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第8話:さよならまでのcount down 3
もう、柚葉の事好きで居たくない。好きって……、人を想う気持ちってなんだろう……。
「いらないって言われちまったな」
逃げようと思えば、逃げられる。ほら、目を瞑れば、簡単に逃げる事が出来る。俺はその為の、俺だもんな。
「……代わった……、逃げんなよ……」
目を開けると、目の前には俺の両肩に手を置いて、顔を覗き込んでいる柚葉の顔があった。表情も話し方も変わるのだろう、柚葉は俺の顔を確認すると、落胆した表情を浮かべていた。
「もうちょっと言い方あっただろうに」
俺に変わったのに気付いた柚葉は、肩から手を離してソファーへと座り直した。俺の言葉が耳に届いているのか、頭を抱えて俯いている。
「…………」
そんな柚葉の様子を横目で見ては、俺じゃない向葵に柚葉が入れたコーヒーカップへと手を伸ばした。時間が経ってしまったが、そのカップはほんのりとまだ暖かかった。
「柚葉を好きな向葵くんは、このまま、居なくなっちまったりしてな」
手に持ったカップから、一口飲み干しては、俺は何気なしに言葉を吐き出していた。
「え? そんなことあるのか……」
何気なしに言い告げた言葉は、柚葉には衝撃的なものだったみたいで、目を見開いて俺に目線を向けてくる。
「あっちの向葵がお前の事好きじゃなくなったら、どうなるかわからないだろう……、判らないけど」
好きと嫌いで出来上がっている、俺と向葵。好きがなくなれば、あっちの向葵が居なくなるかもしれない。ただ、それは俺の憶測な考えでしかないけど。
「……気持ちがなくなると居なくなる?」
「知らないけどな」
でも、居なくなりたいと願ってるのは、紛れもなく、俺に伝わってきている。
-1-
「……こっちの向葵は、俺の事嫌い」
俺の言葉を聞いて、柚葉は考え込むように俯き、ゆっくりと言葉を発す。
「うん、だいっきらい、見てて苛々する」
俺の方を見ては居ないが、柚葉の言葉に俺は同意の意を表す。嫌いになりたい向葵の想いが、俺という存在で、具現化させた。
「……あ、そっか」
疑問を投げかけられたわけでもないけど、柚葉の言葉に、真意の言葉を返すが、そのあと耳に届いた柚葉の言葉は、それに対して、返答をしたとは思えない声が漏れていた。
「ん?」
言葉を漏らすと、俯いていた柚葉は、急に顔を上げて、俺の方へと目線を向ける。
「向葵はどっちでも向葵だから、両方の向葵に好きになってもらえばいいんだ」
「は?」
俺の両の肩に手を乗せると、真っ直ぐに目線を向け、柚葉はそう言葉を告げた。名案とばかりに、その表情は明るく目を輝かせていた。
「そっか……、そうすればいいんだ」
目線は俺へと向けられているけれども、柚葉の中でのみ解決されていて、まったく俺には理解が出来ない。
「……おい、何、一人で納得してんだよ」
肩に置かれた柚葉の手を、俺は払いのけて、ソファーの上だけど、柚葉との距離を置いて座り直した。
「俺……、お前を口説き落とすから、覚悟して」
「はあー??!??!?」
距離を置いたけど、それでも俺に近寄って来て、言い告げた柚葉の言葉はそれだった。どんな考えが巡ってそう行きついたのか、その流れから説明してほしい。
俺は、お前が嫌いだと言ってるだろうが……。
-2-
あの突拍子もない柚葉の断言から、言葉の通り柚葉は、大学に来れば、俺の傍から片時も離れずに隣に居る。
「好き」
「嫌い」
「大好き」
「大嫌い」
「……愛してる?」
「近寄るな」
数日間、このやり取りが続いている。大学に来ると、目ざとく柚葉は俺を見付ける。講義の予定が、柚葉に知られてしまっているから、簡単に俺は見付けられてしまう。スマホへの連絡も、返信をしていないのに、送られてくる。その内容は、おはようからおやすみまで、どうでもいい内容だった。
「はぁー」
柚葉の言葉に俺が返答を返すと、柚葉は暫く俺の顔を見てから、わざとらしいくらい盛大に溜息を漏らした。
「いや! ため息吐きたいのこっちだからな!」
もう、本当、この状態は、毛嫌いしている相手からなのが尚更、うざいの一言で済まされてしまう。向葵……、お前のように、俺も逃げ出したい。
