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第5話

 品行方正な昴流には、ひとつだけ不名誉なレッテルが貼られている。  学友は口を揃えて言う。「お前はヤリチンだ」と。  昴流に言わせてみれば、女にモテたいという男子はあけっぴろげ女の子に飢えすぎだ。前世の記憶からも、下心丸出しの男は女の子にいまいちモテないというのは推測できていた。これは高校時代にクラスメイトによって検証済みだ。ただ、顔がいい男というのは、下心を前面に出してもモテる。  昴流自身も女の子の方から寄ってくる性質があった。  おかげで、地元にいた時から、モテなくて寂しいという苦労をしたことがない。  地元には高校がなく、隣町まで通っていたのが、いいところのお坊ちゃんというステータスがついて回ったせいでもある。ただ、地元でなんのかんのと言われて祖母に知られる気まずさから、一度しか女の子と関係を持ったことがない。  祖母の目がないという気楽さから、大学に入ってから女の子と関係を持つことが増えた。前述したように昴流は本当に立ってるだけで女の子が寄ってくる。他校の同年代から、年上の女性まで。  一度だけ、厄介な女の子に付き纏われたことはあったが、いつの間にか律の彼女になっていた。  そんな感じで来るもの拒まず、去るもの追わずというスタンスをのらりくらりと続けていたら、友達連中にむっつりヤリチンと罵られることになっていた。  今日もメッセージアプリで一言「会いたい」と言うとすぐにレスポンスが来た。お互い気軽な遊び相手、という利害が一致している女の子というのはありがたい存在だった。 「昴流くん、おひさー」  ベッドでスマホを触りながら待っていると、インターホンが鳴った。女の子の顔を見た瞬間、今日の相手に彼女を選んだことを後悔した。 「あれ、昴流くん、猫飼い始めたんだ」 「いろいろあって」  まろひこが鳴きながら佳代の足に纏わりつく。  まろひこを引き取ってから、二週間が経っていた。  持ち前の真面目さにくわえ、後々降りかかるであろう様々な面倒を考慮し、昴流は寝る間も惜しんでまろひこをしつけた。主に用を足す方の。一度ついた匂いというのは、人間の鼻にも厳しく、また、猫が何度も粗相する可能性がある。厄介だ。  昴流の努力のおかげか、まろひこは今のところ一度も粗相をしたことがない。 「猫大丈夫だったよね」 「大好き!」  大輝とはあれから一度も話していない。姿を見るのも嫌で、大輝のシルエットが見えると進行方向を変えるほどに避けている。  まろひこに会いに来てもいいと言ってしまった手前、こんなことを続けるのも心苦しかった。  距離が縮まる予感が、c恐怖にすり替わるのをどうしようもできない。 「怖い顔してるよ?」  顔を覗き込んできた彼女の手を掴んで押し倒した。きゃっ、と小さい悲鳴をあげた彼女をベッドが受け止めた。  度重なるブリーチで痛んだ毛を一房とる。 「髪、染めたの?」 「うん、気分転換」 「いいね」  不安にさせないように髪に口付けると、彼女の表情が和らいだ。  白いシーツによく映える赤。  染めたばかりの鮮やかな赤。  目を覚ました凶暴な部分が、骨を伝い、血に染み渡り、脳を犯す。 「佳代ちゃん、ごめん」 「えっ」  深く唇を合わせた瞬間、脳内に太陽を弾くあざやかな赤が蘇った。それからカラオケでキスした唇の柔らかさを。  ブラウスを剥ぎながら柔らかな白い肌に噛みつく。 「ちょっと痛いよ」  冷たい指先が耳朶を引っ張る。冷え性なんだな、とどこか遠くで思いながら、その手を掴んで口に含んだ。   昴流ちゃん、犬かよ。  低くて掠れた声は、張り出た喉仏を震わせながら昴流を罵る言葉を乗せる。  あいつを押し倒したらどんな顔をするだろう。憎んでいる相手に服を剥がれ、手足を押さえられたら。