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第3話:さよならまでのcount down 8

「んー……、その日、俺、都希と約束してたし」  あれから、柚葉が浮気をしてる現場に遭遇する事もなくなり、そういった事を匂わせる事もなくなっていた。柚葉は本当に反省して、止めたのかもしれない。それなら、また俺は柚葉を信じてもいいのだろうか。  初夏に近付く季節、いつもの様に俺達は大学のカフェテラスで、講義の空き時間を過ごしていた。 「そ、そっかー」 「ご、ごめんね」 「いや、いいよ、先に約束してたんだし」  柚葉に今週の日曜日に、出掛けようと誘われたんだけど、その前に都希と買い物に行く予定を入れてしまっていた。それを伝えると、柚葉は眉を下げて、落ち込んだ表情を見せる。俺も一緒に出掛けたかったけど、もうちょっと早く言って欲しかった。だって、今日は木曜日。3日前とかって、急過ぎる。 「ん? なんの話?」 「あ、都希くん」 「いつの約束?」  講義が終わり戻ってきた都希は、途中から話を聞いていたのか、俺達に問い掛けながら、同じテーブルの空いている椅子へと座る。 「ほら、買い物行きながら映画見ようって言ってたじゃん」 「ああー、今週の日曜日? 柚葉くん、バイトだったんじゃないっけ?」  そう、柚葉はバイトの日だったから、都希と出掛ける事にしていたんだ……、日曜日。 「バイトなくなったからさー、でも急に言った俺が悪いし」  俺は柚葉へと目線を向けていると、柚葉は俺の頭を撫で付けながら、笑みを向けて言ってきていた。それは、気にするなと伝えてきているようだった。 -1- 「え? 折角、予定空いたんだから、向葵とデートしなよー」 「で、でも、都希と約束してたし」 「そうそう、約束は大事ですよ」  手元にあるアイスコーヒーのストローを持ち、それをかき混ぜると氷がグラスに当たって、涼しげな音を奏でていた。そんな音とは裏腹に、自分の心は穏やかではいられなかった。 「向葵……、柚葉くん優先してあげなよ」 「で、でも」  正直、柚葉と出掛けたい気持ちは、いっぱいある。柚葉の事は大好きだけど、同じくらい違う意味で都希の事も大好きで……、それだったら、やっぱり、約束が先の方を優先すべきではないかと、俺は思ってしまう。 「俺はいつでもいいんだし」 「んんんーー」  こうやって、俺達の事を気にして、都希が言うのも、本当は嬉しいけど、嬉しくない。俺達の事で、遠慮をしてほしくないから……。 「都希くん、ありがとうねー、でもいいんだよ、それが向葵だから」  ストローを持つ俺の手へと、柚葉は自身の手を重ねながら、そう言葉を漏らす。 「……まったく、俺その日、用事出来たからその約束なし」  そんな俺達の様子を見ていた都希は、溜め息混じりにそう言葉を吐き捨てた。 「ええええ!!??」 「なんか文句あんの?」  俺は驚いて思わず声を上げてしまうと、都希に睨まれてしまった。都希に遠慮させてしまう自分が、凄く嫌……。 「な、ないけど……」  それでも、都希のわざと醸し出している不機嫌な雰囲気に、俺は言葉を返せずに詰まらせてしまう。どうしようか悩んでしまい、俺は再びアイスコーヒーのストローへと手を伸ばし、何も言えずにそれをただかき混ぜていた。 「……なんか埓あかないから、三人で出掛けるか」 「え?」 「はい?」  沈黙する中、妥協策とばかりに言い告げた、柚葉の言葉に驚いたのは、俺だけじゃなくて、俺と都希は顔を見合わせてしまっていた。 -2- 「なんか、ごめんね、都希」 「いや、俺こそ邪魔してるみたいでごめん」  結局、俺達は、柚葉が言うように三人で街中のアーケードへと出向いていた。駅で待ち合わせをして、その足でアーケードへと向かう。俺と都希は買い物をする約束をしていたから、それに合わせた形になっていた。 