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第6話:さよならまでのcount down 5
「……ん」
次の日、目を覚ますと、隣に寝てたはずの柚葉の姿はなかった。俺が昨日起こすなと言った事を、真面目に守って起こさないように、アパートを出て行ったのだろう。昨日、脱ぎ捨てた俺の服も洗濯されて枕元に綺麗に畳まれ置いてある。これも、急いでコインランドリーにでも行って、乾かしてきたのだろう。
「柔軟剤……、いい匂い」
枕元に置いてある、俺の服を着こむと、そこからは洗濯したての香りが鼻に届いてきた。やはり、乾燥機を使ったのだろう、着替えると、まだ、ほのかに暖かさを感じた。ベットのサイドテーブルに置かれている目覚まし時計に目線を向けると、その時刻は11時を示していた。今日の講義は午後からだからまだ時間はある。
家主のいないアパートの部屋にあるものを勝手に使っても、罪悪感を感じないでいるのは、きっと向葵がここに居る事を心地良いと思っているからだろう。リビングへ移動すると、食卓の上にメモが置かれていた。
「合鍵、昨日持ち歩いてないって言ってたから、鍵置いておく。部屋出る時は、ポストに入れておいて。昨日言ったこと、忘れないで。俺は本気だから、今でも愛してる」
メモの上には、部屋の鍵が一緒に添えられていた。
「…………はぁ」
それを見て、俺は深く溜息を吐いてしまっていた。食卓の椅子へと座り込み、その鍵に目線を落とす。メモと鍵の隣には、俺の朝食であろうスクランブルエッグが皿に乗せられて置いてあった。添えられているフォークを手に取り、それを一口、口へと運ぶ。想像するよりも、意外と美味かった。
「あいつ……、飯作れるんだ」
あいつが作ったからとかじゃなくて、意外にも美味しかったスクランブルエッグがいけない。俺はそれを完食してしまっていた。
「したくなったら、いつでも俺のとこ来ていいし、いつでも相手になるよ。性欲の捌け口にしてくれても構わない」
昨日、行為の後に言ったあいつの言葉が、頭の中で再現される。
「……はぁ」
だったらなんで……、浮気なんてしてんだよ……。
-1-
柚葉のアパートからは大学へは、徒歩で10分程度だから、講義の時間の間際にアパートを出ても余裕で間に合ってしまう。
「あ、向葵ちゃーん!」
「あ、柊」
大学のキャンパス構内を歩いていると、柊に声を掛けられる。追い掛けてきている柊を待つために、俺は歩む足を止めて振り向いた。
「良かった……、忘れられてたらどうしようかと思った」
俺に追いつくなり、柊はそう言葉を漏らしていた。
「ふはっ、忘れないって」
安心しきった表情で言われてしまい、俺はそれが可笑しくて笑ってしまっていた。
「忘れられて、俺また知らない人とかって言われたらどうしようかと思った」
「ないない」
今まで知らなかったが、今から受ける講義は、柊も受けているらしく、手振りで講義室へと向かうように促される。俺達は一緒に歩きながら話を始めていた。
「昨日、ちゃんと無事に帰れた? 変な人に掴まってない?」
講義室へと足を踏み入れると、柊は適当に空いてる席へと座り、俺を手招きする。席なんてどこでも構わない俺は、手招かれるままに柊の隣に腰を下ろした。
「そんな簡単に掴まらないって、そんな気はなくなってたし」
そんな気というより、あの時間から、相手を探すのが面倒になったと言った方が正しいが、そこまで説明するのも面倒で、俺は柊からの問い掛けにそう答えていた。
「ガード固い向葵ちゃんなら、そういう時なら大丈夫か……」
「……心配?」
「ん、うん、心配」
柊でもこうやって心配をするという事は、一応恋人の柚葉が心配してくるというのは、当たり前なのかもしれない。
「ありがとう」
