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#6 朱雀のα 白虎のΩ

西の屋敷の庭に、月季の花が咲きほこる。 西の屋敷から出られなかった頃、あまりにも時間を持て余した僕は、あまりにも殺伐としていた庭に業を煮やし、朱雀の国から取り寄せた月季の種子を撒いた。 そして、ようやく満開を迎えたんだ。 僕は庭に絨毯を敷いて、茶道具と器に盛り付けたチョコレートをその上に置く。 朱雀の国にいた頃は、ミナージュとよくこうして季節の花を見ながらお茶会をしていはたよな。 赤色や、桃色や、とても艶やかに……リューンみたい。 でも、リューンは白い月季が一番良く似合う。 いい香りがして、優しくて………。 リューンそのもののようで。 「シジュ」 僕の好きな、耳をくすぐるいい声が僕の名前を静かに呼んだ。 「リューン様」 僕が振り返ると、リューンは僕と視線を交わして優しく笑う。 「あ、巧克力だ!!朱雀から取り寄せたのか?」 「はい。ミナージュがたくさん送ってくれたので。お茶も体に優しい茉莉花茶を準備しました」 「ありがとう。シジュ」 ゆったりとした白い衣装越しでも分かるようになった、大きく膨らみだしたお腹を支えるように、リューンは絨毯にゆっくり腰を下ろした。 「お体の調子は、いかがですか?」 「ああ、悪阻もだいぶ落ち着いてきた。………ありがたいことに、胎動まで感じるようになった」 僕の手をそっと握ると、リューンのお腹にそっと添える。 ボコっと。 偶然にも、僕の手にリューンのお腹の中から、蹴り上げられた小さな足の感覚が伝わった。 「………わあ。……元気な稚児ですね。嬉しい、なぁ」 「きっと、シジュがわかったのかもしれないな。シジュに似て賢い稚児だ」 「いいえ。リューン様に似て、優しくて強い稚児ですよ」 僕はリューンのお腹から頬に手を滑らせて、その柔らかな唇に僕のそれを重ねる。 「巧克力の香り………シジュの香り。はからずとも、興奮してしまう。もっと、して欲しい。接吻を……もっと」 「仰せのままに。リューン様」 唇を重ねるとリューンから月季の香りが、ほのかに漂ってきた。 子を宿すと、以前のように僕の理性を木っ端微塵にするような、リューンの強い月季の香りはしなくなったように感じる。 僕たちは番として、今、幸せをかみしめているんだ。 ハーレンに監禁されて、陵辱の限りを尽くされた僕は、アミーユに助けられたのまでは覚えていて、気がついたら目の前にリューンがいた。 今まで封印してきた悲しさとか怖さとかが溢れ出して、勝手に死んだと思い込んでいたリューンに、会えたことの嬉しさや安堵が、体の隅々から湧き上がって………。 僕は子どもみたいに泣きながら、リューンにしがみついたんだ。 安心した、と同時に。 どうして、僕の危機がリューンに分かったのか。 どうして、接点のなかったアミーユが、僕を助けてくれたのか。 ………ハーレンの僕を蔑むように見る顔と、僕の体中に残るハーレンの感覚が蘇って……。 …………息が、できない。 「シジュ!!大丈夫か?!」 「………っ!………くるし…ぃ………」 「しっかりしろ!俺はもうシジュから離れない!!」 「……ちが………っ……」 「落ち着け、シジュ………」 強引に、リューンが唇を重ねる。 「……っん………んんっ」 浅くしか吸えなかった空気が、リューンの呼吸の律動に合わせて体の中に、少しずつ正常に取り込まれはじめた。 ………久しぶりの、忘れることのできない………忘れないと誓った、この感覚。 ようやく、リューンに触れられた。 「………シジュ、落ち着いたか?」 「………リューン様、お願いがあります…」 「何でも!シジュが望むことは何でもする!」 「………僕を………殺して」 「………え?」 僕の意外な言葉に、リューンは目を白黒させて固まる。 でも………。 ハーレンの感覚を忘れるためには、体内に宿ったハーレンの熱を無かったことにするには、これしか考えられなかったんだ。 「僕は汚れてる………リューン様に…………申し訳ない……」 「………シジュ」 「どうしたら………いいのか。