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第3話
「経済学部の男に絡まれてる?」
つり目の男の目がさらに吊り上がると随分迫力が出る。今時分の若者らしい格好をしているくせに、やたら爺臭いところがある男の名を斎藤律という。
昴流は神妙な顔で頷いた。奢るから話を聞いてくれ、と大学の近くのカフェに誘った。現金な男であると同時に安い男でもあるので、コーヒー一杯で相談に乗ってくれる。今日は例外でパンケーキ付きだ。
普段は女子で賑わっているのだが、今日は閑散としている。プリンが美味しいと噂のカフェが新しくオープンしたようで、女子はそちらに流れたという。友達のいない上に情弱な男は、そんなことも知らずにパンケーキを食べに来たというわけだ。
「脅迫?」
「いや……」
月尾大輝という男は、あれから何度か姿を見せていた。毎回のように小学生並みの嫌味を残して帰っていく。初対面の時の印象を返してほしかった。
しかも、決まって絶対に会いたくない時に限って姿を見せる。常にタイミングばっちり。
ちなみに大輝とは一般科目すらひとつも被っていない。どうやって見つけ出すのかはさっぱりわからないが、いちご牛乳片手にふらりと現れる。いいだけ昴流をいびってまたふらりと去っていく。何がしたいのかさっぱりわからないが、腹が立つことは確かだった。
先週の話だ。
ただ飯を食わせてやる、とありがた迷惑な誘いに乗って合コンに行ったら大輝がいた。女の子たちへの話し方がひどく優しい上に、ちょっと掠れた声が気に入られている。
大っぴらに昴流に絡んでこようとはしなかったが、時折感じる視線が居心地が悪かった。
「ね〜、どの子がタイプ?」
トイレに行ったら後ろから大輝の声が絡んできた。ちらっと振り返るとにやにやと笑いながら用を足しているのを眺めている。
「そういうのは他のやつとやれ」
「合コンなんて興味なさそうな顔してんのに。やっぱりお持ち帰りするんだ?」
「おまえに関係ないだろ」
手を洗いながら鏡越しに大輝を見ると、やっぱりまだ昴流をみていた。
「むっつりめ」
手についた水をわざと大輝の前で振ってトイレを出た。
さっさと帰ろう、と決めたのに少し気になっていた子が「宇月くん、帰っちゃうの?」と小首を傾げたので予定は狂った。定番のカラオケに行くことになっていた。
大輝に女の子をとられた男子たちが、やけっぱちになって王様ゲームを始めたのが運の尽き。
「一番と五番がキス!」
なんてノリの良い子が言った瞬間、反対側にいた大輝の顔が凍りついた。一瞬馬鹿にしそうになって、自分の番号を確認した時、たぶん同じような顔をしていた。
「月尾と宇月? めっちゃうけるな!」
わーわー囃し立てられて、げんなりしながら立った。
「お前ら人のちゅーみて楽しいのかよ!」
大輝がおちゃらけながら立ち上がると、またオーディエンスが沸いた。
テーブル越しに向かい合わせに立ち、へらへらしている大輝を睨む。気分はまるでタイマンを張るヤンキーだ。これからするのはキスだっていうのに。
「昴流ちゃんとキスなんて、やってられんね」
ムカッとして眉をひそめた隙にちゅ、と唇が触れた。
「みじけえよ!」
「もっと!」
オーディエンスはどこまでも我儘だ。今度は昴流からキスして、何度か啄んだ。男の唇でも柔らかいんだな、と妙な感動を覚えてぺろっと舌を舐めた。
それが大輝の唇だということを一瞬忘れていた。
はっとして唇を離すと、ほらみたことかと言わんばかりに大輝が笑っていた。
「やっぱりむっつりだな」
「何が悪いわけ」
「なんも?」
誰かが歌い出したので、ふたりの会話を聞いている人はいなかった。
ムカついている間に大輝は席に座り直していた。
その後、やってられなくなって気になっていた女の子と抜け出した。
なんてことがあったのだ。
「むっつり」
「うるさい」
「好きな子いじめる男子みたいだな」
パンケーキにかじりつきながら律が鼻で笑った。律のパンケーキは目玉焼きやらベーコンが乗っているお食事系だ。対して昴流はバターとメープルシロップがたっぷりかかっている。生クリームとバニラアイスをトッピングした贅沢仕様だ。昴流は大輝によるストレスを好物で相殺しようとしていた。ただ、そのせいで最近甘味の摂取量が増えているのも事実だった。