不特定多数っていうのは、後腐れがないけど、まあ、それなりに危険は伴うのが判っている。柚葉が昨日言ってきたのは、俺を心配しての事なのだろう。
-2-
講義が始まれば、静かな空間が生れる。マイク越しに聞こえてくる教授の声を耳に捉えながら、ノートにシャーペンを走らせる。集中して講義を受けていると、遅れてきた生徒が何も言わずに隣へと腰を下ろした。
「…………」
講義室は広く、所狭しに隣に座らなくてはいけない程の人気のある講義でもない、席は充分に空いているのに、わざわざ隣に座る相手を俺は自然の流れで確認してしまった。目線を向けると、この講義を選択していない柚葉だった。講義を選択していなくても、受ける事は出来るから講義室に入る事は出来る。俺が目線を向けると、柚葉は俺の逆の隣に居る柊へと目線を向けたままで、俺に問い掛けてきた。
「この人……誰?」
「ん? 柊?」
俺と柚葉の小声ながらも交わしていた会話が耳に届いたのか、講義へと集中していた柊も柚葉の方へと目線を向けた。
「あ、彼氏さん」
「どうも」
二人は目が合うとよそよそしく、挨拶を交わす。俺が都希以外と一緒に居る事が珍しいのか、柚葉は観察するように柊へと目線を向けていた。
「あ、ちょうど良かった、これ、鍵」
俺が柚葉に声を掛けると、柚葉は一瞬肩を震わせれば、俺へと目線を戻してきた。差し出した部屋の鍵を持つ俺の手を見ると、その鍵と受け取った。
「ポストに入れておいていいって書いといたのに」
「んー……、それ、物騒じゃね?」
「だったら、合鍵持ち歩けよ」
柚葉には関係のない講義なのに、柚葉は俺の隣に座ったままで、講義を受けているように机の上にはノートを広げている。教授に怪しまれないように、ノートの上でシャーペンを走らせているが、実際には書かれていない。
「いらない」
「…………」
なんで、俺が柚葉の部屋の合鍵を持ち歩かなきゃいけない。俺の中に眠っている向葵ならともかく、俺が持ち歩く意味はない。柚葉の言葉に一言で返すと、柚葉は俺の顔に無言で視線を向けて来ていた。
-3-
「向葵ちゃん、あのあと彼氏のとこ行ったのか……」
俺にずっと目線を向けてきている柚葉を、俺は反応しないように無視をしていると、俺と柚葉の会話を聞いていた柊は、会話の内容から想像がついたのか、小さく言葉を漏らしていた。柚葉とは逆の隣に座っている柊へと俺は目線を向けた。
「ん? んー、なんでだろうな」
「なんでだろうなって」
柊の言葉に対して頷き肯定の意を示すも、俺は裏腹な言葉を口にした。昨日はなんでも良かったんだ。どうでも良かった。だから、手っ取り早く柚葉を相手に選んだ。それだけの事だった。俺の言葉を耳にした柊からは、呆れた口調の言葉が返ってくる。
「だって俺、こいつのこと嫌いだもん、なんで行ったんだろう……」
「…………え?」
「向葵……」
でも、嫌いなのに手っ取り早いからと言って、相手に柚葉を選んだ昨日の俺の行動は、今の俺からしたら、どうしてなのか理解が出来ない。柊に止められたのと、俺の中に眠る向葵のせいだ。後は酔っていたせいな筈だ。
小さく息を吐くように柚葉は俺の名を口にしたが、俺はそれを聞き流していた。
「別れた……、のか?」
「別れてない」
柊の戸惑いながらの問い掛けに、間髪入れずに答えたのは、俺ではない。教授へと、目線を向けたままで言い告げた柚葉だ。俺は思わず柚葉へと目線を向け、睨みつけてしまった。
「別れたい」
柚葉に目線を向けたまま、柚葉に聞こえるように言葉を投げつけたが、柚葉は聞こえてないフリをして、教授へと向けている目線を変えずいる。その横顔に、シャーペンを突き刺してしまいたい。
「……状況が判らない」
本気で突き刺してしまいそうになった時、柊から漏れてきた言葉が耳に届いてきた。
-4-
「向葵! 向葵! ちょっと、待て、向葵!」