リューン様に会えて嬉しいのに…………リューン様に合わす顔がなくて………僕はリューン様の番なのに…………情けない」 「………シジュ、俺の目を見ろ」 「…………」 見れる、訳がない。 リューンとこうして互いの温度を確かめていたいのに、そうすることが………胸が苦しくてたまらない。 安心したいのに、甘えたいのに………心が、痛い。 だから、リューンの真っ直ぐで綺麗な目が………見られない。 「………稚児が、いたとしても……?俺の腹の中に、俺とシジュの稚児がいたとしても………死にたいか?」 ………え? ………稚児…? 真っ直ぐすぎて見られないリューンの目を、僕は見ざるを得なかった。 「ハーレンに酷いことをされて、身も心も傷ついているシジュがそう言い出すのも分かる。俺だって、そういう事に遭遇したら………生きては、いられない。………だが、シジュ。死にたいと思ってるなら………一度死んだと思った人生なら………俺にその人生を委ねてもらえないだろうか?これから先、俺と稚児のために生きてはくれぬだろうか……?」 ………リューンは、どれほど優しいのか。 普通なら、自分以外の男に陵辱された僕は、リューンに追い出されても仕方ない立場なのに。 僕の体は傷だらけで、他の男の支配した痕が残っているのに。 ………こんな僕を必要としてくれてる。 でも、僕は……リューンにも稚児にも………どんな顔をしていいのかわからない。 2人に対して、真っさらな恥ずかしくない僕では、もうないんだ。 「なら……それなら………僕を………生まれ変わらせてください」 「シジュ?」 「ハーレンから与えられた苦痛を、塗り替えてください。………僕を、抱いてください」 ………きっと、リューンは僕を抱けない。 噛み跡や青痣だらけの僕に嫌悪をいだいているに、いくら僕の言うことだからって、それを実行することは無理難題に決まってる。 現に色素の薄い彩光を宿したリューンの目は、信じられないくらい見開かれて、僕の肩を抱く手が小刻みに震えだした。 「ここから出て行け」と、早く僕を突き放して欲しい………!! 「そんな苦しそうな顔をして、言うな」 「リューン……さま」 「シジュがそう望むなら、いくらでもシジュを抱いてやる。シジュがどうしても死にたいと言うなら一緒に死んでやる。………俺たちは、番なんだ。理屈よりも魂よりも、深いところで契りを交わした番なんだ。番が……相手が辛い時にそばについていてあげられないなんて、その苦しみを分かち合うことができないなんて、それが一番苦しい。だから、シジュ………その苦しみを俺に分けて欲しい」 涙をうっすら溜めたリューンの瞳が揺れて。 僕の顔に近づくと、そのまま優しく唇を重ねた。 「どうしたい?シジュ。俺はシジュの言うとおりにする」 「………リューン様……抱いて」 これ以上リューンに甘えたら、僕はバチが当たる。 それなのに、リューンの優しさに甘えて、僕はリューンの肩に腕を回すと体を委ねたんだ。 いつもとは、全く逆の………。 アルファの僕が、オメガのリューンに抱かれている。 リューンの全ての愛撫は、ハーレンのものとは比べ物にならないくらい、優しくて官能的で。 あれだけ苦痛でしかなかった行為が、身をよじらせるくらい、体が身震いするくらい気持ち良くて。 僕の左足を肩にかけて、内側を熱く擦らせるように貫くリューンに、深く酔いしれてしまった。 「……シジュ………シジュ……気持ちいい、か?」 「………いい……!………リューン…さま……リューンさまぁ………」 本能以外、何ものでもない。 アルファとかオメガとか、関係などない。 僕は、リューンから離れられない。 リューンは、僕から逃れられない。 ただ、それだけのこと………。 苦しい事や悲しい事があっても、2人なら乗り越えられる。 それが、運命で結ばれた者なんだ。 「リューン……さま……愛してます。僕を、こんな僕を……アルファなのに頼りなくて、人としても未熟ですが………そばにおいていただけますか……?」 リューンは僕の胸を舐めて、優しく笑った。 「もちろん。