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第11話

 空が広い。  駅を出たとき、大輝が呟いた。  都会育ちの大輝はあたりをぐるりと見回した。その目が楽しそうに輝いている。  予定にはなかった帰省だが、大輝と遠出するのは純粋に楽しみだった。プレッシャーとわくわくで、昨晩はほとんど眠れていない。  まろひこは律が預かってくれている。ゲージに大人しく入っていたが、切なそうな顔をしていたような気がする。 「迎えにきてくれるって」 「こ、心の準備が」  最寄り駅とはいえ、最寄りなだけで近いとは限らない。家まで歩けば一時間はかかる。  真っ赤な車が止まった。  唾を飲む音が聞こえそうなぐらい、大輝の喉仏が上下する。  大輝の緊張が伝染し、昴流も胸が苦しくなってきている。  運転席の窓がゆっくり開き、丸いサングラスを掛けた女性がにやっと笑った。 「お待たせ」  ちらっとずらしたサングラスから見えた目がウインクする。母の由紀子だ。大輝は面食らいながらもぺこっとお辞儀をした。 「はじめまして」  強張った声で挨拶した大輝に母は微笑むと後部座席を親指で指し示した。 「す、昴流くんとお付き合いしている月尾大輝です」 「噂はかねがね。思ったより派手な子で嬉しいわ」  かしこまった挨拶をした大輝はガチガチだ。手を繋いでやると、恐る恐る昴流と由紀子の顔見比べた。 「おばあちゃま、長老会議に行ってるから帰りは夕方になりそうなのよ」 「……そう」  祖母の顔を思い出して憂鬱になった。 「大輝くん、美乃梨を助けてくれたんでしょう。その節はどうもありがとう」 「あれはたまたまで……」 「面食いの美乃梨が格好いいって言ってたから、会うの楽しみだったのよ」  その話まで伝わっていることにうんざりした。この調子だと昴流が男と付き合っているのは近隣の噂になっていてもおかしくはない。 「でっかいな……?」  昴流の家を前にした大輝がぼけっと呟いた。 「うちは特に」  二階の窓から美乃梨が身を乗り出して手を振っている。 「兄さん! 大輝さん!」 「あっ美乃梨ちゃん」  大輝が手を振り返すと、嬉しそうに笑って窓から姿を消した。きっと階段を駆け下りているところだろう。 「大輝さん、いらっしゃいませ。兄さんお帰りなさい」 「美乃梨ちゃん、お邪魔します」  靴をきちんと揃えているが、右手と右足が一緒に出ている。緊張しっぱなしのようだ。 「大輝さんのお布団、兄さんの部屋に運んであるので」 「あっ、ありがとう」  「荷物置いたらゆっくりしてて」  由紀子が大輝の肩に手を置いてウィンクした。ハッとしたように目を見開いて「ありがとうございます」と返した。 「ここ、俺の部屋」  好きなバンドのポスターが貼ったままだったり、高校の美術の作品が飾られている。それらを見られることがちょっと恥ずかしくて、紛らわすように窓を開けた。 「昴流ちゃんの部屋って感じするな」 「そう?」  ベッドに腰を下ろし、隣を手でぽんぽんと叩いて促した。 「お母さん、かっこいいな」 「若作りって言うんじゃないの」 「ふつうに若いだろ」 「そうかなあ」  自然と手を重ねていた。  指を絡め、親指で大輝の指先をこする。指先をガン見している大輝をじぃっと見つめていると、おず、と目があった。  自然と唇を寄せて、何度か啄んだ。唇を挟むようにキスすると、薄茶色の瞳がうっとりと細められる。  血色がよくなったことを確認して、唇を離す。  ちょっと潤んで、溶けるか溶けないかの瀬戸際。 「やらしいこと考えてる?」 「なんか……昴流ちゃんが過ごした部屋って思うとたまんなくて……」  そう言いながらキスをし、のろのろと床に膝をついた。 「ちょっと待って」 「舐めたい」  昴流が止めるのも聞かずにベルトのバックルを緩め、チャックを下ろした。  まさか、実家の自分の部屋でそういうことになるとは思わなかった。顔を覆って指の間から見下ろすと、今にも解放されるところだった。  まだ芯を持ちきらない、ふにゃっとしているものをやんわり引きずりだされる。竿に口づけしながら、昴流の顔を伺っている。おかげさまで元気百倍だ。しっかり勃つと、満足そうに笑った。  先端を口に咥え、ゆっくりと飲み込んでいく。ぬるぬるしてあたたかい口内にため息が漏れる。唇でこそげるように上下に動かされると、下腹部で迫り上がってくる。  ちゅぽん、と水音を立てながら口が離れていく。 「きもちいか?」 「うん……」  小首を傾げて聞いてくる。頷いてやると、まるで飴でも舐めるみたいに垂れていく先走りを舌で追いかけ、ときどき吸われるのが気持ちいい。  指先まで快感で痺れてきて、赤い髪をかき乱した。  