講義が終わり、俺は席を立ち、そのまま帰宅しようと足早に歩き出す。それを柚葉は慌てた様子で追いかけてくる。今日は、昨日の様に追いかけっこをする気力がなかった。
「なに……、もう帰るんだけど」
講義が終わった為、講義室を出てきた学生が歩いている中、柚葉の呼び掛けに素直に立ち止まり振り向くと、それが意外だったのか、柚葉は驚いた表情を浮かべるが、そのまま俺の方へと近寄ってきた。
「昨日……、アイツと呑んでたのか?」
「アイツ……?」
俺の顔色を伺っているのか、戸惑った様子で問い掛けてくる。だが、俺は柚葉が聞こうとしている意が判らずに、問い返してしまった。
「さっきの奴」
「あ、柊? 昨日声掛けられて、呑みに行った」
生徒達が立ち止まっている俺達を避けながら歩いている様を、俺は目線を流して見送りながら、柚葉との会話を続ける。柚葉が意図している内容はよく判らないが、昨晩の事を聞いている事は理解出来た。
「……大学で?」
「んーん、街で」
いつまでもその場で立ち止まっているのもなんだから、俺は足を進めると、柚葉もそれに合わせながら歩き始めた。俺の声が聞こえるように、隣を歩き続ける。
「だから、昨日……」
「相手見付かんなくてさー、柊に辞めろって言われちまうしで」
柊と飲んでその後、柚葉のアパートに行った。それを、今更隠す事でもない。
「だから、俺のとこに来たのか」
「だから手っ取り早いって言ったじゃん」
何度、同じことを言わせるのか……。柚葉のその言動に段々と煩わしさを感じ、俺は苛立ち始めていた。
-5-
苛立ちさを感じたまま、キャンパスを出る為正門へと向かう。苛立っているので、歩みは自然と早くなっていた。
「……そういうの辞める気ないのか?」
「そういうの?」
苛立ちから声音も段々と冷たくなってしまっているのに、自分でも気付いていた。
「だから……、誰彼構わず……とか」
「んー……、気分」
「そういう気分になったら、俺んとこ来て」
柚葉が諦めの悪い奴なのは、知っている。でも、こうもしつこくされては、煩わしい以外の何者でもない。歩みの早くなる俺に置いていかれないようにと、柚葉も段々と足早になっていた。先ほどまで、俺の機嫌を伺っている様子は今ではもうなくなっている。
「……その時の気分」
「向葵……、本当、お願い」
「……気分」
俺が苛立っている事には、もう柚葉にも伝わっているだろう。でも、柚葉はそれに構うことなく、食い下がらない。
「……お願いします」
「じゃーさ……、いや、いいや」
あまりにも食い下がらない柚葉に対して、俺は言い掛けたが、俺が言ってもどうしようもない事だから、途中で言うのを止めてしまった。これは、俺の中に眠る向葵の本音だから……。
「な、に?」
「なんでもない」
「昨日も言いかけたよな? なに?」
ひたすら進行方向を向いたまま歩き続けている俺の視界に、柚葉は入り込み問い掛けてくる。行く手を阻まれて俺は仕方なく足を止めて立ち止まった。
「なんで……、そんなに必死になるのに、浮気なんてしてんだよ」
「……え?」
俺は胸が締め付けられる感覚を堪えながらも、言葉を吐き捨てていた。向葵が聞きたかった、浮気をし続けた理由。向葵が聞きたくても聞けなかった本音。俺の言葉を聞いた柚葉は、意外だったのか目を見開いて俺を見ていた。
-6-
「向葵ちゃん! あ、ごめん、彼氏と話してたのか」
俺が柚葉に言い告げると、柚葉は驚いた表情を浮かべたまま、そのままで黙りだしてしまった。お互いの目線を重ねたままでいると、背後から柊の声が耳に届いてくる。駆け寄ってきた柊は、目線を重ねたままでいる俺達の顔を交互に見合わせると、謝罪の言葉を述べていた。
「いや、もう話終わった……、なに?」
柚葉からの目線を外して、俺は柊へと目線を返る。柊の言葉を否定しては、問い掛ける。
「…………」
「……終わってるのか? これ」
