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第10話

「昴流ちゃん、次の土曜日空いてる?」 「空いてるけど」 「前の日の金曜日は?」 「空いてるよ」 「暇なの?」 「失礼かな」  女の子たちの客足が戻りつつあるパンケーキ屋は穏やかな昼下がりを迎えている。  次の休みの予定を立てている昴流と大輝の様子を律はひどく冷めた目でみていた。  ふたりがぎこちなく距離を詰めているのを知っていた。昴流は勉強も人間関係も卒なくこなす。それだというのに、同い年の男に扱いに手こずっている様は見ていて飽きなかった。友人の様子を楽しむ代わりに、コーヒー一杯で相談に乗っていた。  夏休みが明け、ふたりの関係が変わったのは律には一目瞭然だった。  今にもパンケーキを「あーん」し合いそうな雰囲気を醸しているが、ふたりはきっと無意識なのだろう。カップルあるあるだ。 「おまえら、ヤったろ」    同時に律を見たふたりが目を見開いて固まった。 「は?」 「……はえ?」    間抜けな反応に思わず笑みが溢れる。 「やってない」 「やる予定は?」  笑みを深めた律に昴流が早々に降参した。 「付き合うことにした」 「おめでとう。とんでもない心境変化だな、ふたりとも」 「俺はそんな変わってねえよ……」  苦い顔をしている昴流の横で大輝が口を尖らせている。最初はあんなにつんけんしていたくせによく言う。  何にせよ、落ち着くところに落ち着いたというわけだ。昴流もいっときに比べたら穏やかな表情をしているし、大輝は噂に聞く底抜けの明るさで昴流を楽しませている。  講義に向かう道すがら、昴流がぼそっと呟いた。大輝はパンケーキを食べると、教授に呼ばれているとかなんとかで早々に退散していた。 「本当にヤってないからな」 「そこ気にすんのかよ」  念押ししてくるのがおかしくて、律は思わず昴流の背中を叩いた。    昴流はその日一日中、焦燥感に駆られていた。  大輝がバイトを終えるまで、バイト先の近くのバーで時間を潰している間ずっとスマホと睨めっこをしている。メールの文章を何度も何度も読み返しては、宛名と差出人の名前を確かめている。その宛名は間違いなく自分で、差出人は間違いなく母だった。  母、という存在は昴流の中では祖母の次ぐらいに恐ろしい人だった。  温厚でおっとりした性格だが、感情のままに反抗しようものなら笑顔で圧をかけてくる。嫁入りで本来なら肩身が狭そうなものだが、祖母と対等に話ができる唯一の人だ。妹も祖母になついているが、父も昴流も祖母には頭が上がらない。完全に尻に敷かれている。  祖父が早く亡くなったあとも、昴流の代まで土地を守り続け、地元の人間にも愛されている。家ではひたすら厳格で、昴流の教育も祖母に一任されていた。おかげさまというべきか、勉強が苦手だと思ったことは一度もないから、祖母の素質というのは計り知れないものだった。優しいところもあるとはわかっているが、昴流はどうしても祖母が苦手だった。 「お兄さん、次何にする?」  すっかり顔馴染みになったバーテンダーに声をかけられてはっとした。スマホを置いて、しばしバックバーを眺めたが、結局ジントニックを頼んだ。 「お待たせ」  隣のスツールに大輝が座った。少し疲れた顔をしている。  本当は会う予定はなかった。バイトを詰め込んでいるのを知っていながら、ダメ元で昴流が会いたい、とメッセージを送った。昴流の願いは元気そうなスタンプで承諾された。  呼び出しておいて何もありません、もないだろう。そんなことで文句は言う男ではないと思うが。 「寂しくなった?」  無垢な眼が考え込んでいる昴流の顔を覗き込んだ。  からかっているつもりなのだろう。昴流にはその思考回路が愛おしくてしかたがない。  きゅんとしている場合ではないのだ。  ジントニックで乾いた口を潤すと、重たい口を開いた。 「実は、大事な話があって」 「……別れ話……?」  ぶんぶん首を横に振ってからちょっと考えた。 「もしかしたら結果的にそうなるかも……?」 「帰る」  スツールから降りた大輝の腕を掴んだ。キッと振り返った大輝と目が合ってどきっとする。バーの明かりを反射している薄茶色の瞳が潤んでいる。 「ばあちゃんが、帰ってこいって。おまえと一緒に」  慌てて言うと、もそもそとスツールに座り直した。  泣かせかけたことに罪悪感がひたひたと押し寄せる。自分が大輝の涙にこんなにも弱いとは思ってもみなかった。 「おばあちゃん?」 「そう」 「なんで俺と昴流ちゃんが付き合ってること知ってるの?」 「わからんのだ」 「はあ?」  母から「おばあちゃまが大輝くんを連れて帰ってこいと言っています。新幹線の手配はするので日程決まったら連絡よろしく」という簡素なメールが送られてきたのは昨日のこと。 「律、かな……」  ギョッとしたように目を剥いたが、先日付き合っていることがバレたのを思い出したらしい。まじめ腐った顔でウイスキーのソーダ割りを飲んでいる。 「おまえのおばあちゃん、怖いんだろ」 「……うん」 「……来月なら時間取れそうだよ」 「いいの?」 「何もしないで別れるのやだもん。認めてもらう努力はするよ」  思わず心の中でもん、と復唱した。しかし、至極まじめな大輝を揶揄ってはいけない気がして、昴流も神妙な面持ちで頷いた。

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