昴流の両親と祖母に会うために、今日はツンツンしていない。比較的優等生風だ。真っ赤だが。セットが崩れていたら由紀子にバレるかもしれない。  大輝がもじ、と膝をすり合わせる。舐めているうちに気持ち良くなってしまったらしい。自分のを触るのは恥ずかしいようで、もどかしそうにしている。 「う、たいき」  離せ、と髪を軽く引っ張ったが、一蹴された。迸る快感に身を任せて吐き出した。ごくんと飲み干したのを確認すると、ベッドの上に引っ張って押し倒した。 「飲んだの、見せて」 「んあ」  白濁と唾液が混ざった液体が口の中で糸を引いている。 「やらしいね」  お礼に、と言わんばかりにスキニーとパンツをやや乱暴に脱がした。暴れる足を押さえつけて、フェラだけで熱くなっているそこをしゃぶった。   「ボケなすび」 「先にしゃぶったのはそっちじゃん」  大輝は快感に弱い。ぐずるように布団に甘えるものだから、髪の毛はぐっちゃぐちゃだ。  薄茶色の瞳はまだ快楽を引きずっている。今由紀子に呼ばれてたらまずいな、と当然のことを思った。 「くっそ……」  昴流だけイかせて満足するつもりだったらしい。不満げに口を尖らせている。  晩夏の風が秘事の気配をさらっていく。風の行き先をぼんやりと見ていた大輝がぽつりと言った。 「初めて来た気がしない。昴流ちゃんの故郷だから?」  その言葉にはっとした。何も感じないはずがなかった。先に行っておくのをすっかり忘れていた。  思えば、よく体調を崩さずにここまできた。昴流は慣れ親しんだ土地ながら、フラッシュバックが苦しい時がある。  博物館に行った時と同様、大輝には大きな影響が少ないらしい。だが、知っているのと知らないときの結果が違うのは当然と言えた。 「実継と光貞の故郷だ」 「はは、やっぱり。そんな気がした」  前世を思い出すように窓の外を見ている。それがなんとなく気に入らない。  もやもやとしたものが溢れてきそうで、思わず大輝の腕を掴んでいた。  昴流の不安を感じ取ったようで、優しい口づけを施される。 「俺は月尾大輝で、おまえは宇月昴流だ」  はっきり、きっぱりと。  折り合いをつけられていないのは、大輝ではなく昴流の方だ。  とはいえ、精神状態は以前より穏やかだ。  実継の夢は未だに見ている。  大輝と付き合うと決めてから、昴流の中で何かが吹っ切れたのか、以前ほど苦しい思いをしていない。寝不足になることも少なくなった。  なにより、光貞の昏い目が気にならなくなった。  「大輝」 「なに」 「夢の中で好きなように動いてみたことある?」 「……? できんのかね」  今まで、昴流は夢の中で実継自身だった。それが、ここ一ヶ月ほどで変化している。  実継の中に昴流という思考が在る。  だから、かわいくないことを言っている光貞を見ると「本当は実継のことが好きなくせに」と思ってしまうのだ。  嫌味を延々と吐いている口を塞ぎたくなる。  前世の光景とは言え、ただの夢だ。何をしたって構わないはずだが、恐怖が勝つ。  昴流の意思で光貞と実継がキスをしたら、果たして昴流は無傷でいられるだろうか。  今より折り合いがつけられなくて、現実と前世がごちゃ混ぜになって。大輝を大輝として見られなくなってしまったら。 「俺は夢だなあって意識はあるけど、自分で行動しようと思ったことはない。なんか怖いし」 「俺も怖い」 「昴流ちゃんは、夢の中で何したいの?」 「光貞にキスする」  大輝の顔が見る見る不機嫌そうに歪んでいく。 「浮気?」 「やっぱり浮気か?」 「ええ……複雑……」  顔を顰めてうんうん唸っている。 「逆ならどうなの」 「浮気だな」  ぽすっと枕が飛んでくる。 「殺す」 「怖い怖い」  大袈裟に肩を竦めたところで、下からふたりを呼ぶ声がした。 「髪の毛、ぐちゃぐちゃだ。怪しまれるかな」 「プロレスやってましたって言えばいいよ」  適当なことを言うと、大輝は目をぱちくりさせた。 「昴流ちゃんでもそんなこと言うんだな」  思わずキスしたら、ぺしっと太腿を叩かれた。  台所に行くと、由紀子と美乃梨が並んで夕食の支度をしていた。 「お父さんがまだ帰ってこないから、萩原さんのおうちにとうもろこしもらってきてくれるかしら」 「わかった」 「美乃梨ちゃん、料理するんだね」  大輝が嬉しそうに言った。自分も調理専門学校に行っているから、仲間意識が芽生えたらしい。 「母さんもわたしも趣味なのでそんなに期待しないでくださいね」 「それは無理だ。楽しみにしちゃうよ」 「大輝くん、シェフになるんだもんね。明日のご飯作ってもらおうかな」 「俺もまだまだ勉強中なので期待しないでください」  さっきの緊張はどこへ。  