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第4話:さよならまでのcount down 7
初めて浮気されたのっていつだっけ。たぶん、付き合い始めて一年経った頃だったかも。俺は朦朧とする記憶の中、何故かそんな事を思い出していた。
「……どういうこと?」
「ごめん……」
「ごめんじゃなくて、今なんて言ったの?」
柚葉の部屋に泊まりに行く約束をして、大学の講義が終わったあと、そのまま部屋へと向かった。しばらく、二人で何気なしにテレビを見ていたけど、ソファに隣に座り突如柚葉は言い出したんだ。俺、浮気したんだって。
「……先週の土曜日に、同じ学部の飲み会あって」
「うん、行くって言ってたよね」
突然の事で頭が付いていかないけど、自分の態度は何処か冷静だった。頭が付いていかないから、冷静でいられたのかもしれない。
「なんか……、雰囲気で」
「柚葉は雰囲気で浮気するの?」
「ちがっ!? ちょっと酔っ払ってて」
「酔ってたら、浮気してもいいの?」
俺が柚葉にそう言葉を吐き捨てると、柚葉の眉は垂れ下がる。冷静に柚葉を見ていた。見ていたけど、柚葉を見ているというより、遠くの景色を見ている様な、そんな感覚だった。
「ごめん」
俺はそのまま、今まで見ていたテレビへと目線を変える。小さく言い告げられた柚葉の言葉は、俺の耳には、テレビの音と混じり合いながら届いていて、そのテレビから出ている音声のように聞こえてきていた。
「……もういい、別れよう?」
俺はテレビに向けている目線を変えずに、ゆっくりとでもはっきりと言い告げる事が出来ていた。
「え!? そ、それはやだ!」
「俺もやだよ、浮気なんて……、柚葉が俺以外の人触ったとかって」
俺の言葉に驚いたのか、柚葉は俺の両肩を掴み、テレビに向けている俺の視界に入ってくる。ソファに座ってる俺の目の前に膝を立てて立ち、俺と目線を合わせる。
「ごめん! 本当にごめん! 2度としないから!」
「…………」
今度は柚葉を景色としての感覚じゃなくて、ちゃんと柚葉として見ていて、目尻から涙が静かに流れ落ちた。
「……出来心で……」
「……やだ」
「ごめん、隠してるのも良くないって思って……、ちゃんと話して謝ろうって思って」
「……ん」
柚葉はそう言うと、頬を伝う俺の涙を指で拭い、そのまま抱き締めてきた。
「2度としないし……、俺、好きなの向葵だけだから」
抱き締められると、柚葉の鼓動が聞こえて、伝わってくる体温から、逃れることなんて出来なかった。
「約束……、出来る?」
「うん、うん。約束する!」
柚葉の言葉を信じて、俺は簡単に許してしまった。
「判った……、次はないからね」
「う、うん、絶対2度としない」
あの時、もっと柚葉を責める事が出来たら、また同じ過ちを柚葉が繰り返す事はなかったのかもしれない。親友だと思っていた都希と、行為に及ばなかったのかもしれない。
でも、責めたり取り乱したりして、柚葉に嫌われたくないって臆病になって、浮気した相手とか、他の人に取られたくないって思ってしまった。止めてくれるの期待して、別れようなんて言ったんだ。
-1-
「向葵!? 向葵!」
「んん……」
なんだ……、これ。なんでこいつの声で起こされなきゃなんないんだ。ましてや、気を失なってる間に、お前はなんつうの見させてんだよ……。俺に押し付けんな。
「……よ、良かった……、だ、大丈夫……か?」
目を開けると目の前には、あいつの顔が間近にあった。俺が倒れたから、こいつびびって駆け寄ってきたのか……。あいつによって抱き留められてて、俺は思わず悪寒を感じる。
「……ちかっ!? お前、近い、離れろ」
「えええ」
「くっそ……、頭いてー」