「好き好きって言ってるだけじゃだめなのか……、人の口説き方なんてわかんねーな」
「え? これ、俺口説かれてたのか?」
溜息を吐いた後、柚葉が言い告げた言葉に俺は耳を疑ってしまった。だって……、これは……。
「なんだと思ってたんだよ」
「……嫌がらせ?」
「はぁー」
嫌がらせ以外のなんだというんだ……、こんなので、口説かれているなんて思う奴がいるのだろうか。間違っても、それで胸がキュンとなったりはしない。
俺が正直に答えると、柚葉はまた盛大に溜息を漏らした。
-3-
「…………」
なんとか、柚葉から逃げ出し、講義を終えた帰り、視線を感じ、そちらへと目線を向ける。
「あ、柊」
視線を感じる方向に目線を向けると、講義室の廊下で、俺を見ている人物を確認する。それは、柊だった。
「向葵ちゃん」
俺が声を掛けると、柊はゆっくりと近寄ってくる。
「はよっ」
遠慮深めに近寄る柊は、俺の名を小さく呟く。
「あ、おはよう」
挨拶を交わすと、柊は観察するように俺を見てきた。
「なに?」
「いや、またなんか印象が違うなって……」
そうだった……、向葵の方に会って話しているから、俺との違いに戸惑っていたのか……。
「あー……、あんま気にしなくていいぞ」
ただ、それをどう説明していいのか判らずに、俺はそう言葉を返す。
「不思議な人……、二重人格?」
俺の言葉を聞くと、柊は珍しそうに言葉を漏らした。
「んー、ま、そんなとこ」
柊と出会った方の俺なんだと、理解出来たのか、先ほどまで感じていた、遠慮深げな雰囲気はなくなっていた。講義棟の中にある、廊下を歩き出すと、柊はそれに合わせて歩き出してきた。
「ふーん……、気にしないけど、面白い」
「なんだ……、面白いって」
廊下の途中にある自販機の前で立ち止まり、柊は自販機に小銭を入れると、目線でボタンを押すように促された。俺はそれに素直に応じて、ジュースを奢ってもらう事した。
-4-
自販機の傍にある長椅子に座り、奢ってもらったジュースを飲む。柚葉は講義を受けている時間だから、俺は解放されたこの時間を有意義に過ごす事にした。一緒に居ない時間帯は、柚葉からの連絡がスマホの充電を減らしていくけれども、音を消しているから多少はうざさに慣れてしまった。
「そういえば、カラオケいつ行く?」
暫く、柊と他愛のない会話をしていたが、ふと俺は思い出しそう問い掛けた。以前に行こうと約束したが、柚葉に邪魔をされて行けず仕舞いだった。
「え? 行っていいんだ、彼氏は嫌そうだったけど?」
「アイツは関係ないからいいよ」
柚葉に見つからないようにさっさと逃げれば、また邪魔をされることはないだろう。
「じゃ! 今日行こう! 今日!」
「うん、気晴らししたい」
俺の返答を聞くと、柊は嬉しそうに表情を緩ませて、急かすようにそう言い告げてきた。柚葉のせいで、苛立ちが溜まりまくっている俺も、今日行けるなら、今日行きたくて、柊の言葉に肯定した。
「今日、講義何時に終わる?」
「最後は2時に終わる」
今日はあともう一つ講義を受ければ、予定はない。柚葉は俺が終わった講義のあと、次の時間で講義があったはずだから、捕まらなくて済むかもしれない。
「俺、もうないから待ってるよ」
丁度お互いに持っていた缶の中身を飲み終えて、目線を合すとそう言葉を交わす。
「判った、終わったら連絡する」
「はーい」
約束を交わして、俺達はその場を離れた。
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「向葵ちゃん、向葵ちゃん、俺さ」
講義を終えて、柊と連絡を取り、なんとか柚葉に見つからずにカラオケへと来ることが出来た。一曲を歌い終えた柊は、俺の隣に座り、俺の名を呼ぶ。マイクを手にしたままで、声を掛けてきている柊の声は、隣からとスピーカーからと二重に聞こえてくる。
「んー?」
俺も何か歌って気晴らしをしようと、選曲機を弄りながら返答をする。
「俺、ずっと向葵ちゃんの事好きだったんだよ」
まだマイクを持ったままで、柊は言葉を告げた。その言葉は俺には意外過ぎて、選曲機へ向けていた目線を、思わず柊へと向けた。