一回イって力が抜けたか、と邪推する。 「昴流ちゃんも料理うまいよな」 「俺はべつに……」 「兄さんの麻婆豆腐食べたことありますか?」 「ない! 俺が食べたのは炒飯と味噌汁」 「兄さん、中華得意なんですかね? 麻婆豆腐もとっても美味しいですよ!」 「今度つくってもらお〜」  いつまでも話が続きそうで、大輝を引きずって外に出た。 「萩原さんって?」 「近所の人」  きんじょ、と鸚鵡返ししながら辺りを見回している。一番近くに見える家は、広い畑の向こう側にある。大輝はもう一度「きんじょ?」と繰り返して昴流に確認した。重々しく頷くと不思議な声を発して驚いている。 「広いね、日本って」 「そうだな」  舗装されていない道を歩きながら、あれやこれやと話が弾む。主に前世の。 「懐かしいなーってだけで、はっきり覚えてるわけじゃないんだ」 「そうなのか」 「だって、俺の記憶ってば、実継のばっかり」  照れ臭そうに笑った顔が、どうしてか光貞と重なった。夢の中の実継は、光貞のそんな顔を見た覚えはないはずなのに。 「そういえば、萩原さんの家の近くに神社があるんだけど」 「へえ」 「そこに行くとすごい具合悪くなるから、きっと実継たちが生きていた時からあるんだよ」 「一緒に行こうぜ、とか思ったけど具合悪くなるならだめだな」  はは、と大輝が笑った。萩原の家までは程遠い。  まろひこを預けるとき、律を問いただした話をした。  昴流は知らなかったのだが、律は昴流と同じ隣町の高校出身だったらしい。昴流の近況を報告してくれ、と祖母に頼まれて小遣いをもらっていたらしい。 「コーヒー一杯で俺の話聞いてくれるのはそういうことだった」 「でも友達やめないんだろ」 「やめないよ。怒ってないしね」  立派な裏切りではあるが、律が「友達やめるか?」と聞いた声を思い出すと怒る気にはなれなかった。律の言葉が全て小遣いのためだとはどうしても思えなかった。何しろ、そんなに優しい言葉をかけてもらった覚えがない。一番始めに昴流にヤリチンのレッテルを貼ったのは外でもない律だ。小遣い稼ぎの媚を売る気が全くない。  昴流だって小遣いをやると言われたら引き受けてしまうかもしれないと真面目に思ったからでもある。  たとえ小遣い稼ぎだとしても律と過ごした時間は苦ではなかった。友達が些か少ない昴流にとって、一番心許せる友人でもある。 「いいんじゃない。俺ならきっと一生根に持つけどね」 「おまえが?」 「爺さんになるまでこいつ、俺で小遣い稼いでたんだぜって言い続ける」 「それいいね」  萩原の家につくと、ひとりの女性が猫を撫でていた。昴流の顔を見ると、はにかみながら家の中に向かって「お母さん!」と叫んだ。 「昴流くん、久しぶり。元気だった?」 「久しぶり。元気だよ」  萩原の娘は昴流と小学校から高校までずっと同級生だった。同じクラスになったことも何度もある。  くりっとした目が不思議そうに大輝を見つめ、昴流に伺っている。その目を見て、大輝はピンと来た。 「月尾です。昴流くんの友人です」 「あ、萩原です。昴流くんの幼馴染です」  幼馴染、という言葉に大輝が拳を握りしめる。笑顔は一瞬たりとも絶えていないが、大輝が彼女を警戒しているらしい。 「おや、昴流くん。こんにちは」  家の中から出てきた女性が朗らかに挨拶をしてくる。 「こんにちは」 「お母さん、昴流くんの友達だって」 「あら、こんにちは」  こんにちは、と返した大輝の声がやけに掠れていた。 「そういえば、昴流くん。この前この子との縁談を持って行ったんですよ」  彼女との縁談の話は全く聞いていない。春休みには持ちかけられて、学生だからと断ったはずだった。  「そうしたらおばあさまが……」  昴流の困惑もそこそこに萩原が話し始める。大輝がいるところでその話はしたくなかった。たとえ祖母が断っていたとしても。しかし、マシンガントークが止まらない。娘も「ちょっとお母さん」と袖を引いてみるものの、目は昴流を問い詰めるように見ていた。  ちらっと横を見ると、大輝が猫を撫でていた。だが、山の方に何かを見つけたようでふらりと寄っていく。 「すみません、友人が」  大輝を追いかけようとしたら、後ろから声を掛けられた。振り返るとそこに幼馴染の男ふたりがびっくりして突っ立っている。 「立ち話もなんだし、お茶でもどう?」  春休み以来の幼馴染たちに背を押され、萩原家の敷居を跨いでしまった。昴流は人の話を聞かない地元の人間が大の苦手だった。彼らの話を断ち切れない自分も。  山に呼ばれるように歩いて行った大輝が気がかりで、ひっそりと心をすり減らしていた。

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