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第8話
街中にいると、時々人の風上にも置けない成人男性を見かける時がある。夕方までのバイトの帰り道、駅前を歩いているとちょうどそんな二人組の男が、明らかに未成年の少女に声をかけていた。
キャリーケースを持っているから家出少女だと勘違いされたのだろう。少女は小さい体をさらに小さくして怯えていた。
「ちょっと、おにーさんたち。うちの妹に何か用ですかー?」
「は? なんだお前」
「何って、だからその子の兄ですが」
「んなわけあるかよ」
「失礼だな。こんなにそっくりだろ」
男たちはじろじろと俺と少女の顔を見遣り、しかし一概に似ていないとも言えずに渋々帰って行った。
「大丈夫?」
「すみません……助かりました……」
「家出? 人待ち?」
「兄を……」
「そっか、気をつけて」
家出ではないことに一安心して、帰ろうとした。
「あ、あのっ」
少女の手がTシャツの裾を掴んで引き止めてくる。
「もし、お時間があれば兄が来るまで一緒にいてもらえませんか……」
ずいぶん人懐こいが、先ほどの男についていかなかったあたりに危機管理はある程度できるらしい。
「時間はあるけど……」
「お願いします!」
少し考えてから承諾すると、少女は嬉しそうに笑った。
「ちょっと暑いからカフェでも入らない?」
「はい!」
ぴょこぴょこついてくる少女が愛らしくて、思わず笑みが溢れる。
「俺はたぶん悪い人ではないけど、ほいほい人について行ったらだめだからね」
「はいっ!」
返事は元気だが、大輝が悪い人だったらどうするのだろうか。
「お兄さんは、ちょっと兄に似ていたので大丈夫かなと思いました」
人は見かけによらないこともあるんだよ。
大輝は心の中でこっそり呟きながら、若い子で賑わっているチェーン店のカフェに少女を誘った。
夏休みだから兄の家に泊まりに来た、という少女は高校生だった。好きなバンドのライブに友達と行く予定があるらしい。良家の気配がするが、それが気にならないぐらいの気さくさはハキハキとした喋り方のせいだろう。あいつもこのくらいの可愛げがあればな、と最近よく遊ぶようになったむっつりすけべの顔を思い浮かべた。
むっつりすけべは前世からの因縁の男だ。毎夜見る前世の夢に苦しみ始めたのは大学に入ってからだった。
毎夜人が死ぬ夢に魘されているせいで、寝不足だった大輝を救ったのは親戚のおばあさんだった。
『昔の夢を見ているね。遠い遠い、昔の自分の夢だ』
受け入れること、今のお前とは違う人間だと思うこと。
おばあさんの言う通りにしたら少し楽になった。人はだんだんと死ななくなり、穏やかな日常に変わった。その代わり、顔を見合わせるたびに毒を吐き合う男が現れた。
それが今世でのむっつりスケベである。
前世でもむっつりだったのかもしれないが、本人に聞くしか確認する術はない。教えてくれる可能性はゼロに近いだろう。
あくびを押し殺し、クリームソーダを一口飲んだ。
最近、前世の夢がグレードアップしているせいで寝不足が続いていた。
自分が死ぬ夢をかれこれ一週間ほど見ている。刀で胸を切り裂かれ、それでも自分を斬った相手を恨みきれずにいる。死ぬ瞬間に恨みきれない原因に思い当たるのに、夢から覚めると痛みだけが残り、モヤモヤと一日を過ごすことになる。
テスト期間だというのに困ったものだ。それに恐らく、自分が夢として思い出している記憶はこれが全部ではない。未だ蟠るもやもやがその証拠だ。
「お兄さんは大学生なんですか?」
「そうそう。夜間の調理の学校にも通ってるけど」
「ダブルスクール?」
「まあねー」
少女は感心したように頷いて、スマホをちらっと見ると首を傾げた。
「赤い髪のおにいさんと一緒にいます、って兄に言ったら名前は? って聞かれたんですけど……」
「月尾大輝と言います」
少女は目を見開いてトーク画面をガン見している。そして、おずおずと顔を上げて苦笑した。
「宇月です」
「えっ」
「宇月昴流の妹の、宇月美乃梨と言います」
驚きすぎて口からストローが外れた。助けておいてよかった、と思うと同時にデジャブを感じた。大昔にもこんなことがなかっただろうか。
ふと顔をあげると、昴流が店の入り口で立ち止まっていた。
目が合った途端、昴流の表情がパキッと強張ったのがわかった。
美乃梨が大輝の視線に気がついて振り返る。
「お兄ちゃん、何してるんですかね」
「さて?」
大輝しばらく見守っていると、昴流がはっとしたように歩き出した。流れるように大輝の隣に座り、断りもせずクリームソーダを一口飲んだ。男らしい喉仏が上下するのを食い入るように見つめてしまう。昴流は色が白い上に細い。それでも骨が男らしく張っているのを見るとどうにも胸が高鳴って下腹部が疼く。
「美乃梨、知らない人についていくなと小さい頃から言っているだろう」
「大輝さんはいい人だと思ったんですよぅ」
「昴流ちゃんと俺が似てたって」
「はあ?」
意味不明、と顔にでかでかと書いてあるのが見える。
にやにやしながら昴流の顔を覗き込むと、うるさい、と手で払われた。
「兄さんと大輝さん、仲良しですね」
美乃梨が小さく笑い出したのを見て、昴流が大きなため息を吐いた。
会計を払おうとしたら、昴流が財布を出した。なんでも迷惑料、というやつらしい。文句を言っていると「バイトする時間もないくせに何言ってるんだ」と額を小突かれた。
つんつんしているくせに案外優しいところがあるものだ。
額を押さえながらちらりと伺った。ぴしりと伸びた背中に緊張感がある。先ほど見せた昴流の強張った顔を思い出して不安が募る。
おまえ、俺と美乃梨ちゃんに何を見たんだ。
あんなに表情筋が動かなくなるほど、ショックだったのか。
店の外に出ると、美乃梨ちゃんがスカートを翻しながら前に立った。
「大輝さん、兄さんのことよろしくお願いしますね」
「うん」
「兄さん、昔から気難しいんですけど、大輝さんみたいな友達がいれば安心ですね」
「しっかりした妹さんだなあ」
感心して頷くと、美乃梨は口元を押さえてくすくすと笑っている。
もしかして、前世の俺はおまえの妹と結婚したのか。
今すぐ疑問をぶつけたい衝動をぐっと押さえ込む。迂闊に聞くと昴流が機嫌を損ねる事態になりかねる。そうなると一週間は無視されることは経験済みだった。
「気をつけて帰れよ」
「おまえこそ」
軽い挨拶をして、逆方向に歩き出す。
きっと前世ではこんなに軽く言葉を交わすことはできなかった。顔を合わせれば毒を吐き、そして最期はあんな結末だ。
「お兄さん、あんまり引きずられるんじゃないよ」
道端の占い師のお婆さんが呟いた。ありがとう、と小さな声で礼を言う。彼女の声で遠い親戚のお婆さんを思い出した。
風が強く吹いた。初夏の暑さを攫っていくような涼しい風だ。気温差で鳥肌が立った腕をさする。
昴流と大輝の今の距離は一過性のものだ。今のままでは殺し合うか離れるかの選択肢しかないように思えた。
どっちも嫌だな、とひとりごちる。
胸の内にある厄介な感情をぶちまけたら、少しは改善するのなら。
大輝に告白された昴流の顔を思い浮かべて苦笑する。それこそ本当に今二人の間にある二択のどちらかになってしまうような気がした。
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