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第12話
萩原家を出られたのは、日がだいぶ暮れてからだった。念のため懐中電灯を借りて山道に行った。神社の石畳が見えると、早足で階段を駆け上った。
どんどん日が暮れていく。いくら小さな山でも、暗がりでは何が起こるかわからない。ときどき熊だって出る。
逸る気持ちを抑え、社殿が見えてくると思わず叫んだ。
「大輝っ!」
賽銭箱の前に人が横たわっている。薄暗がりでもわかる真っ赤な髪に心臓がきゅっと締まる。
木の葉が落ちている石畳の上で眠っている。穏やかに呼吸しているのに安心して、胸を撫で下ろした。
さながら眠り姫のように眠っている頬を撫でる。冷えた頬が切ない。
「大輝、帰ろう」
眠そうに目を擦りながら起きた大輝が昴流を見上げる。
「昴流ちゃん?」
照れくさそうに笑いながら、ぽりぽりと頭を掻いた。
「やべ、寝てた」
一瞬デジャブが過った気がしてはっとするが、引き寄せようとすると薄れていった。
「悪い、ひとりにして」
「大丈夫。いっぱい話せた?」
「話せたよ。ありがとう」
「よかった」
「帰ろう。寒いし暗いよ」
日はすっかり暮れている。
懐中電灯をつけながら促した。まだ眠たそうにのろのろと起き上がると昴流の隣に並んだ。
「縁談の話だけど」
「その話はいいよ」
「聞けよ。縁談の話はばあちゃんが断ってたから、俺は本当に知らなかったし、あの子とどうにかなろうという気はないよ」
「わかったって。気にしてないよ」
受け流そうとしているのが気に入らないが、階段を踏み外しそうで詰問している余裕がなかった。
「大輝、平気なふりするなよ」
石階段を降り終わり、いざ話そうとすると人がいた。
「おや、こんばんは」
神主だ。懐中電灯の光でぼんやりと顔が照らされ、妙に生気がなく不気味に見えた。昴流の記憶にある神主は、もっと生き生きとした男だったのだが、迫りくる宵闇のせいかもしれない。
「こんな時間に参拝者とは。気をつけて帰るんですよ」
「あっ、するのを忘れました」
「俺はしたよ」
「明日の朝にまた来ます」
「おふたりとも」
呼び止められて振り返った。
神主は心底不思議そうな顔をして立っていた。
「君たちには何か、特別で誰よりも強い縁がありますね」
どきっとした。
昴流は前世の夢を誰かに話したことは一度もないから、神主が知るはずがないのに。
「……その縁を切るか、切らないかは君たち次第ですね。大切にしなさい」
「……はい」
大輝が思いの外明るい声で返事をした。神主は「気をつけて帰るんですよ」とふたりの帰る道を促した。
歩きながら神主をちらりと振り返った。暗がりのなかに濃い影をつくる神主を見て、さきほど境内で見たデジャブが蘇った。
前にも神社で大輝を起こしたことがなかったけ。
今年は予定が合わなくて祭りにも行っていないのに、そんな気がして焦った。
あの照れくさそうな顔。俺はどこかで見たことがなかっただろうか。
「どういうこと?」
困惑している昴流が尋ねると、大輝はまっすぐ前を見たまま言った。
「たぶんだけど、あの神主さんは俺のばあちゃんみたいにちょっと勘がいいんだと思う。第六
感みたいなやつ」
「おまえのおばあさんの話は初耳だよ」
「そういえば言ってないかも」
てへぺろ、と笑って誤魔化している。本当に忘れていたらしい。
萩原の家にとうもろこしを受け取り、懐中電灯を返した。
とうもろこしをふたりで半分ずつ持ち、家へと帰る。きっと夕食はとっくにできているだろうし、父も祖母も帰ってきているだろう。
電灯はさっぱりないが、月明かりで道は見えていた。畑の間の道を手を繋いで歩いていると、大輝がぽつりと呟いた。
「出会えたことに感謝しろってことなのかな」
先ほどの神主の言葉を思い出しているようだ。昴流も黙って考えた。
「俺は切る気はないなあ」
「……俺も」
「昴流ちゃん、切らないでいてくれるの」
「……ああ」
言葉と言葉の間の重たさを感じた大輝が笑った。
「まあ、切られたら追いかけるけど」
「おまえならやりかねん」
たはは、と大輝が明るく笑った。