律の言う通りなのだが、大輝が昴流を好きなはずはない。何しろ前世で憎しみあっていた仲だ。
「タイミングが悪いって言ってたが、どうタイミングが悪いんだ」
「絶対寝不足の日にやってくる」
今日なら相手してやると身構えている時は声すら聞こえないというのに。
寝不足の原因は前世の夢を見るせいだ。端から見たら寝ているのだが、夢の中で前世の俺の人生を歩んでいる。整合性のとれない夢ではなく、辻褄の合った第二の現実を生きているようで全く眠った気がしない。
「寝不足のお前、最悪だものな」
律は納得したように頷いている。
そんな今日も寝不足だ。
「今日も危ないんだ……」
がっくりと項垂れると、ちょうどカフェのドアベルが鳴った。洒落た内装にぴったりの優しい金属音。その音がまさか、大輝警報だとは気がつきもせず、俺はコーヒーに口をつけた。
「おっ、いくじなしの昴流ちゃん」
目が合った途端飛んできた悪口にコーヒーを口から溢しそうになる。しかし、俺が何かいう前に真っ赤な頭を誰かが叩いた。
「いたっ」
「なんて絡み方してんだよ」
叩いた男は俺に向かって手を合わせて、申し訳なさそうな顔をする。
「邪魔してすまん」
「あ、いえ……」
ちらりと律を見ると、フォークにパンケーキを刺したままぽかんとしている。どうやら俺の相談内容と現実が合致したらしい。
「昴流ちゃん、甘いもの好きなんだ」
「何か問題が?」
「いや?」
「大輝、好きな子をいじめる男子みたいなのやめろよ。こっちが恥ずかしいわ」
「ほっとけ」
「宇月くん、いつも大輝が迷惑かけてるだろ。あいつ普段あんなこと言わないから、俺もびっくりしてる……」
それは俺の知っている大輝ではない。
俺が考えていることがわかったのか、大輝の友達は苦笑して見せた。
「あ、佐々木智也です」
なんて良識的なご友人だろうか。感動しながら奥の席に座っている大輝をチラリと見た。
頬杖をついて窓の外を見ている。その憂いた目は先ほどまでちくちくと嫌なことを言っていた男だとは思えない。そしらぬ顔で外を見ている男に顔を掴んで、無理やりこっちを向かせたくなる。きっと睨みながら暴言を吐くことだろう。今までの仕返しでキスでもしてやろうか。
「うづきくーん、怖い顔してるよー」
智也に言われて我に返った。
律は興味なさそうな顔をしてパンケーキを食べ終わろうとしていた。
「たぶんだけど、宇月くんと仲良くしたいんだと思う……あんな態度だけど……」
窓の外を見ている大輝から目を離して、ちらりと智也を見る。申し訳なさそうに昴流を見下ろす目に偽りはなく、ただ友人を案じているようだった。
「俺は仲良くするつもりなんてないよ」
「……自業自得だなあ」
智也の目が大輝に向けられる。優しくて子供でも見るような目を見てやっと気がついた。もしかして、大輝は本当に俺と友達になりたがっているのか。
無理だろう、と叫びたくなって堪えた。
俺がこんな気持ちになっているんだから、お前だってそうじゃないのか。
混乱したまま、ぼんやりしていると店員が大輝の前にクリームソーダを置いた。
よそ行きの声がありがとうございます、と礼を言う。
クリームソーダなんて飲むのかよ。
自分も好きなくせに、心の中で大輝を馬鹿にする。メロンソーダをストローで吸って減らし、ソーダスプーンでバニラアイスを溶かしている。こどものようなあどけない所作をついつい見守ってしまう。大輝はそんなことには気づかないぐらい夢中らしい。
バニラアイスが溶けたメロンソーダを飲んだ途端、それまで真顔だった大輝の顔が綻んだ。頭の周りに音符が踊っているのが見えるくらいに上機嫌だ。
「昴流?」
律の声ではっと我に返った。
一瞬でも大輝を可愛いと思ってしまった自分に苛々しながらパンケーキを一口食べる。甘い味が口の中に広がった。砂糖と卵と小麦。それから生クリーム、バニラアイスとメープルシロップ。
唐突に女の子の肌を思い出した。肌と肉の柔らかさ、女の子の汗の匂い。
「……昴流、なんかやらしい顔してるよ」
「えっ」
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