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第9話:さよならまでのcount down 2

 向葵が俺の中へ隠れる様になってから、気付けば初夏が近付いてきていた。いつものカフェテラスは、屋根もあるから鋭い陽射しを避ける事が出来る。都希や柚葉と待ち合わせで使ってはいたけど、向葵自身もこの場所は大学構内の中で好きな場所の一つだった。 「焦んなくていいよ……、付き合ってる間は、奪うとかするつもりないし、俺」  講義の空き時間に、そこで時間を潰していると、姿を現したのは、柊だった。先日の事を言っているのであろう柊は、俺の座ってる真向かいに座るとそう言葉を口にした。 「……」  告白されたんだ……、俺。でも、柊は俺に直接的な返事を求めてはこない。求めてはこないどころか、最初から答えは判っている口振りだ。カラオケショップで言ってきた時とは違い、一歩引いた印象を受ける。 「深く考えないでよー!」  俺が口籠もってしまうと、柊はいつもの調子で言葉を発する。 「あ、うん、悪い」 「でも、俺の事考えてくれるのは嬉しいかな……、あの引く手数多の向葵ちゃんが」  柊に目線を向けると、テラスの窓を背に座っていたせいか、柊の背後には鋭い陽射しが差し込めてきている。陽射しを逆光に背負っている柊は、微かに笑みを浮かべながら、そう言葉を漏らしていた。 「引く手数多じゃないし、俺仲良い友達居ないし」  心を許せて話を出来たのは、本当に都希だけだった。それは、中学の時から変わらなくって、都希が全ての拠り所だったんだ。 「……向葵ちゃんが、心開かないからでしょ」 「……そうかも」  柊に今言われて、俺は素直に頷いてしまう。確かに、向葵は自分から話を掛けたり、誘ったりとかする奴ではなかった。そのうち、誘われても、首を縦に振ることもなくなっていた。都希以外とは、そんな対応で過ごしてきたから、余計に心を開く事が出来なかったんだろう。 「だから、一人で抱え込んでそんなんなっちゃんでしょ、ね、内側に逃げちゃった向葵ちゃん」  ……内側に逃げちゃった、俺。  そんな都希も居なくなってしまったから、自分の中に居場所を作ってしまった。今の自分は、都希みたいに信用出来て、拠り所になってくれる存在に柊がなりつつあったのに、その感情には、都希にはなかった感情が混ざっていたことで、違いが出て、自分勝手にガッカリしてしまった。 -1- 「本当……、仲良くなったんだな」 「あ、柚葉……」  カフェテラスで、暫く柊と話をしていると、講義を終えた柚葉が俺の元へとやって来た。俺と柊の姿を目にしては、どこか溜め息混じりに、そう言葉を漏らす柚葉。 「彼氏くん、向葵ちゃんお借りしてます」 「そんなの断り入れなくても、今の向葵は勝手に動くから」  柊が柚葉に軽く頭を下げて言い告げると、柚葉は座ってる俺の隣に立ったままで言い返すと、俺を見下ろし目線を向けられた。 「…………」  目線を上げ、柚葉と目線が絡み合うと、柚葉にソッと目線を外された。その柚葉の雰囲気に、俺の中では小さな違和感を感じる。柚葉の部屋に泊まりに行った日、俺をリビングに置いてシャワーを浴びに行った、あの時にも感じていた違和感。 「なら、好き勝手連れ回してもいいって事かな?」 「……喧嘩売ってんの?」  そんな柚葉に気付かずに、柊はからかう口調で言葉を述べていた。柊の言葉が耳に届いたのか、柚葉は表情を引き攣らせていた。 「売ってないけど、宣戦布告はしたいかも?」 「……好きにしたらいいじゃん」  柊が言うと、柚葉は暫く無言になって、俺の方に目線を向けてくる。俺の方に目線を向けたままで、呟くように言葉を発した。 「柚葉?」 「ん?」  柚葉の雰囲気が気になって、俺は声を掛けたが、返答は短く返される。その態度は、素っ気なく、それでいて何処か冷たい印象を受ける。必死になって、俺を口説くと言っていた柚葉は、どこに行ってしまったのか。 