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第7話
河童の像の前に11時に待ち合わせな、というメッセージを恨めし気に眺める。
11時半になっても大輝は現れていない。
無断ドタキャンか、いい度胸だな。
まだ本格的な夏ではないとはいえ、待ちぼうけを食らって些か疲れた。
あと十五分経ったら帰ろうと決めたところで、人並みから赤い毛玉が駆け寄ってきた。
昴流の元までやってくると、息を切らしながら深々と頭を下げた。
「遅れてごめんなさい」
「……理由を聞いてやるよ」
「言わない」
「なんで」
口をへの字にして黙っている大輝に苛立った。それでも大輝は言うつもりがないようで、もう一度、遅れてごめんな、と言いながら歩き始めた。
頑なに言わない理由が気になって、態度を和らげて尋ねてみる。
「寝坊?」
「寝てないから寝坊はない」
「若いな」
ちらりと大輝を顔を見ると、確かに寝不足特有の腫れぼったさがある。寝ていないのは本当らしい。
「……もしかして、通りすがりのおばあさんの荷物を持ってあげたりとか、迷子のこどもを迷子センターに連れて行ってあげたりとか」
「なんでわかったんだよっ」
食い気味に叫ばれ、思わずにやりと笑ってしまう。
「そんなベタな奴初めて見たよ」
拗ねて尖らせた口につられて、眉まで寄っている。ずいぶん表情豊かな男だ。
今日行くケーキバイキングは、デパートに入っているケーキ屋で期間限定で開催されている。会場につくと既にほぼ満席だった。
運良く空いていた席に着くと、店員が簡単に説明をして去っていく。
女性が多い中で男性二人客というのが大変目立つことを今日初めて知った。周りのテーブルの視線が痛いが、大輝は知らん顔で席を立ったので、昴流もそれにならった。
皿を片手に美しく陳列されたケーキの前に立つと、脇腹を肘で突かれる。
「昴流ちゃん、ここのケーキ、全部食べ放題なんだよ」
「……最高だな」
色とりどりのケーキを前にすると、周囲の視線も、連れが宿敵だということも忘れてしまった。
すっかり夢中になってケーキを皿に乗せてテーブルに戻ると、大輝は優雅に紅茶を飲んでいた。
「それ、いいな」
「向こうにあった」
指差された方を見ると、確かに湯沸かしポットが用意されている。前の女性を待つ間、手持ち無沙汰で自分のテーブルの方を見ると、大輝がふわふわ女子ふたりに手を合わせて頭を下げた。ふわふわ女子たちも、ぺこぺこ頭を下げながら去っていく。
「ナンパされたのか」
「昴流ちゃんもね。一緒にどうですかって」
「……そういうの、ほいほいついていきそうだけど」
「俺をどんな目で見てるんだか。昴流ちゃんと来たかったのに、ナンパについていくわけないでしょ」
ラズベリーのムースを纏ったケーキにフォークをさしながら、至極真っ当なことを言う。本来、月尾大輝という男はこういう奴らしい。
「そんなに俺と来たかったの」
「うん」
照れもせず頷いた大輝に戸惑いながら、ティーカップに口をつける。アールグレイの香りを飲みながら、不思議な気持ちになった。
昴流は前世と今の自分に大きな差異はないと思っている。
しかし、大輝は。
脳裡に昏い目が浮かび、一瞬にして憂鬱な気分になる。目の前には大好物がこんなにも食べてもらうのを待っているというのに。
「昴流ちゃん」
はっとして顔をあげると、目の前にずいっとフォークが差し出される。
フォークに乗っているのはさっき大輝が食べていたラズベリーのケーキが一口大。
「美味しかったから、どーぞ」
つん、と唇にあてられて素直に口を開いた。やんわりと入ってくるケーキを口で捕まえる
と、フォークがゆっくりと抜かれていく。甘酸っぱいムースとタルト生地が口の中で砕けてとけた。
「ラーメン食いたいなー」
甘いもので満たされた腹を抱えて重たそうにしている昴流の横で、大輝は元気そうに潮見のあるものを所望した。
昴流は今日初めて、己が甘いものを大量に食べられないことを知った。ケーキというのはそんなにいっぺんに食べるものではないらしい。二皿目を平らげた頃には、口直しのコンソメスープを手放せなくなっていた。
対して大輝は時間いっぱい甘味を楽しんで、まだけろりとしている。
どんな胃袋をしているのかと訝しんでいる最中だ。
「腹ごなしに歩いたらラーメン食いに行かない?」
「まあ、いいけど」
「美味しいとこ知ってるからさ」
のどかな昼下がりの街並み。