俺が、シジュを逃がさない」 「ぼちぼち、政務を制限するように国王から配慮を頂いた」 「それは、よかった!ゆっくり過ごす時間が増えますね」 「まぁな。ハーレンがいなくなってから、ここのところずっと忙しかったし」 ………その名前を聞くと、僕はまだ胸の中がザワザワ、落ち着かなくなる。 ハーレンは今、王都から遠く離れた王族の保養地で静養をしている。 僕を監禁する前から、ハーレンの心は少しずつ壊れていて、その引き金を引いたのは、少なからず僕だから。 2年前、アルファと偽って生きているオメガのハーレンに、青龍の国から嫁いできた。 紛れもないオメガの青龍の王子。 ハーレンも青龍の王子も、お互い一目で恋に落ちたのに、己の耐え難い性のおかげで、ハーレンのことを深く思う青龍の王子は、行方をくらましてしまった。 当然、ハーレンは心を乱して、王子を探すため、国境警備に厳しい制限をする命じたんだ。 探せど探せど見つからず、ちょうどその時に、僕がオメガと偽ってリューンの元へ輿入れをしてくる。 オメガに見えるアルファが、オメガの弟に嫁いできて、2人は見るからに幸せそうで………。 悲しくて、許せなくて………。 壊れたハーレンは、僕にああいうことをしてしまったんだ。 今、ハーレンは………。 愛する青龍の王子とともに、保養地で静かに暮らしている。 この2人の少しの気持ちのズレが、僕を西の屋敷から出ることを禁じたり、国境警備の兵士の横暴に繋がったり………。 お互い愛しあってるのに、自分を責めて、苦しんで………。 ハーレンと青龍の王子は遠回りして、今やっと、一つになれたんだ。 「ハーレン様………早くお元気になるといいですね」 「そうだな。俺が稚児を産んだら、アミーユに負担が集中するしなぁ」 「僕がお手伝いいたします!いけませんか?」 「シジュなら、打ってつけだな。アミーユに相談してみる」 僕をあの時、助けてくれたアミーユは、白虎の王族の中で唯一のアルファだ。 唯一、嘘偽りのない人。 僕がアルファだと、漠然と気付いていた人。 ハーレンが壊れていたこともいち早く察知していたらしいが、ウーラに泣き付かれるまで、僕がハーレンに監禁されている事に全く気付かなかったそうだ。 西の屋敷に軟禁されていたから、当然と言えば当然だ。 後々、鋭い眼差しのまま「リューンに頼まれていたにもかかわらず、助けが遅れて申し訳なかった」と、アミーユから謝罪された僕は、心底、動揺してぼんやりした言葉しか返せなかったのはいうまでもない。 ………リューンと、似ている。 繊細で、気を使いすぎるのに、誤解されそうなくらい無骨な方だ。 それに、リューンは僕に黙って、弟であるアミーユに僕のことを託していたとは知らなかったから………。 僕はリューンにもアミーユにも、足を向けて寝られない。 サァッと偏西風が庭を横切って、庭の月季が一斉に揺れる。 ………白虎に来て、よかった。 はじめは、朱雀のために、ミナージュのために、アルファの身でオメガと偽って、死ぬ事も辞さない覚悟で白虎に輿入れをして。 もちろん、嫌な事とか辛い事とか。 いつアルファということが、明るみに出てしまうんじゃないかとか。 恐怖に押し潰されそうになって、不安に苛まれて………。 白虎の中で、僕は一人なんだって………。 ずっと、一人だと思っていた。 でも、今は。 一人じゃない。 僕の周りにはたくさんの人がいる。 ウーラも、その姉弟もいるし。 ミナージュも、シヴァも、アミーユも、リューンも。 そして………まだ見ぬ稚児も。 少しずつ、皆が僕を好きになって、僕も皆が好きになって。 白虎に来ていなかったら、僕はきっと、今の僕みたいな充実した日々は過ごせていなかったんじゃないかと、思う。 「リューン様」 美味しそうにチョコレートを頬張っているリューンに僕は声をかけた。 「リューン様、僕は今………この上なく、幸せです」 「俺もだ。シジュ」 咲きほこる月季に囲まれて。 僕とリューンは、幸せを分かち合うように唇を重ねたんだ。

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