いつかこの縁が切れるとしても。
今は何より大切にするつもりでいる。
出会ったしまったことが、呪いになるのか祝福になるのかなんて、まだわからない。
「とりあえず、おばあちゃんとお話してだな」
「そうだな」
家はもうすぐそこだ。さっきまで忘れていた緊張が振り返してきた。
ごくり、と唾を飲んだ音が重なった。
予想通り、父も祖母も帰ってきていた。大輝の姿を身留めたふたりは、朗らかに笑って席を促した。父の大和はビールを飲んでいる。父である渉が緊張すると酒を開けることを昴流は知っている。昴流の大学受験の合否発表の日なんか、前の晩からその日の朝までひとりで黙々と日本酒を飲んでいた。由紀子が「お父さん、緊張してるらしいのよねー」と次の日本酒を探しながら言っていた。
「はじめまして。月尾大輝です」
ずらりと並んだ夕食を前に、大輝が硬い声で挨拶をした。祖母、友子は人好きのする笑みを浮かべて「たくさん食べなさいね」と言った。
真っ赤な車に乗る由紀子に慣れているだけある。大輝の赤髪を気にも留めない。
夕食は静かに始まった。祖母も食事中に話をするつもりはないらしい。緊張している大輝と穏やかに世間話をしている。
ひやひやとふたりを見守っていると、美乃梨が肘でついてきた。
「兄さん、大輝さんと神社行ったの?」
「そうだよ」
「昔、神社で泣きながら吐いてたよね。大丈夫だった?」
幼少期の苦い思い出を掘り起こされて、思わずしかめっ面になった。美乃梨はにやにやして
「大輝さんとだったら大丈夫なのかな」と言った。
「なんで?」
「大輝さんって嫌なことも全部吹き飛ばしてくれそうじゃない」
確かに大輝は難しいことも全部なんとかしてくれそうだ。馬鹿だから、とかではなくて、根本的にすごい明るい男なのだ。月尾大輝という人間は。仲良くなり始めた頃は、それが何より居心地がよく、同時に光貞を思い出して暗い気持ちになった。
考え込んでいると父と目があった。
美乃梨と由紀子はすっかり大輝を歓迎しているムードだが、父は何を考えているのかさっぱりわからない。一見厳格そうに見えるせいだろう。本当はだいぶお茶目で抜けていることは周知の事実だった。
「大学はどうだ」
「楽しいよ」
「大輝くんとは大学が一緒なんだろう。どうやって知り合ったんだ」
まさかの馴れ初めを聞いてきた。
友子と喋っていた大輝はぎしぎしと首をこちらに向けた。
「えーと」
まさか、前世の話をするわけにもいかず、昴流はどこから話すべきか悩んだ。構内で突然声を掛けられて、と説明しようとしたが、よく考えるとナンパにしか聞こえない。いや、実際ナンパだったのかもしれない。大輝は一目惚れだと言っていたし。
「俺が一目惚れして声をかけたんです」
昴流が考えていたことを大輝が言いのけた。
それでいいのか、と思いつつからあげを口に入れた。
「俺は喧嘩を売られたと思ってたから、最初は全然仲良くなかった」
それから、大輝が拾った猫を飼うことにして、お互い甘党だと知って。
「あっ、まろひこを拾ったのって大輝さんだったんですね」
「そうなの。昴流ちゃん、飼い主探すの手伝ってくれたんですけど、全然見つからなくて」
父は黙って聞いていたが、満足したのかビールをもう一缶開けた。
「人助けして待ち合わせに遅刻してくるんだよ」
「ばかっ、そういうこと言うなよ」
「わたしのことも助けてくれましたしね!」
いたたまれない顔をしている。大輝は困っている人を見ると無条件で手を貸してしまうらしいが、遅刻は遅刻だし、と口を尖らせていた。
食事を終えると、美乃梨が急須でお茶を淹れた。茶請けに隣町の和菓子屋の練り切りが出てきて、大輝と昴流は大喜びした。
しかし、祖母との話し合いが待ち受けている。胃が重たく痛んだ。
「甘いものがお好きなのね」
「大好きです」
「大学を出たら、自分でお店をもったりするのかしら」
「いつかもちたいですねえ」
予想に反して祖母と大輝は穏やかに会話をしている。ちょっとおかしいな、と思っていると、祖母が微笑みながら言った。
「今日は遠いところから来てくれてありがとうね。また遊びにいらっしゃい」