こいつの腕を払い除けて、俺は立ち上がると、倒れた時に軽くぶつけてしまったのであろう、頭がずきずきと痛んでいた。その頭を片手で押さえているのを、呆気とした表情を浮かべて見てきている、こいつ。
「さ、さっき、倒れた時に頭打ったからじゃない……かな?」
「もうちょっと、上手く倒れろよな……、たんこぶ出来てんじゃん」
「…………」
辺りを見渡して、俺は空席を探す。けれど昼時の今では空いてる席を見つける事が出来なく、俺はさっきまで座っていた席へと戻る。ぶつけてしまった頭が痛くなければ、さっさとこの場を離れたい。
「あ、お前もう用ないから消えろ」
席に置いてあるこいつの荷物を持ち、傍まで付いてきているこいつにそれを押し付ける形で、差し出しながら俺は言い告げていた。
「え、ちょっと待って、向葵……」
-2-
「顔見たくないから、どっか消えろって」
「頭打ったから……、おかしくなった?」
荷物を受け取るもその場を離れようとはせずに、俺へと話し掛けてくる。頭はズキズキ痛むし、こいつの顔を見てると苛々はするし、話してるのも億劫だから、さっさとどっか行って欲しいのに……。
「はぁ?」
「なんか……、向葵じゃないみたい……」
「あぁー、俺は向葵であって向葵じゃないからな……」
俺が言い告げれば、こいつは目を見開いて、如何にも驚いている表情を浮かべている。俺は流し目でそれを確認し、気だるさから溜め息が漏れてしまう。
「ど、どういうこと」
お前に理解なんて、出来ないだろう。今まで何をされても我慢して、許してきた向葵はもう、限界がきて逃げ出したんだから。俺の中に隠れてしまったんだから、もう何も聞きたくないって。
「説明、めんどくせーー、腹減ったからなんか奢れ」
「あ、はい。今買ってきます」
俺がそう言うと、こいつは慌てた様子で店内のレジカウンターへと向かって行った。
面倒なの押し付けやがって……、お前はもう寝てろ、向葵。もう、傷付かなくていい。お前が嫌いになれないって言うなら、俺がとことん嫌いになってやる。
-3-
「んーーーー! うまかったー!」
店のテラス席に座ったまま、こいつが買ってきたホットサンドのランチセットを完食し、腹も満たされたから、ちょっと気分は良くなった。顔を見て苛々するのは、まあ、少しは抑えられただろう。
「で……、説明は?」
「面倒」
今の状況を理解したいのか、こいつは俺が食べ終わるのをずっと黙って見ていたが、食べ終われば即座に問い掛けてくる。
「打ち所悪かったのか……、病院、行った方がいいんじゃ?」
俺が座る席のテーブルを挟み、向かいに座っているこいつは、そんなとこに座ってるから、嫌でも俺の視界に入ってくる。真面目な顔付きでそんな事を言うもんだから、俺は自然に顔がひきつってしまった。
「…………ちっ、今までの向葵とは全くの別人って言えば判るか?」
「ま、全然、性格が変わったように見えるしな」
「はぁ。あいつはね、逃げたいって、何ももう考えたくないって」
俺が向葵の真意を伝えてると、こいつは目を見開いて驚きの表情を見せる。
「…………」
「向葵はもうお前を嫌いになりたいって、その感情を俺に残して逃げたんだよ。向葵の想いが、二つに割れて出来た別人格が俺」
「…………」
好きでいたいと気持ち、嫌いになりたい気持ち。信じたい想いと楽になりたい想い。その二つが、向葵の中で別々に引き裂かれた。二つの人格。
-4-
「だから、俺はお前が大嫌いなんだよね、顔も見たくないからさっさと消えろ」
「…………」
急にそんなこと言われても、理解なんて到底出来ない。普通はそうだ。俺が言い切ると、こいつは目を見開いたまま、何も言わずに俺の顔に目線を送っている。こいつが今、何を感じて何を想ってるかなんてどうでもいい。
「なー? 聞こえてたー?」
「判った……、ごめん」