扱いたら充血し、とろとろと涎を零す情けない海綿体を想像して妙な興奮を覚えた。    止める声も聞かずに、ふっくらした唇に優しく口付けたら。 「昴流ちゃん、殺さない程度なら好きにしていいよ」  化粧品の味がする唇を吸って離すと薄茶色の人工的な虹彩が瞬いた。  もう一度ごめんと呟く。佳代は何故か嬉しそうに表情を緩めた。その顔がクリームソーダを飲んだ時の大輝の顔と重なって、最後の枷が外れた。 「昴流くん、そんな思いつめんなって」  裸の背中をぽんぽん、と濡れた手が叩いた。昴流は佳代がシャワーを浴びている間、ずっと頭を抱えていた。  現実で佳代を、頭の中で大輝を犯した代償として、佳代の体には無数の鬱血痕が残った。吸ったのも噛んだのも様々だ。 「昴流くん、いっつも優しいからね。ギャップ萌えってやつ。でも、本命の子にこれしたらド ン引きされるかもね!」  気をつけなよ、と強めに背中を叩かれて振動で思わず呻いた。  おざなりに縛ってベッドに放っていたコンドームを佳代がゴミ箱に投げ入れる。  硬いシーツに寝転がりながら、コンドームの軌跡を目で追いかける。  妄想の大輝は可愛かった。射精の予感に身をよじらせ、吸われても噛まれても気持ちよさそうに声を漏らした。快楽を耐えるように噛んだ唇に舌を割り込ませると、健気に絡んでくる。敏感すぎて辛いであろう鈴口を擦ったら吐き出される白濁、甘く掠れる声。  それらに興奮した証は今やゴミ箱の中である。  ズキ、と痛んだ股間を思って心底生きるのをやめたくなった。  妄想セックスを思い出して勃起するなんて高校生みたいだ。 「……佳代ちゃん、もう一回しない?」 「そんなに性欲強かったっけ?」  不思議そうに首を傾げた佳代に甘く口づけして、募る自己嫌悪から目を逸らした。    おまえにこの刀を。  それだけ言うと顔を背けた主人である男をしげしげと眺める。ふたりの間にある刀は、男が先代より受け継いだ宝のひとつであったはずだ。  いいから受け取れ、という言葉を聞いてやっと男が目を合わせない理由に合点がいった。  照れていらっしゃる。  口には出さなかった。  面映い想いで刀を受け取り、男に大切にされているという幸福から微笑んだ。  細めた目に次に映ったのはどす黒い血だった。  妹が母親から譲られた着物を血で濡らしていた。既に事切れた妹を腕に抱いているのは、彼女の旦那だった。  男は呆然と虚空を見つめている。頬に塗りつけられたような血はすっかり乾いていた。それが、妹の手の痕だとわかって苛立ちが募る。  どうして助けようとしなかった。  口を開く前に、男がやっとこちらに気付き、目を伏せた。  すまん。  たった一言。いつも嫌味ばかり言う男が、それしか言えない事実が胸に突き刺さる。  ふたりをかろうじて繋ぎ止めていた妹はもういない。  光貞と実継が完全に袂を分かつには十分だった。それが少し寂しいような気がした。  妹を殺した下手人はほどなくして捕まった。光貞を殺すつもりだった、と言っていたという。光貞が実継以外にも恨みを買っていたとはその時まで知らなかった。  葬式の時、光貞は珍しく酔っていた。落ち込んでいる喪主をどうにか元気づけようと周りがしこたま飲ませたらしい。  とっくりを持ってひょこひょこと実継のもとにやってくると、もうすぐ空きそうだった杯に並々と酒を注いだ。  義兄さん。一度呼んでみたかったんだ。  いつも仏頂面の男が懐っこく笑った。  もしかして、今まで自分は光貞のことを誤解していたのだろうか。  実継もきっと酔っていた。ふたりは出逢って初めて、気を許した仲のように喋った。  関係が改善したかと思われた矢先、光貞の謀反が告げられた。  妹はもういない。  通夜で交わした言葉の数々が指の間からこぼれて消えていった。  

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