「……は?」
「なー、向葵ちゃん、彼氏と別れたら俺と付き合って」
俺の聞き間違いじゃなかったみたいで、柊はマイクをテーブルの上に置くと、もう一度改まって言い告げてきた。
「え?」
「上手くいってないんだろ?」
「ん、まあ」
「別れたら俺と付き合ってよ、俺は絶対浮気なんてしないから」
「…………」
柊の眼差しは真剣そのもので、冗談で言っているわけではない。
「俺、本当は入学してからずっと好きだったんだよ。でも、彼氏に先越されちゃってさ……、諦めようとしたんだけど、彼氏が浮気してるの噂で聞いてさ……」
テーブルにマイクを置くと、ドリンクバーのグラスを手に持ち、柊は一気に言い告げてくると、それをゆっくりと飲み干した。
「…………」
「向葵ちゃんの事独り占めしてんのに、許せなくてさ」
「……判った、判ったから、ちょっと考えさせて」
都希の他に、やっと気が許せる友人が出来たと思ったのに、柊は最初から向葵の事が好きだったのか……。反響するカラオケショップの部屋は、柊の告白を耳にするのには、聞き間違えで済ませれる事を、許されなかった。
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考えさせて、と柊に告げれば、柊は口には出せずに頷き、黙って俺の頭を撫でてきた。その後は、その話題には触れずに、柊とカラオケを楽しんだ。一緒に居る時間は、友人と一緒に騒げる空間だと思っていた。でも最初から、柊は向葵が好きで、好きだったから、俺に声を掛けてきた。
「意味が判らない……」
俺はソファーで横になり、そこに置いてあるクッションを抱き締めていた。クッションを抱き締めながら、付けられているテレビ画面に目線を向けるが、内容は全く頭に入って来ない。
「……ここで嘆く事かよ」
「だって俺、都希以外人見知りだから、相談出来るような仲良い友達居ない……」
テーブルに淹れたてのコーヒーを注いだカップを置くと、隣に座ったのは柚葉。そう、俺はカラオケを済ませて、柊と別れた後、またしても何故か、柚葉のアパートを訪れていたんだ。柊に告白されて、気持ちはどうしようもなく、切ない気持ちが胸を秘めていて。
「だからって……」
その気持ちを何処かに嘆き出したかったんだ。
「都希も居なくなったの、お前のせいなんだから、少しぐらい嘆いたっていいだろ」
都希が居なくなり、こういった相談を出来る相手が居ないのは事実。気を許し始めていた柊からは、友情ではない、他の感情で見られていた事実に戸惑い、違う感情だったことに切なく感じてしまった。
「……ごめんなさい」
柚葉に対して、責めるように言い告げると、柚葉は言い返せないのか、それ以上何かを言ってくる様子はなくなった。俺に代わってから、柚葉を嫌いだと罵る事はあっても、こうして浮気の事実を咎めたのは初めてかもしれない。
「柊と仲良くなれると思ったのに……」
俺が言葉をもう一度嘆くと、付けられているテレビ画面を消して、柚葉は静かに俺の方へと身体の向きを変えた。
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「向葵……、俺、向葵を口説くって言ったの忘れてない?」
「嫌がらせの間違いだろ……」
テレビを消されて、視界が真っ暗になり、迷子になってしまった目線は、次に発せられた言葉の主へと向けていた。目線を向けると、柚葉の目線と絡み合って、その目線を外せないように、柚葉は俺の頬を両手で捕らえてくる。
「嫌いだって言うくせに、普通に会いに来るけど……、そこまで嫌いじゃなくなってる?」
「……自惚れ?」
柚葉に言われて気付く、最初俺が生み出されたばかりの頃は、柚葉の顔を見るのも鳥肌が立ち、話してるだけでイライラが募っていた。それが今では、一緒に話しているだけでは、苛立ちを感じなくなった。
「え? これ、自惚れなのか!?」
俺の言葉を耳にすると、予想外な言葉だったのか、柚葉は驚いたように目を瞬かせた。
「嫌いだよ」
溜息を吐くように、俺はその言葉を柚葉に投げかけた。
「でも……、柊くんには懐いてるな」
「話してて楽しいから」