「いや、なんでもない……」  必死になって、俺を追い掛けてきていた柚葉ではなくなっていた。 「そっ、んじゃ、俺、講義だから」 「ん、うん」  ただ、こんな雰囲気の柚葉を、俺は知ってる……。俺というよりも、俺の内側に居る向葵が知っている。向葵が何度も体験してる……、こういう時の柚葉だ……、浮気をするのは……。 -2-  柚葉はそのまま、言葉の通りにカフェテラスを後にしていた。俺はなんとなく、その姿を目線で追ってしまっている。後ろ髪を引かれる様子もなく、柚葉は立ち去って行った。 「向葵ちゃん?」  その柚葉の後ろ姿を無意識に、呆然と眺めていると、柊から声を掛けられて、俺は漸く、柚葉へと目線を向けていたことに気付く。思考を振り払い、声を掛けてきた柊へと目線を向けると、柊は俺の顔を覗き込んでいた。 「あ、ごめん、何でもない」  心配そうに俺の顔を見てくる柊に、なんでもないと首を左右に振り、俺は平常を装い答えた。 「顔色……、悪いよ?」 「そ、……そう?」  表情に出てしまっていたことに、俺は正直、自分に驚いた。いつまでも鳴り止まない、内側からくる胸騒ぎも、向葵が柚葉を気にしているのも、表情には出さずに、やり過ごしてきたのに。ここにきて、戸惑ってしまっている自分に驚いた。 「具合悪いとかじゃないなら、いいけど」  なんでもない素振りで、柊に言葉を返すと、柊は悟っているのか、平常を装った俺に気付いてないのか、柊の表情からは読み取る事が出来なかったけど、返ってきた言葉は俺の調子を気遣うものだった。 「んー……、たぶん大丈夫」  俺を好きだと言ってきている柊に、向葵が柚葉を気にしてるなんて事を、言えるわけもなく。俺はゆっくりと、首を左右に振り柊に答えを返した。 「溜め込まないで、吐き出したくなったら、俺にでも言って」 「うん……、ありがとう」  柊に言い告げながらも、俺は柚葉の態度の違和感を気にせずにはいられなかった。そんな俺を判っているのか、柊は俺の頭を軽く二度叩くと、その手でゆっくりと頭を撫でられた。  向葵が、柚葉を気にしてる。俺が、気にしてる訳じゃない。俺が見てるもの全て、向葵に伝わらずに、何も感じずに居られたら、完全に逃げ込む事が出来たのに……な。なんでこう、お互いに感じる事が出来てしまってるんだ……。いつまでも、辛いのは消えないな……。 -3-  初夏は過ぎ、大学は夏休みへと入った。あの出来事から、柚葉に会わなくなっていたが、夏休みでそれ以上に会うことがなくなった。ウザイくらいのライン通知すら、柚葉は寄越さなくなっていた。ウザく感じて居たはずなのに、俺はそれが気になって仕方がなかった。  夏休みの昼時、自身の部屋で、自身のベッドで横になり、俺は何もすることなく、天井を見上げていた。  内側に居る柚葉を好きなお前と、シンクロしてんのか……?  柚葉を好きになった時と同じ状況だもんな……、好きだ好きだって毎日言いに来てたのに、前触れもなく突然姿を見せなくなる。  何度も、俺は自身のスマホを確認してしまっている。 「……わかんね」  自然と自身のスマホの画面は、柚葉とのやり取りが表示されている、ラインの画面。時間を遡るようにスクロールさせていけば、柚葉からのみのメッセージの数々が流れていく。ほとんど俺は、それに返答することはしていなかった。俺と向葵が分かれてからだいぶ時間が流れている事を、このスマホの画面が教えてくれる。春が終わりを告げ始めていた季節だった。 「…………出掛けよ」  向葵が気にかけているこの感じが、とても俺には居たたまれなく、自室で呆然としているだけのこの状況が耐えられなかった。 「向葵? 何処か出掛けるの?」 「んー……、ちょっと買い物に行ってくる」  外出用の私服に着替え、夏も過ぎたから、肌寒く感じ半袖のTシャツの上に薄手の上着を羽織り、自室を出て階段を降りる。そんな俺に気付いたのか、母親はリビングから顔を出して声を掛けてきた。 