問い掛けたが、柊は柚葉の様子を伺うように、目線を向けたままで言葉を続けていた。
「うん、終わった」
身体を柊に向き直して、頷き答えるが、柊は戸惑った様子で目線を柚葉に向けたままでいた。
「……向葵、終わってない」
向葵が聞きたかった問い掛けに、答えられないならば、俺には話す事はもうない。だから、話は終わったんだ。そう思い、柊に問い掛けながら、その場を歩き出そうとすれば、俺の腕は柚葉に捕まれてしまう。
「もういいって」
掴まれた腕に俺は目線を向け、口には出さなかったが、それを離せと柚葉の顔へと目線を流す。それでも柚葉は腕を離そうとはしなかった。
「お願いだから、約束して」
「気分だって言ってるじゃん」
「…………お願い」
「なんで、柚葉にそんなこと約束しなきゃなんねーの?」
約束しなくてはいけない理由も、約束しなくてはいけない意味も、俺にはない。
「…………」
頑なに俺が否定し続けると、柚葉は諦めたのか黙り始めた。柚葉に捕まれていた腕を振り払い、俺は柚葉に背を向けた。
「柊、用事なに?」
「え? うん、あのさ、今日さ…………、カラオケ行かないかなーって」
今までの俺と柚葉のやり取りをただ見ていた柊に言葉を投げかけると、圧倒されていた様子の柊は我に返って俺の問い掛けに答えていた。
「あ、行きたい!」
「やった、行こう!」
「だめ」
この後講義もないし、柚葉からも解放されたいし、そんな理由で柊からの申し出にすんなりとOKを出すが、俺は振り払ったはずの腕を再び柚葉に捕まれてしまった。
-7-
背後から聞こえてきた声と同時に捕まれた腕に目線を送ると、やはり俺は柚葉に腕を掴まれている。ましてや、柊の申し出をなんで柚葉に許可をもらわなくてはいけないのか、そのことで俺は苛立ちながら柚葉を睨みつけた。
「はあ?」
睨み付けたが、柚葉は俺に目線を向けてこない。その目線は、柊へと向けられている。俺の腕を掴んだままで、柚葉は柊を見ていた。
「向葵は今日うちに泊まる約束してたからだめ」
「は? してないし!」
柊に目線を向けたままで、柚葉は言い告げる。そんな約束なんてした覚えは、俺には一切ない。否定の言葉を述べるが、それでも柚葉は俺の方を見ようとはしていなかった。掴まれた腕を柚葉の方へと引かれ、俺は柚葉の背に隠すように動かされた。
「してた、だからだめ」
「した覚えねーし!!」
俺を柊から見えないように、柚葉の背後に隠され、それでも俺の腕を掴んでいる柚葉の手を、反対の手で叩いてみるが、それにも動じる事を柚葉はしなかった。
「柊くんだっけ? ごめんね、今日は俺んとこ泊まる約束してたから、また今度ね」
「…………あ、はい」
俺の言葉を全無視して、柚葉は柊に言葉を投げかける。俺の言葉に耳を貸さない柚葉の圧倒に押されたように、柊は目を丸く見開いて、頷き答えていた。
「ほら、行くぞ」
「意味、わかんねっ、ふざけんなっ、おまえ!」
先程の様に、腕を振り払おうとするが、柚葉の本気の力には、俺の力は及ばず、振り払う事なんて出来ない。腕を引かれながらも悪態をつくが、その言葉を今の柚葉には気にされる様子も見る事が出来なかった。
柚葉に腕を引かれながらも、振り向き柊の方へ視線を送ると、柊は両手を合わせて声には出さずに謝罪の素振りを見せていた。
-8-
キャンパス内の建物の陰に連れてこられ、俺は柚葉に建物の壁へと押さえつけられた。この柚葉の行動は、この先の事を予想が出来た。向葵の人格が二つに別れて、俺が出来上がった時から何度か柚葉のこの行動に出くわしている。それから逃れようとするが、それを柚葉は許さない。
「んっ、んんっ、ん」
「…………」
壁に押さえつけられて、予想していた行動は的中した。俺の唇は、柚葉の唇に寄って塞がれてしまう。掴まれていた腕は、いつの間にか両の腕へと変わっている。塞がれてしまった唇を割って、柚葉は舌を侵入させてくる。その生温い感触に、俺は背筋に悪寒を感じてしまう。両腕を塞がれてしまっているので、俺は力の限りで、柚葉の足を蹴りあげた。