「そ、そんなことないよ」 「そうそう、俺が割り込んだんだから、都希くんは気にしないで」  俺と都希が歩いているその数歩後ろを、柚葉はついて来ている。俺達の会話が聞こえるくらいの距離感でいて、もちろん、柚葉の声もこちらへと届く。 「まったくもー……、向葵も今度は柚葉くんを優先してあげるんだぞ」 「ん……、ありがとう」  目的の買い物を一通り終えた俺達は、アーケード内にあるカフェショップへと向かった。カフェショップの中を歩きながら、その場所を見渡して空席を探す。時刻は昼間近になっていて、日曜日ということもあり、人で混雑していた。 「それが向葵だから、いいんだよ、俺飲み物買ってくるな?」  お店のテラスでようやく見付けた四人掛けの席へと座ると、柚葉は荷物を椅子に置いて早々とその場を後にした。 「ありがとー、ごめんねー」  都希が柚葉に声を掛けると、柚葉は振り向かずに手を挙げて答えていた。 「……ん」  その後ろ姿を目線で追い掛け、俺は、レジ前の人混みへと紛れていく柚葉の姿をそのまま見ていた。 「不満そー」  都希の声が耳に届いて、俺は目線を変えると、鞄からスマホを取り出してそれを弄りながら言い告げていた。 「そんなことないけど」 「あんまり柚葉くんを不安にさせないんだよ」 「…………?」  都希の言ってる意味が判らなく、俺は首を傾げてしまっていた。 「……、あ、俺トイレ行ってくる」  しばらく、都希は俺へ目線を向けていたかと思うと、手にしていたスマホをテーブルへと置いて立ち上がり、トイレへと向かって行った。 「あ、うん」  テラスは屋根があり、初夏の陽射しを遮ってくれている。アーケードを歩く人々に目線を流し、俺は深く溜め息を吐いてしまっていた。 -3-  二人とも席を外して、俺は一人テーブルへと頬を付けて俯せる。横画面に映るアーケードの風景。ざわつく雑音が耳に届いて、俺はソッと瞼を閉じた。  他の客が笑い合う声、足早に歩く足音、客寄せの店員の声、それが混ざりあった音が耳に届く。外にあるこの席は、初夏の風が静かに頬を掠めた。 「……!?」  その時、テーブルを伝い、振動がそこに付けていた自身の頬へと伝わってきた。それに驚き俺は、顔を上げて、身体を起こしていた。振動の原因は、テーブルの上に置き去りにされた都希のスマホ。何かを受信したらしい。俺は、そのスマホへと目線を落とす。 「……!」  再び、都希のスマホが何かを受信して、振動を始めていた。それへと目線を向けていると、振動するスマホが徐々にテーブルの端へと移動する。移動したかと思ったら、そのままテーブルから落ちそうになって、俺は咄嗟にそれを受け止めた。 「……あぶな……、ん?」  受け止めた時に俺はスマホの画面を触ってしまったらしい……、その画面には目を疑う画像が写し出されていた。 「え? どういうこと?」  それは、俺の恋人である柚葉と、俺の親友である都希が唇を重ねて笑い合っている画像。  待って……、どういうこと。なんで……。柚葉は、都希とも浮気をしていたってこと? 「向葵お待たせ……、あ」 「……これ、なに?」  今まで聞こえていた、周りの雑音が一気に聞こえなくなった。雑音は今でもしているはずなのに、俺の耳には一切聞こえなかった。ただ俺は、丁度トイレを済ませて戻ってきた都希に、問い掛ける事しか出来なかった。 「あ、やっと気付いたの?」  都希は、俺の手元に自身のスマホが存在しているのを見て、今まで俺に向けていた表情を変えていた。こんな表情をする都希を、俺は知らなかった、見たこともなかった。口は笑っているのに、目は鋭く俺を突き刺すようで、全然笑っていない。 「え?」 「向葵ってば、全然気付かないし、面白かった」 「ひ……、酷い、親友だと思ってたのに……」  都希とは、中学生からの仲で、高校も同じで、俺の中では唯一の友人と言える相手だった。悩み事や、嬉しかった事、都希にしか言えなかった。 「俺は、親友だなんて、思ったこと一度もないよ。