「遅くなる?」 「わかんない……、あ、夜ご飯食べてくるから要らないかも」 「ん、判った、気を付けてね」 「はーい、いってきます」  母親の表情から察するに、夕食の支度はまだしてなかったようで、夕食の有無を聞きたかったのだろうと、推測し先に返答をすれば、満足な返答が返ってきたからか、すぐにリビングへと戻って行った。  気晴らしだけど、直ぐに帰ってくる気分でもなく、適当にどっかで食べれればいいや的な考えで、俺はそう母親に告げ、玄関を後にした。 -4-  街中まで出て、当てもなく歩き続ける。母親に買い物に行ってくると告げたものの当てもない。しかし、あのまま部屋で呆然としてて、余計な事を考えていたくなかった。用事があるわけでもないままで、街中のアーケードを歩き続ける。  目当てのものもなく歩き続けるのは、建ち並ぶ店先に目線を向けるも、立ち寄ろうという気持ちには、なかなかなれるものでもなかった。何軒もの店先を通り過ぎながら、それでも何か目的が出来ないかと、店先に目線を向けてしまう。  俺が産み出されたばかりの頃だったら、憂さ晴らしに誰かが声を掛けてくるのを、待っていたりもしていたのに……。以前、柊に止められた事が頭を掠めて、その行動に移すことが出来なかった。  それだけではない。それを肯定したくはないけど、胸を締め付けてくる、中に逃げ込んだ向葵の感情が伝わってきていて、その行動に移せない。俺はお前が逃げ込む為に生まれた人格だから……。俺の行動で、お前をこれ以上、苦しめる訳にはいかない。  建ち並ぶ店先に未だ目線を向けながら、それでも歩き続けていると、その1つの店先で、見知った2つの人影が、自身の視界を奪った。 「……あれ? 都希と……柚葉?」  そう、その2つの人影は、柚葉と都希。ドーナツや、コーヒー、軽食が食べれる飲食店の店先で、店の中に入る様子もなく、二人は何やら話をしている様子だった。俺は思わず近くにあった、立てられている看板へと、身を隠してしまっていた。  なんで……、なんで……。都希と柚葉が一緒に……。 「偽善者でいい子ぶってて、そういうトコ、大嫌いだったんだ、いい様だよね」  柚葉と都希が浮気をしていたのを知った時に、都希に言われた言葉が脳裏に蘇った。  どういうこと……だ? あの二人はまだ続いていたということなのか? それとも、この間の柚葉の態度から、また連絡を取って、都希と会っていたのだろうか。俺に……、向葵に会いに来るのを止めて。 「向葵が一番大切にしてるもの、奪ってやろうとしただけだから」  奪ってやろうとしただけだから……。  これ以上、この場面を向葵に見せる訳にはいかない。だって、こんなに身体が震えて、立っているのもやっとで、向葵がまた苦しんでる。 -5-  俺は急いで、その場から離れ、最寄りの駅へと、早足で歩き出した。  内側の向葵が動揺してんだ……、俺じゃない。向葵が苦しんでいるんだ。俺じゃないのに、身体が異様に震える。  駅構内へと、やっとの思いで辿り着き、構内にある休憩所へと足を向ける。何個も椅子が並べられている休憩所へと、足を踏み入れ、空席を探す様に目線を見配らせ、なるべく奥の空席に目線を向けた。運が良く、休憩所の一番奥に空席を見付けて、俺はそこへ向かった。  俺は、柚葉なんか嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。大嫌い。あの場面を見て、動揺なんてしてない。身体の震えは全部、向葵から発せられてるものだ。俺が代わりに、受け止めてやればいいんだ。俺じゃない。  休憩所の一番奥の空席へと辿り着き、俺はそこに腰を下ろした。腰を下ろして俯き、回りに居る人に悟られない様に、ゆっくりと息を深く吸い込んだ。自身の足元へ目線を下ろしていると、視界の端に、小刻みに震えている自身の右手が写る。右手を左手で強く握り締め、今度はゆっくり息を吐いた。  浮気をするときの……、柚葉の態度。