楽しそうに前を歩いている赤髪が、春の日差しを透かして薄く光っている。
赤い髪はすぐ色が抜けると聞くが、大輝は会うたび鮮やかな赤だった。
色が抜けるたびに染め直すようなまめさがあるのだろうか。
ぱっと見大雑把に見えるが、服もお洒落だ。その上、肌にハリや艶がない同年代が多い中、大輝は白くて瑞々しい肌をしている。身なりに細やかな気づかいを感じて少し戸惑った。
そのラーメン屋は大輝がバイト前に食べにいくことが多いらしい。この辺でバイトをしているのか、と慣れない街並みに緊張した。何しろ、今はその気配は微塵も感じさせないが、目と鼻の先にネオン街がある。
「昴流ちゃんって大学以外で何してんの」
ラーメンを食べながら大輝が尋ねてくる。おまえにいう必要はない、と一瞬思ったが、これは大輝なりのコミュニケーションの取り方だと気がついて思い直した。
「バイト、とか。本読んだり」
「何のバイト?」
「個別指導塾」
「頭いいんだもんなー」
昴流はラーメンを啜っている大輝を見て感心していた。
まるでフレンチレストランでラーメンを食べているかのような優雅さ。
どんなに見目が麗しくても、麺を啜ると途端に男臭い荒さが見えてしまうものだと思っていた。律なんかがそのタイプで、線の細さに見合わず食事の所作はどこか粗雑だ。
「おまえは何してるの」
「調理学校行ったりバイトしたり」
「調理学校?」
「そう、夜間のね」
「へえ。自分の店、持ちたいとか」
「ゆくゆくは? うちの親がフレンチのレストランやってるから手伝いたいってのもある」
「将来の展望がしっかりしてらっしゃる……」
「さては、俺をちゃらんぽらんだと思っていたな」
おっしゃる通りで、の意味を込めてわざとらしく頭をゆっくり下げる。大輝はおかしそうに笑いながら昴流の足を軽く蹴った。
ふつうだ。
前世であんなことをしあった仲だとは思えないぐらい、ふつうだ。これからすごく仲良くなれる予感さえする。
足元がふわふわとおぼつかない。蹴られた痛みだけやけに鮮やかに感じられる。
この複雑な思いをどうしたらいいかわからなくて、とりあえず大輝の足を蹴り返しておいた。
夜の街を酔っ払いを避けて歩いていると、妙に視線を感じた。隣を歩いている大輝がじぃっとこちらを見つめている。
「昴流ちゃんって、実継とは全然似てないよな」
ふわふわしたものが一瞬で霧散した。
「……は?」
「え、あっ」
大輝は自らが失言したことに気づいき、大いに慌てている。
その様子を見ても、昴流は一度荒んだ心を宥められなかった。
何かぶつぶつ言っている大輝を置いて、さっさと駅に向かった。
実継と自分に変わりはないと思っていたくせに、比べられるとむしゃくしゃした。
もう話してやらん。
「ごめんなさい!」
一週間。
七日と数時間。
大輝を無視し続けた。
その間、大輝は何か言いたそうに遠くから視線を送ってくるだけで、話しかけてこようとはしなかった。
夢を見たときは、ひとりよりふたりの方がいいと言ったくせに。
とどのつまり、昴流はまだふてくされている。
土下座する勢いで頭を下げた大輝の真っ赤な頭を見下ろした。頭皮にほど近い毛の根元が少しだけ黒かった。身なりに気をつける男が髪を染めるのを怠っている。
それが俺のせいであればいい。
「地雷踏んでわるい。これ、お詫びの品です」
すっと差し出されたのは、老舗の洋菓子店のケーキだった。ふてくされていたのも忘れ、目を見開く。都心から程遠くにある洋菓子店は、行って帰ってくるにも時間がかかる。大輝は調理学校もバイトもあるから、無駄な時間も金もないはずだった。
「次はないと思え」
偉そうに言いながらケーキを受け取る。大輝は切なそうな顔をしたが「じゃ」と手を挙げて去ろうとする。
「一緒に食べてくれないの」
戸惑いながら昴流の顔とケーキを見比べている。
どういう仕組みかは知らないが、昨日前世の夢を見ていることは知っているはずだ。ここまできて放っておくのか、と少し苛立った。
「……ひとりより、ふたりの方しんどくないって言ったの、おまえだろ。それに、ひとりでこんなにケーキを食べれない」
大輝は目をまんまるにして昴流の言葉をゆっくり噛み砕いている。いたたまれない気持ちになりながらも大輝の返事を待った。
「な、なんかいえよ……」
不安になって口の中でもごもごと呟く。すると、大輝は安堵したようにへにゃりと蕩けるように破顔した。
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