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第6話
恐ろしく講義に出るのが億劫な日だった。
自己嫌悪にとっぷりと浸かっていると言うのに、追い討ちをかけるように見た前世の夢でへとへとだった。
魘されて目を覚まし、あまりの気分の悪さに二度寝することは敵わなかった。
癒されるつもりが最終的に疲労困憊である。
日陰のベンチを見つけて読みかけの本を開いた。今日は絶対に大輝に会いたくない、と思ったところで空気が読めない襲来者は呑気にやってきた。
挨拶もそこそこににやにやしている赤髪の男は例の如くいちご牛乳を手にしていた。
「やらっしいな」
自分の首筋を叩きながら大輝が笑みを深める。視線の先には昴流の首についたキスマークがある。顔を顰めて本に目を戻した。
「彼女?」
「いや」
「爛れてんねぇ」
ああ言えばこう言う。
「某有名大名の御家人、セフレと熱い夜!」
まるで週刊誌の見出しのような言葉を歌うように口にする。
ないまぜになった感情が胃から溢れそうだった。大輝だけのせいではない。そのセフレとの最中にした妄想と、それを今思い出している自分への嫌悪。月尾大輝と卯月昴流という人間が存在することにすら、苛立ちを覚えていた。
「セフレちゃんとはどこで出会ったんですかー? ナンパ? 合コン? それとも出会い系サイトかな」
「黙んないと舌突っ込んでキスするよ」
自然と出てきた言葉に自分でも驚いていると、大輝がぱちりと瞬きをした。
「……えっ……は……?」
ぷっくりした唇が震え、困惑した声が漏らしながらじわじわと顔を赤く染めていく。いちご牛乳をきゅーっと飲み干し、紙パックをぐしゃっと握り潰すと俯いてしまった。紙パックを握る手がもじもじと動いているのもばっちり見てしまった。明らかに照れている姿に困惑した。
「……何しに来るんだよ」
試しに聞いてみると大輝がちらっと見た。頬がまだほんのり赤い。春の陽気にやられたのか
と思うほどだ。
「しんどいかなって」
「何が?」
「昨日夢見たでしょ」
ひやり、と嫌な汗がこめかみを濡らす。大輝が頬を染めたまま、何かを諦めたように笑った。
「ひとりより、ふたりの方がしんどくないよ」
「おまえも、見ていたのか」
押し出した声が緊張でひっくり返りそうになる。ずっと聞きたかった答えが差し出されようとしている。
「毎日ね。まあ、大学に入ってから見始めたからたいしたことないのかもしれないけど」
目を見開くと大輝は頷いた。
昴流でさえ二日連続で見る日は数少ない。今日はレアな日だった。
大学に入ってから、ということは一年丸々。毎日。
「暴言の数々は……」
「あー、あれは」
大輝はちょっと考える素振りを見せると、慎重に口を開いた。
「なんかそうしないといけない気がして」
憎悪に押し潰されそうになっている俺と、俺に毒を吐かないといけない大輝。
夢を見る度、前世の自分に染められていく。幼少期から夢を見ている昴流は、夢を見る前の人格を覚えているものはいない。昴流は昔からこういう性格だったと誰もが言うだろう。
大輝はこれからどうなるのだろう。夢を見る度、二十年かけて形成されたはずの月尾大輝という男は変質してしまうのではないか。
この薄茶色の瞳が昏い色を乗せて、嫌味っぽく笑うようになったら。
ぞっとした。
ただの夢、で終わらせることができない。現に大輝は夢につられて毒を吐いている。
殺して殺される前に、綺麗さっぱり縁を切った方がいいに決まっていた。
「……ちょっとくらい仲良くしろよな」
「……それとこれは話が違うだろ」
はは、と乾いた声で大輝が笑った。
その笑顔に気を取られて距離を取ろう、と言いそびれた。
仲良くしてもお互い苦しいだけなのは目に見えていた。
ひらりと視界に二枚のチケットがかざされた。
見たことのある店名にハッとして大輝を見ると、にやにやしている。
「とりあえず、スイーツバイキングからはじめませんか?」
昨日甘いものが好きなのかと確認してきたのは、これに誘うためだったのか。
大好物を前に吊るされ、俺は渋々頷くしかなかった。甘いものに罪はない。
大輝の言う通り、ちょっとぐらい仲良くしてもいいと思ってしまった。今は前世も地元も関係ない。たとえ、お互いにちょっと苦しむことになっても。
「……猫、見に来る?」
薄茶色の瞳が、ふっくらした唇が、嬉しそうに綻んだ。
「行く!」
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