向葵の気持ちに、不安になった時の柚葉。  俺は、柚葉が嫌い。 「向葵の気持ちを試してた……」  今回も試された? 今回は柚葉の不安を、ただ安らぎさせたかっただけ?  いや、俺は柚葉なんか、嫌いだって。大嫌いなんだから、俺が気にする必要なんてない。向葵……、動揺するな……、する必要なんかない。結局、何を言ってても、柚葉はそういう奴だったんだよ。  俺はポケットからスマホを取り出し、操作をして通話ボタンを押した。数回のコール音が耳に届いた後に、通話が繋がった音を聞く。 「…………柊、家行ってもいい?」  ただ、ごめん、向葵。お前の感情を受け止めるには、きつ過ぎたんだ。 -6- 「向葵ちゃん! こっち、こっち」  柊に電話をすると、2つ返事で、柊の住むアパートへの行き方を教えてくれた。街中の最寄り駅から、大学の方へと向かう電車に乗り、大学の最寄り駅よりも、2つ前で降りた。柊は、大学に電車で通っていたみたいだ。  電車を降りて、改札口を通ると、入り口付近で、柊は待っていてくれていた。手を振り、俺に判るように声を出す。 「……柊」  柊の元へ歩み寄り、柊に電話をしてしまったことに、こうやって会いに来てしまったことに、戸惑ってしまった。 「どうした?」  無意識に柊の名を口にすると、柊は心配そうに、俺の顔を覗き込んできていた。 「なんでもない……、ただ一人で居たくなかっただけ」  俺は首を左右に振り、柊に言葉を返した。その言葉を聞くと、柊は驚いた様に一度目を瞬かせるも、すぐにその表情は笑みへと変わる。 「……それで、俺とか、ちょっと期待しちゃうな」  そう言葉を口にしながら、柊のアパートがある方向であろう道を、指で指し示して、向かい歩くように促してきた。 「だから俺……、友達居ないって言ったじゃん」  嬉しそうに言われると、照れくさくなってしまい、重なっていた目線を俺は外してしまった。そのまま、足を歩みだして会話を続ける。 「前はよく坂田くんと一緒に居たけど……」 「…………」  坂田……、都希。確かに前は、前の向葵は、良く都希と一緒に居た。ただ、今は……。俺は柊の言葉を耳にすると、思わず足を止めてしまった。 「……あ、触れちゃいけないとこか」  足が止まってしまっている俺に気付いた柊は、俺に振り向き、申し訳なさそうに言い告げてきた。 「……柚葉と都希が浮気してたの知ってから、会わなくなった」 「え……」  俺は素直に真実を、そのまま言葉にすると、柊は驚き、小さく声を漏らしていた。 -7-  小さく漏らした柊の声を耳にすると、その後、暫くの沈黙が続いてしまう。 「あ、俺夜飯まだなんだ、向葵ちゃんは?」  暫く続いた沈黙を破ったのは、今までの会話とは関係のない問い掛けをしてきた柊だった。 「え? あ、食べてない」  突然問い掛けられたものの、柊からの問いは極簡単なもので、思考を巡らせる事なく、返答することができた。 「向葵ちゃんほっそいんだから、ちゃんと食べなきゃだめだよー、コンビニ寄るよ」 「ん、うん」  柊はそう言うと、立ち止まってしまっていた俺の腕を掴み、そのまま歩き出した。柊のアパートに向かう途中にコンビニがあるのであろう、その方向へと向かっていた。  コンビニの前まで来ると、柊は何も言わずに俺の腕を引いたままで、店の中へと歩みを進めた。 「こういうときはお酒だよねー、酒買うよー」 「……買いすぎじゃないか……、柊」  漸く、腕を離されたと思ったら、柊は買い物かごを手にして、飲料売り場へと行くと、かごの中に次々と酒を入れ始めた。そのかごの中を覗き込むと、数本とはお世辞でも言えないくらいの量の酒が入っていた。 「いっぱい呑んで、イヤなことは忘れよ?」  俺が言葉を言い告げると、柊は、はにかんだように笑い、俺の頭を撫でながらそう言い返してきた。 「……ありがとう」  柊に辛いって苦しいって言ってないのに、こんな事で頼っちゃいけないって判ってるのに、それでも柊は俺を安心させようとしてくれる。 