俺の言葉を聞くと、柚葉は目を伏せて、表情を曇らせた。柊とは話してて楽しいのは本当で、今の現実を忘れさせてくれる。俺にとって柊は、そんな存在だった。
「……そっか、俺、明日講義早いから、寝るから、こっちの部屋好きに使ってていいよ」
「え? うん」
暫く黙っていた柚葉は、ソファーから立ち上がると、突如そう告げてきた。
「鍵ここ置いとくから、帰るならポストに入れといて」
「うん……」
テーブルの上に部屋の鍵を置くと、柚葉は俺に目線を合さずに、リビングを出て行った。
「ポスト、危ないって言ってんのに……」
俺はその鍵に目線を落とし、小さくそう呟いた。なんでだろうか、今の柚葉の態度が気になって、俺はこのまま家に帰る事が出来なかった。気にしなきゃいいのに、気になった……、それは向葵のせいなのだろうか。
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「帰らなかったんだ……、向葵? 今日、講義午前中からじゃないのか?」
いつの間にか、俺はソファーに横になり、眠りに入ってしまっていた。浅い眠りだった俺は柚葉の声に、目を開けた。何度か、夜中に目を覚ましたのまでは覚えているが、気付いたら朝を迎えていた。
「ん……、さむい」
横になっているソファーの隙間に、柚葉は腰を下ろし、俺の髪をゆっくりと撫でていた。あのまま寝ていたせいか、起きると寒気を感じた。
「こんなとこで寝たら当たり前だろ……、泊まるなら布団貸したのに……」
「柚葉……、寝るって言うから」
俺は暖を取りたく、柚葉の身体に手を伸ばしていた。伸ばした手は抵抗されることなく、柚葉に抱き留められる。柚葉の身体から、暖かい体温が伝わってきた。
「向葵?」
「んー……」
「寝惚けてる?」
抱き付く俺の背中を、柚葉はゆっくりと穏やかに撫でてくれていた。
「柚葉の身体温かい」
「今シャワー浴びたから」
頬を柚葉の胸に摺り寄せて、暖を取る。思った以上に暖かく居心地が良い。
「んー、俺もシャワー浴びたい」
「うん、いいよ、浴びておいで」
俺が言うと、柚葉は俺の身体を離して、浴室に行くようにと促してきた。
「うん、ありがとう」
俺は柚葉の頬にキスをして、ソファーから降り浴室へと向かった。
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「…………俺、寝惚けてた」
シャワー浴びると、頭の中は覚醒する。俺、シャワー浴びる前に何した……。
「うん、そうだと思ってた」
「俺じゃない方の俺だった」
寝惚けてたから、柚葉の体温や胸の中が居心地がいいと感じてしまったのだ。
「あっちの向葵でも、自分からキスなんてしてこないけど?」
「じゃ……、三つ目の人格なんだ、絶対」
俺がシャワーを浴びている間に、柚葉は朝食を用意してくれていたようで、テーブルの上にはスクランブルエッグと焼かれた食パンが並べられていた。
「その三つ目は、俺にベタ惚れの向葵なのか?」
「なんで、そうなるんだよ……」
柚葉は何も言ってこないけど、朝食は二つ用意されていて、俺も食べていいという事が伝わってくる。俺は素直にその行為に甘える事にした。
「好き人格と、大嫌い人格と、大好き過ぎちゃってます人格?」
「自惚れ万歳」
パンを手に取った時に、柚葉の言葉を耳にしてしまい、俺は思わず持ったパンを再び落としてしまった。なんだ……、大好き過ぎちゃってます人格って……。
「久々に甘えん坊の向葵見れたから、今日の俺は何を言われても傷付きません」
いつものように悪態ついても、柚葉の表情は緩みっぱなしで、凄く気持ち悪い。
「楠木 向葵は、高屋 柚葉がこの世で一番大嫌いです、顔も見たくないです」
どうにかしてこの緩んだ柚葉の表情を変えたく、俺は淡々とした口調でそう述べた。
「なにその、結婚式の時に言う誓いの言葉風に、天国から地獄に突き落としちゃってくれてんの」
さすがに、こう言ったのは、効き目があったらしい。緩みっぱなしだった柚葉の表情は、俺へと目線を鋭く睨んできた。なんか、勝てたような気分になった。
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