呆然としているこいつの顔の前で、俺は手のひらを左右に振り、視界を遮ると、我に返ったように目を瞬いた。二、三度首を縦に振り肯定の素振りを見せると、小さく言葉を告げて、奴は椅子から立ち上がった。
やっと、訪れた解放感に俺は、心のモヤが取れた気がした。でも胸の奥に眠る、向葵から伝わってくる焦燥感に、胸が締め付けられる。
本当……、苛立つ。
「ねー、ねー? 君一人?」
「なに? ナンパ? 俺、男だけどいいの?」
あいつの姿が見えなくなり、しばらくその席に居たままになっていると、見知らぬ男に声を掛けられた。向葵の容姿は、俺が一番判っている。容姿端麗、華奢な身体付きも、色素の薄い髪も肌も、睫毛が長く、くっきり二重の大きめの瞳も、父親似よりと母親似のこの容姿は、昔から異性も同性も惹き付ける。
「え? 男!? 見えなっ……、まあ、でもめちゃめちゃタイプだからいいか、ナンパナンパ」
向葵の場合は、こんなのを相手にする事はなかったが、俺は……、どうでもいい。
「いいのかよ……、奢ってくれるならいいけど」
相手は一瞬、俺が男だと判ると驚いた表情を浮かべるも、観察するように俺に視線を注ぐと、目元を緩めてそう言い告げてきた。向葵みたいに一人に愛情を注いで、自分を壊してしまうくらいなら、こんな適当な奴の方が俺には丁度いい。
手を差し出しながら、相手は席を立つように促してくる。俺は差し出された手を取り、席を立ち上がり、今まで居た店を後にした。店の外のアーケードに出ると、もう、帰ったとばかり思っていたあいつ、高屋 柚葉が居た。
「……おい」
俺と一緒にいる相手の顔を見比べると、こいつは鋭い目線で俺を突き刺してくる。相手と手を繋がれていた俺達のそれを、こいつに無理矢理に剥がされた。
「なに? なんで戻ってきてんの」
剥がした俺の手を、今度は強く力を込められ、握って離さない。おい……、何、手握ってんだよ、おまえ。
「……ちっ、連れ居るんじゃん」
-5-
「あーあ、行っちゃったじゃん、夜飯にありつけると思ったのに」
手を握り離さない、こいつの顔を見ては、ナンパしてきた相手は諦めて居なくなってしまった。
そう、真剣なものを求めている訳じゃない、適当な相手が欲しかっただけ。それの利害が一致したからの関係だから、こいつみたいなのが居たんじゃ、面倒になるから直ぐに諦める。
「辞めろよ、そういうの」
「は?」
手を握ったまま離さないでいる、こいつは、不機嫌な声音で低く言い告げてくる。
「…………」
「え? は? おまっ!?」
一言、言葉を発したかと思ったら、繋いだ手を離さずに、アーケードを歩き出した。手が離されてないから、俺は引き摺られる形でそれについて行かなきゃいけない羽目に。
「離せ! お前! ふざけんな!?」
何度抗議の言葉を吐き捨てても、こいつは俺の方を見ようとはしない。手を繋いだままで、足早に進んで行く。
「おい! 離せって!」
俺が騒いでるから、街で擦れ違っていく人々に注目されてしまっているが、いくら言葉を吐き捨ててもこいつは動じようともしない。さっき、俺が拒絶した時のが、嘘みたいだ。
アーケードの小さな路地へと連れて来られると、ビルとビルの隙間へ身体を押し込まれた。
「別人格だってなんだって、向葵は向葵なんだろ……」
「いっ! 離せ、バカ!」
そこは、人混みもなく、ビルとビルの間のわずかなスペース。陽射しも入らなく日中なのに、薄暗さを感じる。そこに、俺をビルの壁に投げ付けるように押し付けたかと思ったら、こいつは俺の顔の両脇に腕を勢いよく付けてきた。
「…………」
「な、なんだよ……」
暫く、その状態で俯くこいつの後頭部を見ていると、急に顔を上げるから、間近で目線が絡み合ってしまう。壁に付いていた手のひらが、折り曲げられ肘へと変わると、顔の距離は更に近くなる。悪態の言葉を述べようとしたその時、互いの唇が重なった。
「んんっ!」
-6-