「つまみも買ってよ」 「よしよし、お兄さんが奢ってやる」 「……っ、同い年だろ」  柊の返答がおかしくて、俺は思わず笑ってしまう。酒を選んでから、夕飯にする弁当とつまみを選び、それを柊は本当に奢ってくれて、俺達はコンビニを後にした。 -8-  コンビニで買った弁当を食べ終え、俺達は一緒に買っていた酒を空け始めた。 「ほんと……、大嫌い」  酒の力もあってか、俺は柊に今日あったことを、ポロポロと話始めていた。一通り話終わるまで、柊は相槌を打ちながら、ずっと黙って聞いてくれていた。話終わると、俺は思わず、そう言葉を漏らしてしまっていた。 「向葵ちゃん、それ、なんか大好きに聞こえる」 「え?」  柊から返ってきた言葉に、俺は耳を疑ってしまう。だって、俺は向葵の、柚葉を嫌いになりたい想いから生まれた人格で、だから俺は、柚葉の事は大嫌いで……。 「会いに来なくなって、気になってて、坂田くんと一緒に居るとこ見てそんなんなるなんて、すっごい好きなんじゃん、彼氏くんのこと」 「違う……、俺は柚葉が大嫌いで……、好きなのは内側に居る向葵で……」  柊の言葉が、胸を締め付ける。俺は持っていた酒の缶を、さっきまで食べていた弁当の空容器が片付ける事なく置いてあるテーブルの上に置き、首を左右に振り言葉を発した。 「嫌いとかって……、強がってるだけじゃないの?」  柊の言葉が、胸に突き刺さる。それでも俺は首を左右に振り続け、否定の言葉を口にした。 「違う……、嫌い……、アイツなんて大嫌い」  嫌い。嫌いなんだ、俺はアイツが嫌い。向葵の嫌いになりたい想いの人格だから、柚葉の事が嫌いな人格なんだ。大嫌いなんだ……。そうじゃなかったら、俺は……。 「……向葵ちゃん、そんなんなるくらいなら、本当……、俺にしなよ」  自身に言い聞かせるように、言葉を漏らしていると、柊は俺の頬に両手の平を当て、ゆっくりと撫でてきた。俺が、柊の方へと目線を向けると、柊は眉間に皺を寄せ、俺を見据えてきていた。  俺は、その柊の目から離す事が出来なかった。柊の表情が、苦しそうに見えたから……、目が離せなかった。 -9-  目を離せないでいると、気付いた時には、柊の顔が至近距離まできていた。そのまま、柊は、俺の唇に自身の唇を軽く重ねてきた。 「え? しゅ、んっ」  俺……、柊に、キスされてる。  柊は唇を重ねながら、俺の肩をゆっくりと押し、身体を床へと倒された。酒のせいで、身体に力が入らなくて、俺はされるがままになってしまっている。 「別れるまで、待ってようと思ってたけど……、ダメだ、俺」  俺から唇を離すと、柊は俺を見下ろし、悲痛に歪んだ表情で、小さく声を発した。酒特有の身体を浮わつかせる感覚に、頭を揺られながらも、柊の言葉はしっかりと、耳に届いてくる。 「しゅ……う、やめ」  柊は俺の首筋へと、顔を埋め、俺の身体をきつく抱き締める。上から覆い被さられていて、柊の身体の重みが全身に伝わってきていた。 「あんな、浮気ばっかして、向葵ちゃん苦しめる奴より、俺にしなよ」 「ん……、ん」  耳元でそう囁くように、俺に言い告げると、柊は顔を上げて、再び唇を重ねてきた。 「な……、向葵ちゃん」 「……柊」  重ねられた唇を離すと、柊は見下ろしながら、俺の頬をゆっくりと撫でてきた。それは、本当に愛しそうに目を細めて、優しく、大切そうに撫でられた。 「俺は、絶対に、浮気なんてしないよ?」  柊は真剣な眼差しで、そう問い掛けてくる。 「…………うん」  俺は柊に抱き付きながら、頷き答えてしまっていた。柊の問い掛けに頷く意味が、柊の告白の返事に、肯定しているという事だということは、判っているはずなのに、俺は頷き答えてしまっていた。  なんで、俺頷いちゃったんだろう……。 -10-

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