友子の言葉に大輝は安心したように頷いた。頬が薄く染まっているのは、温かいお茶のせいではない。
「昴流はいずれはこの家を継ぐでしょう。あなたの枷になるのではないかと」
祖母の言葉が重たく伸し掛かった。
端から見たら、若気の至りなのかもしれない。
息苦しさと混乱の末に手に入れた関係だ。そんなすぐに手放してたまるか、と思っている。
だが、家と土地を継ぐことは、都会からの隔離だ。大輝も親の店を手伝うと言っていたし、どちらも融通は利かないだろう。
どこか妥協点を。ちょうど真ん中をとれる選択肢を探していけたらいい。
そんな曖昧な将来の展望は大輝の言葉で打ち砕かれた。
「昴流の代わりに、俺がどこにでも行きましょう。通い妻でもいいし、俺もこっちに住んで店をやるのもいいと思っています」
「自分を犠牲にしただなんて一生思わない。そんな生半可な気持ちで付き合ってません」
ちょっと笑って「若いって思うかもしれませんが」と付け足した。
「昴流がここにいてくれた方が俺には都合がいいんです」
その言葉にハッとした。切られても追いかけるってそういう意味か。
頭を殴られた気分だった。
大輝はそこまで考えていたのに、自分ときたら、思考放棄して妥協点を探そうだなんて。
「あぁ、そう……」
友子はまったりと呟いて、微笑を浮かべた。
全てを納得したような笑みにそわりと産毛が逆立つ。
前世のこともひっくるめて、祖母が理解した気がした。
「昴流、素敵な人に出会いましたね」
「うん」
「大切にしなさい。たとえ、いつか切れる縁だとしても」
神主と同じことを言う。困惑している間に友子はいそいそ湯飲みを片付けている。
「反対するのかと思った」
「高校の時も彼女の一人も連れてこないから。恋人ができたと聞いて顔が見たくなっただけ」
言われてみれば友子は今年77になる。昴流の恋路が気になっただけらしい。
「美乃梨も連れてきなさいよ」
「はーい」
「ふたりとも明日帰るんでしょう」
「はい」
「朝ごはんは一緒に食べましょう。おやすみなさい」
自室に帰っていく祖母を見送った後には、静かな静寂が残った。父はまだビールを飲んでいるし、美乃梨も由紀子も練り切りをちまちまと食べている。
「試練を与えられるんだと思ってた」
「俺も。こどもはどうするんだとか」
「おばあちゃまは面倒を見るのは昴流と美乃梨まで、って昔から言ってたの。遠い未来、この家がなくなろうとおばあちゃまには知ったこっちゃないって」
「知らなかった」
「昴流にはこの家を継がせるけど、恋愛に口出すつもりはないらしいわ。大学卒業したら、大輝くんがこの家に住むことになっても誰も反対しないから、いつでも言ってね」
由紀子の言葉がゆっくり体に染み込んでいく。
家族は最初から、昴流が若さゆえのノリと勢いで恋愛をしているとは思っていなかった。
きっと永い関係になると、確信を持っている。
「大輝くん、釣りは好きか」
それまで大輝に話しかけなかった父が尋ねた。
「したことないんですけど、きっと好きです」
「来年、釣りに行こうか」
「めっちゃ嬉しいです!」
頬にさっと朱がのぼる。身体中から喜びが伝わってきて、昴流も思わず頬を緩めた。
「お風呂、先に入る?」
「最後でいいよ。母さんたち入ってきて」
「わかった」
「友子さんは?」
「ばあちゃんは離れの風呂使うから」
「はなれ」
「檜風呂があるんだよ」
風呂付きの亡き祖父がわざわざつくったと言う。友子以外は風呂に思い入れがあまりないが、今日は美乃梨も檜風呂を使うらしい。
渉が風呂を終えるまで、居間でのんびりとお茶を飲んだ。父と大輝は妙に気が合ったようで、ぼそぼそと話をしている。
将来切ることになったとしても大切な縁。
神主や祖母に言われた言葉を心の中で繰り返した。
前世の記憶があるばかりか、今世で再会したのは十分に奇跡と言える。
これがもって生まれた必然だとしたら。なるべくしてなった結果だったとして。
俺はどうして再会する人生を選んだんだろうか。
あんなに憎んでいたはずなのに。
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