ちょっと、待って、なんで俺、こいつにキスされてんだよ。
付いていかない頭の中の思考とは別に、こいつとの唇は深く重なっていく。唇に湿った感触を感じて、こいつの舌だと理解し、俺はこいつの唇に歯を立てて噛み付いた。
「っ!?」
噛み付くと、咄嗟の出来事にこいつは唇を離したから、その隙にこいつの肩を勢いよく押す。押すと身体は簡単によろけて、俺の背にある壁とは反対側の壁へと背をぶつけていた。
そのまま、俺はこの場を離れようと足を進めると、腕を捕まれてしまい、前に進むことが出来ない。背だってこいつの方が大きいし、俺の身体が細いから、力では敵わない。
「ふ、ふざけんな!」
「ふざけてなんかない」
その手を振り払おうとも、こいつも離そうとしてくれず、腕を力強く掴まれている。掴んだままで、何かをしてこようとはしていないが、また俯いて地面へと目線を向けたままでいる。
「俺はお前が嫌いな方の向葵! 判るか!」
「そんなの、判らない」
「嫌い、大嫌い」
「……俺、向葵と別れてないし」
さっきの、茫然自失の表情どこいった……、なに、この開き直った感。急に掴まれていた腕を引かれて、俺はすんなりとこいつの腕の中へと誘われてしまった。
「あんなの! 別れたようなもんだろ!!」
「喧嘩しただけだ、別れてない」
「なら、別れる」
きつく抱き締められ、身動きが出来ないも、俺は逃れようと腕を突っ張めるが、さらに力を込められてしまう。
「やだ」
「はあー?!?!?!!?」
「俺が認めないなら、別れた事にはならない」
「…………お前、なんなんだよ!!」
忘れてた……、こいつ諦めない奴だった……。
-7-
「離れろ」
「いやだ」
同じ大学なのを、俺は恨む。
前日、あのあと、俺はなんとかこいつの腕から逃れて、着いてこないように蹴り飛ばし、自宅に帰り着いた。駅まで壮大な駆けっこをしたけれども、出発ギリギリの電車に乗り込んで、こいつを駅の構内に取り残すことに成功したのが、昨日。
「うざい」
「うざくてもいい」
でも今は、同じ大学で、付き合っているという経歴から、俺の講義の時間はこいつに知り尽くされていて、見事に捕まってしまう。あのカフェテラスでは、容易に見付かると思ってキャンパス内にある、中庭的広場でベンチに座り講義の空き時間を潰していた。俺が座るベンチの後ろから大いに抱き締められ、何を言っても離れない。抵抗しようと身悶えもしたが、疲れるから止めた。
「お前、次講義じゃねーの?」
「……知ってるんだ」
「記憶喪失なわけじゃねーし」
「一緒に受ける」
「受けねーよ」
俺の肩に顔を伏せたままで、こいつは俺の問い掛けに答えてきている。
「向葵一人にすると、すぐナンパされるから……」
「俺、可愛いからな……顔」
「…………可愛い」
しかも、今回は、この容姿のせいで、こいつに俺の居場所がバレたのだ。なんで判った? と問い掛けたら、こいつは周りに聞いて辿ったら、俺が居たとか言いやがった。向葵は、この大学で知らない奴なんて居ないんじゃないだろうかと思うくらいの、注目を浴びてる。本人気付きもしてない、というか、それが逆に人見知りをする原因になっている。
「お前に言われても嬉しくねーわー」
「ナンパ受けないって約束してくれるなら、講義に行く」
「なんでそんな約束しなきゃなんねーんだよ」
今日は天気がいいからか、この中庭には俺達だけじゃなく、他の生徒も時間を潰している。中庭には、バスケのコートや、フットサルコートもあり、そこで汗を流してる奴もいた。
こいつの言い分に、俺は運動をしている奴らに何気なしに目線を送りながら、淡々とした口調で返していた。こうして、抱き着いていられても、何も思われないのは、こいつが向葵に告白したのは、公衆の面前だったから。
「……………………」
「んんんんんん!!」
一度ならず、二度までも!?