「っ!?」
蹴り上げた事でひるんだ隙に、俺は柚葉の腹を足で押し退けてやると、柚葉は掴んでいた腕を離した。
「やめろっ、ふざけんなって!」
「ふざけてない……」
俺に蹴られた足を柚葉は掌で摩りながら、俺の言葉に小さく返してくる。
「お前、本当いい加減にしろ」
「約束してくれるまで離さない」
先程までの強気な柚葉とは違い、今度は俯いていて、発する言葉の声量は小さく呟かれる。こうなった柚葉はうざい。俯いていても、離した腕を再び掴んでくる。今度はそんなに力強く掴んでいるわけでもないが、ただ俺の腕を掴んでは、俺に払われて、また掴んでの繰り返しである。
「はぁ……」
勢いのついた柚葉も面倒だが、しおらしくなった柚葉もうざくて苛立ってしまう。俺は苛立ちから、深く溜息を吐いていた。
「今までの事は、何回でも謝るから」
「……」
「許してくれるまで、何回でも謝る」
「めんどくさい」
本当……、面倒。
「え? あ、向葵!?」
ごめん、向葵。せっかく俺の奥に逃げて隠れたのに、俺も面倒になってしまった。俺は目を瞑り、柚葉の身体に力なく寄り掛かった。
-9-
「向葵! 今週の木曜日さ」
「木曜日?」
それは、付き合い始めて一年が経とうとしていた頃、まだ柚葉が浮気をし始める前。木曜日って何日だったかな……。大学のキャンパスで、いつものカフェテラス。そこで講義の空き時間を過ごしていると、柚葉に声を掛けられる。約束をしていなくても、ここで待ち合わせをするのが当たり前になっていた。互いに講義の時間は把握しているのもあるから、空き時間にはいつもここに来ていた。
「木曜日……、あれ、もしかして、向葵、忘れてる?」
「…………?」
「え? マジで……、講義終わった後、デートしてそのままうち泊まるって……」
今週の木曜日が何日なのか思い出そうとしていると、柚葉は俺との約束の内容を述べてくる。
「うん……、次の日、柚葉講義じゃないの?」
「…………その日は、休むって言わなかった?」
「休むの?」
付き合い始めた頃、柚葉があまりにも俺の講義の予定に合わせて、デートや泊りの約束をするもんだから、柚葉にお互いの講義の時間で空いた時間に予定を組もうと話した。それからは、お互いの講義の時間が午後からだったりした時に泊まりの約束、午前中で終わる時に午後からデートと予定を組んだ。そうしないと、柚葉は俺に合わせて、単位を落としてしまいそうだったから。
「……向葵……、その日なんの日か判ってる?」
「ん?」
休まないようにとの俺達の約束だったから、俺は柚葉に問い掛けたのだけれども、その俺の言葉を聞いた柚葉の表情は、期待を裏切られたように暗黙に曇らせてしまっていた。
「1日中一緒に居ようって……」
「……?」
「マジで……」
講義を休ませてまでも、俺は柚葉と約束をしたのだろうか……。柚葉とのやり取りに夢中で、俺は今週の木曜日が何日なのか思い出すことを忘れていた。
「え? なに?」
あまりにもがっかりして肩を落とす柚葉に、俺は大事な事を忘れてしまっているんじゃないかと、不安が過った。講義を休む事を許してまで、取り付けた約束。一緒に居る事を優先した理由。そう、それはとても大事な事だった。
「俺の……、誕生日……」
今週の木曜日は6月22日。柚葉の誕生日で、一緒に居る事を俺が柚葉に言ったんだった。日付も約束も忘れていたわけじゃない。木曜日がその約束の曜日だという事を忘れていたんだ。
「あ! 一緒に居る! 一緒に過ごす!」
柚葉が浮気をする様になったのは、もしかしたら……、俺が原因だったのかもしれない。
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