。名誉のためでも、地位のためでもないだろう。国を、よくしたいからだろう」 「そうだよッ。だからそいつを殺してこの国を――」 「違う。そんなやり方じゃお前の望む結果にはならないッ」 「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」  自分もそうだった。他に道などないと思っていた。  だがエルベルトを知り、彼の考えを知り、気付かされたことがたくさんある。  暴力以外の戦い方があること。  支配以外の強さがあること。  そして、勝ち負け以上の勝利があること。 「エルベルト」  初めて面と向かってその名を呼ぶ。 「助けて、くれるか」  寝室では言えなかった言葉が、今は自然と出てくる。その重みを知り、可能性を信じ、差し出された手を今度こそ掴む。  エルベルトは迷うことなく頷いた。 「当然だ」  それからランツを一瞥し、言い放った。 「ローアンの国王に取り次げ。フェルシュタイン国王が交渉を申し出ているとな」 「なんで僕がそんなことッ」 「戦争に、勝ったところで、誰も救われないからだ」  エルベルトに命令されてランツは毛を逆立てたが、ルカが割り込むと苦い顔で口を噤んだ。 「お前が本当に、ローアンの民を思うなら、エルベルトと手を組め。お前が武官として生き残れる道も、それしかない」  しかしランツは視線を逸らして首を振った。 「もう遅いよ、何もかも。軍はもう動き出した」

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