俺の返した言葉が耳に届いているのか疑問に思うほど、こいつは無言になっているかと思えば、急に後ろから顎を掴まれて振り向かされた。急の出来事に抵抗する統べもなく、容易くこいつはまた俺の唇を奪う。
「っ!?」
今度は、容赦はしない。重なる唇が深くなる前に、俺はこいつの唇を思いっきり噛み付いてやった。口の中にこいつの血であろう、鉄の味が広がる。
「虫酸が走る!!!」
俺はこいつを突き飛ばして、ベンチから立ち上がり、睨み付けながら言葉を吐き捨てる。こいつは、口元を拭うと、俺へと目線を向けてきた。
「俺の……だから、誰も手を出すなよ」
鞄を持ち直し、俺を指差すと、誰に言い告げたのか解らないが、今の騒ぎで俺達へと向けてきている視線の中、こいつはそう言葉を発せれば、講義に向かうため、その場を離れて行った。
「…………」
おい……、向葵……、勝手にきゅんとしてんじゃねーぞ……。お前の感情をこっちまで伝えてくんのやめろ……。揺れ動いてんじゃねーよ。
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「くっそ……、腹立つ、付きまといやがって」
虫の居所が鳴り止まない俺は、キャンパス内の自販機コーナーへと移動した。そこで缶コーヒーを買い、近くにある休憩所のソファーへと腰を下ろす。
真面目に講義に行ったのだろうから、漸く息苦しいのから解放されて、俺はゆっくりとコーヒーを飲むことにした。缶コーヒーのプレタブを上げて蓋を明け、それを口に運ぶ。優雅にゆっくりとした時間を過ごそうとしたのだが……。
「……ちっ」
自販機コーナーに着いてから、ずっと俺のスマホはLINEの受信音が鳴り止まないでいた。
「なにこれ……、ウザすぎる」
スマホを鞄から取り出して、画面を確認すると、そこにはLINEのメッセージ通知。それは20という数字も付いていて、メッセージの件数を知らせている。
あいつのトークの画面を開けば、スクロールする度に流れるメッセージの数々。それは短いものばかりだが、“ナンパされてない?”だの“向葵ー?”だのどうでもいい言葉ばかりだった。
つうか、これ、既読になったの確認して、さらに送り続けてるだろ……、通知とまんねーぞ、おい。
「ちゃんと講義受けろ」
俺は声に出しながら、そうスマホへと打ち込み、メッセージを送信した。したらしたで、さらにメッセージは止まなくなってしまった。
「ウザすぎるーーー!」
これは、見ない方がいいな……、うん。既読にすると、さらに送ってくるっぽいから、見ないで放置しといた方が諦めるだろう。
俺は通知音がうざいから、こいつの通知音をオフにして、スマホの画面をロックした。
「はぁー……」
-9-
講義の時間になり、俺は講義室へと向かった。この講義は学部の違うこいつとも同じ修得の講義だから、こいつも居る。適当に席に着くと、それを見計らいこいつは当たり前の様に隣の席を陣取った。
「なんで無視すんだよ」
「なんで返事しなきゃなんねーんだよ」
「……恋人だから」
当たり前の様に隣に座ると、ノートを広げて講義の準備を始める。席を移動しても、どうせ追い掛けてくるだろうと、こいつの行動が予測出来て、疲れるだけだから、俺もそのままそこで講義を受ける準備をする。
「別れるって言ったじゃん」
「認めないって言ったじゃん」
話したって何言ったって堂々巡りだから、もう本当……、面倒。
「…………」
こうやって、構わないで、無視しとくのが一番楽なのかもしれない。講義室に教授が入ってきて、檀上に上がるのに目線を送ったまま、筆入れからシャーペンを取り出す。
「……向葵?」
急に黙り込んだのを不思議に思ったのか、こいつは小声で俺の名を呼ぶ。
「講義中」
小さく言い返すと、椅子に座り直して、講義を受ける体勢に入る。教授が書き記している文字を、ノートに書き写していると、隣からこいつの手が伸びてきているのが視界に入った。
「……」
シャーペンを持った手で、俺のノートへと手を伸ばしてくる、その手に目線を向けていると、俺のノートの端に小さく字が書かれる。
“向葵が好きだよ”
「……うざ」
俺は思わず、心の底から本音の声が漏れてしまった。その声が聞こえたのか、こいつの手は、一度震えて止まる。
「……」
そのまま引っ込めてくれるかと、期待したが、今度は“愛してる”と書きやがった。盛大に溜め息が、漏れてしまう。
「あのさ……、嫌いだって言ってるし、もう性格だって違うのになんで好きだなんて言えんの?」
こいつの手を取り、自身のノートへと戻してやりながら、俺は小声で問い掛けていた。
「向葵は……、向葵だから」
「お前が好きだった向葵じゃないよ、今の俺」
向葵は優しい、一途だし、自分よりも相手優先。嫌な事を嫌とは言えずに、我慢して耐える。耐えた結果が、俺を産み出したんだけどな。
「それでも構わない、俺はどんな向葵でも好きだから」
さっきまでの自信満々な声音とは、真逆に、こいつはそう弱々しく言葉を紡ぎだしていた。
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