いつでも向葵の引き立て役だしさ、ほんと、一緒に居るの嫌だったよ」  そんな存在の都希から発せられた言葉は、自分の胸を突き刺すには充分過ぎるものだった。 -4-  どうしても信じられない、でも俺の手元にある都希のスマホには、信じられない画像が写し出されている。俺はそれを、ただ見てるしか出来なかった。 「……はあ」  都希のスマホに目線を落としていると、都希から発せられた溜め息が耳に届く。その溜め息に俺は目線を都希へと向けると、都希は俺の手元から自身のスマホを奪い取った。  そのまま都希は、椅子に置いてあった自身の鞄にスマホを仕舞い、そのまま鞄を持つ。帰り支度をしているのに気付き、俺は咄嗟に都希の腕を掴んでいた。 「なに?」  その掴んだ手へ都希は目線を向けてから、俺へと目線を移す。鋭く突き刺さる都希の目線に、俺は手を離した。あの優しかった都希が、今はその面影もない。それが俺には信じる事が出来ない、何かの間違いだって言って欲しかったのかもしれない。 「……なんで?」 「柚葉くんに浮気されてるの聞いて、もっと不幸になればいいって思ってた」 「……!」  それでも続けられる都希の言葉に、俺は思わず都希の頬を手のひらで打ってしまっていた。 -5- 「っ!?」  思わず打ってしまって、都希の頬には赤く痕が残っている。それが申し訳なくなって、その頬を撫でようと手を伸ばすと、都希にその手は払われてしまう。 「偽善者でいい子ぶってて、そういうトコ、大嫌いだったんだ、いい様だよね」  都希は俺を睨んだまま、自身の頬を撫でながら、そう俺に言葉を冷たく投げ付けた。 「柚葉の事、好き……なの?」 「んーん、別に。でも、好きだって言ったら、また、向葵は身を引くんでしょ??」  都希も柚葉が好きだったのか……、そんな疑問が頭を過る。でも都希は、俺の問い掛けに否定の意を表す。 「え?」  俺の問い掛けに対して、問い返された質問に、俺は予想してなくて、目を見開いてしまっていた。 「高校の時のこと覚えてる?」 「……」 「俺が好きだった人が、向葵を好きでさ」  確かに、高校の時、都希に好きな人がいると相談を受けた。それは高校の一つ上の先輩で、同じ図書委員の先輩だった。都希は図書委員じゃなかったから、俺の方が話す機会が多くて、どうにか二人の話す機会を作ろうと行動した事があった。 「……」  でも、先輩の卒業式で告白を受けたのは俺だった。あの時、都希は仕方ない、って言って笑ってたのを覚えてる。泣きたいのを我慢して、俺が気にしないように笑ってくれてたのを覚えている。  そのあと、こっそり教室で泣いていた都希を見た。 -6- 「向葵、先輩に俺の事勧めただろ? しかも、告白受けてる時に」 「そ、それは……、都希が好きなの知ってたから」  正確には、先輩が告白してくる前に、好きだと言われる前に、都希が呼んでると伝えた。それが卒業式に、先輩に会う目的だったから。都希は優しくて良い子で、都希の元に行って下さいと言った。 「あれね、先輩にはかなり酷なことしてんのに、なんで気付かないの?」 「……え」 「それのせいで、俺、先輩にすっげー嫌われたんだけど……、向葵知らないだろうけど」  あのあと、都希が教室で泣いていたのは、俺のせいだった……?  先輩は都希の元に確かに行ったけど、そんな事になってるなんて知らなかった。 「……そんな」 「向葵だって、好きだったくせに……、俺さえ居なければ向葵と付き合えるのにって言われたよ」 「……ご、ごめん、そんなつもりじゃ……」  自分の気持ちは隠していたつもりだった、先輩と話すのは楽しくて、好きになってたけど、都希の想いには勝てる気がしなかったから。話すようになったのも、都希が好きだって相談してきたからだったし。都希の方が、あの時の俺は先輩よりも大事だったから。 「いいよ、仕返しに柚葉くんと関係もったし、向葵が一番大切にしてるもの、奪ってやろうとしただけだから」  俺がしてきた行いが、都希を傷付けていたなんて……、思いもしていなかった。大好きで一番の親友で、一番気心が知れてて、なんでも相談出来る、信じていた存在を、俺は知らずの内に傷付けて、その想いを踏みにじっていたんだ。 -7- 「……え? なに? どうしたんだ?」  そこに、飲み物を三つトレイに乗せて、戻ってきた柚葉は、不思議そうに俺達の顔を見比べていた。 「柚葉くん、ごめんな? 向葵に全部バレたから」  都希が柚葉にそう言葉を投げ掛けると、柚葉の顔色は蒼白へと変わる。その表情を見れば、この出来事が勘違いとか、嘘だとか、そんなものではないと思い知る事が出来る。 「……え」  都希はそのまま、鞄を持って、その場をゆっくりと歩き出した。その動きはゆっくりで、たぶん、俺の思考が付いて行かなくて、情景がゆっくりと動いているようにしか見えなかったのかもしれない。  こんな時なのに、涙は出なかった。涙は出ないけど、身体は震えて止まらなかった。足に力が入らなくて、俺はその場の地面へと座り込んでしまった。 「……あ、向葵?」  柚葉の顔が見れない、俺は地面に目線を向け俯いていた。柚葉は俺の肩に手を置いて、呼び掛けてくる。肩に置かれた手の温もりが伝わってきたけど、いつも安堵を覚えていたその手の温もりからは、今は嫌悪感しか味わう事が出来なかった。 「なんで……、よりにもよって、都希なの」 「…………」  身体の震えと柚葉の手から伝わる嫌悪感から逃れたく、俺は柚葉の手を払っていた。 -8- 「友達なの知ってるのに……」  これは、柚葉の悪い癖。いつもの浮気……。でも、いつもとは違う。浮気の相手が、都希だから……。大好きで信じたいと思っていた柚葉と、ずっと信頼していた都希が、浮気をしていた事実。都希は俺を憎んでいて、嫌われていた事実。 「相談聞いてもらって」  いつもの言い訳も、俺の耳には届かない。今までは、柚葉の言い訳も、そのあとの守られる事のない約束も、信じていた気持ちで聞いていた。  愛してるのは向葵だけだから、もう2度としないから。 「もう、言い訳なんて聞きたくない」  もう、そんな言葉を聞く、余裕なんてない。 「あ、向葵!?」  俺は、震える身体をなんとか立ち上がらせて、椅子に置いていた鞄を持つ。その様子を見ていた柚葉からは、慌てた声が発せられていた。 「柚葉の顔も見たくない、付いてこないで」  付いてこようとしている気配を感じ、俺は柚葉にそう告げた。俺の言葉が耳に届いたのか、柚葉はその場で微動だにしなかった。その姿を視界の端に映ったが、やっぱり、どうしても柚葉の顔を見ることは出来なかった。 -9- 「…………っ」  今まで涙が出てこなかったけど、席から離れると、涙は自然と流れてきた。涙が溢れてくると、身体が再び震え始めた。震えて足が動かなくなり、俺は席から少し離れた場所で足を止めてしまっていた。 「…………」  動けなくなり、その場で足を止め、溢れる涙が他の客に見られないように、俺は両手で顔を抑えていた。手には溢れる涙が伝ってきて、指の隙間から地面へと滴り落ちる。 「…………もう、やだ」  もう、何も考えたくない。何も、思いたくない。何も、感じたくない。何も、知りたくない。何も、判りたくない。何も、聞きたくない。  その場で立ち尽くしていると、擦れ違う他の客と肩がぶつかる。ぶつかった拍子に、身体が揺れるが、動かなくなった俺の足では、身体を支える事が出来なかった。 「…………居なくなりたい」  耐えられない。ここに居たくない。逃げたい。逃げ出したい。何もない所に行きたい。誰も知らない所に行きたい。 「あ、…………向葵!」  こんなに辛いなら……、もう柚葉を好きで居たくない。嫌いになりたい……、楽になりたい…………。  柚葉の声が聞こえたけど、それはどこか遠くから聞こえてきていた。遠くに柚葉の存在を感じていた。  もうさよならって言いたい。 -10-

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