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#1 麒麟山のα
薄い青色の、遠くまで雲一つない澄み切った空に、白い小さな点が浮かび上がった。
その小さな点は段々と大きくなって、白い大きな鳥だということがわかる。
キィーヤァー。
空を引き裂き耳をつん裂く、白い鷹の鳴き声。
僕の頭上で大きく弧を描いて旋回し、ゆっくりとその高度を下げてくる。
その大きな足には、銀色の小さい筒をつけて。
爪を大きく広げて、僕の目の前に座っている人の肩口を捕らえる。
バサバサッ、と。
凄まじい羽音が響いて、僕は身を竦めて瞬きを多くした。
「シジュ殿から手紙がきたぞ、ミナージュ」
僕の目の前にいるこの人は、その紫水晶のような瞳が柔らかな光を帯びて、僕に優しく微笑んだ。
「…わぁ!………ありがとう、シヴァ」
僕は寝っ転がったまま、鞄の中から干し肉を取り出すと、シヴァの肩に大人しく止まっている白い鷹に差し出した。
「……ありがとう!………え、と?」
「白華」
「………白華、ありがとう。疲れたでしょ?………まだあるから、たくさん食べてね」
〝白華〟と呼ばれたその鷹は、小さくキィと鳴くと、僕の手から干し肉を美味しいそうに啄む。
「……しかし、毎回毎回。………よくシヴァの居場所がわかるね、白華は。………僕と一緒でシヴァの香りが、好きなのかな」
「シジュ殿の調教がいいんだろ?俺のアルファの匂いを嗅ぎ分けるように躾けてるんだ。さすがの俺も、ここまでは育てきれないからな」
シヴァの綺麗な指先が白華の小さな頭を軽くなでると、白華は気持ち良さげに太陽のような金色の瞳を細めて指に頬擦りをした。
『親愛なるミナージュ、そして尊敬するシヴァへ。
お元気ですか?
僕の方はというと、リューンが稚児を産んで少し慌ただしく過ごしています。
元気な男の子と女の子の双子で、サラシャとアイシャという素敵な名前を国王から頂きました。
親の僕が言うのもなんですが、2人ともこの上なく可愛くて。
僕には天から使わされた者にか見えません。
シヴァが送ってくれた青龍の国の滑らかな綿の産着が、大活躍しています。
ありがとう、シヴァ。
あと、ミナージュが送ってくれたチョコレート。
いつもたくさん送ってくれてありがとう。
あんなにたくさん送ってくれたのに、産後のリューンが、あっという間に全部食べてしまいました。
リューンのチョコレート好きは、稚児を産んでからも変わりません』
………あれ程の量のチョコレートを、1人で?
また、送ってあげなきゃなぁ。
双子の稚児にも会いたいし、直接チョコレート持参で行くのもいいし。
シジュの手紙から滲み出る幸福感が、僕の心を暖かくする。
………よかった、シジュも運命の番に出会えて。
本当は、胸が張り裂けるんじゃないかってくらい心配だったんだ、白虎に嫁いだシジュのこと。
僕のすぐ下の弟で、一番仲が良くていつも一緒にいたシジュ。
アルファなのに優しくて、可愛くて………なのに、僕に黙って嫁いでしまったから。
国のため……。
オメガの僕に、負担を掛けないため………。
アルファを偽って、オメガとして白虎に嫁いだシジュが、白虎で苦しく辛い思いをしていたら、父上がなんと言おうと白虎から連れ戻すつもりで、僕とシヴァは白虎の王宮にまで乗り込んだんだ。
でも、それは僕の杞憂で。
〝白虎の人になる〟と腹を括ったシジュは綺麗で輝いていて、その番であるリューンは気が優しくてシジュのことを心の底から愛していて。
特別に言葉を発しなくても、繋がる体と気持ちの切れない糸のようなものが見えて、互いの心が通じ合っているのがわかった。
………いつまでも、僕の大事な小さい弟じゃなかったんだって。
大人になってた、僕の大事なシジュは。
心配は心配だけど。
僕が心配するほどのことじゃなかったんだって………。
少し、寂しくなったけど………。
僕は嬉しかったんだ。
『産後でリューンが政務につけないので、名代としてアミーユと、青龍に赴くことになったんだ。
それで、お願いがあるんだけど。
青龍の今の内政事情と国民の生活ぶり、あと白虎に輿入れをしている青葵王子のことが、青龍国内でどれだけ噂になっているか教えて欲しいんだ。
何しろ、青龍は天然の擁壁に囲まれた国だから情報が少なすぎて。
お仕事で忙しいところ申し訳ないんだけど、僕に教えてくれたら助かります。
ミナージュにシヴァ、お体に気をつけて。
追伸 今度サラシャとアイシャに会いに来てください。待ってます』
「相変わらず思慮深いな。シジュは」
シジュからの手紙に目を通したシヴァは、口元に小さな笑みを浮かべながら呟く。
「しかも、俺たちがいる場所をおおかた予想して、この手紙を白華に託したんだろうな」
………確かに。
シジュは、あんなに可愛いのになかなかの切れ者だからなぁ。
そう、僕たちは今。
きっと凡人なら想像もつかないような所にいる。
そういうのを見越す、やっぱりシジュはとても秀でたアルファなんだ。
僕の視界には遥か彼方まで雲海が広がり、視線を上にずらせば、どこまでも続く晴天が半球状に見渡せる。
麒麟山。
僕の番の、シヴァの故郷。
何故、僕たちがここにいるかというと、3日前に「ミナージュ。おまえ、まもなくかつて無いくらい強い発情期が来るぞ」と言ったシヴァの一言に始まる。
僕の番のシヴァは、理論的なシジュとは違い、第六感が神がかっていて、虫の知らせもしくは予言のような発言が的中する。
僕は宝石の行商をしているシヴァについてまわっているため、必然的に野宿も多くなるわけで。
そんな、過去類を見ないくらいの発情期が野宿の最中に起こると、動けなくなった僕はもちろん、いくら無敵なシヴァとはいえ無傷ではいられないはずだ。
だから、人が立ち入ることを許さない麒麟山に避難してきたという訳だ。
案の定、シヴァの予言は的中し、僕は今最大級の発情期の真っ最中で、シヴァと何回か肌を重ねて、だいぶ楽になってきた僕だけど、未だ体の熱が燻って床からは起き上がることができずにいる。
ほんの少し前までは、シヴァの全てが欲しくて欲しくてたまらず、シヴァに挿入れてもらって降りてきた僕の宮の中を刺激して欲しくて………。
シヴァから離れられずに丸2日、シヴァと2人で接吻をして体を寄せ合って、ずっと密着して泥のようになるまで、愛し合ったんだ。
「………シジュも忙しそうだなぁ。僕も早く発情の熱が抜ければ、シジュと青龍で落合いたいんだけどなぁ」
「あぁ、もうそろそろ大丈夫だろ。昼すぎくらいには、立てるようになるさ」
肩にとまっている白華の鋭い爪をゆっくり腕の方へ移動させたシヴァは、寝屋の窓枠に白華をうつすと、僕に近づいてその長い指で僕の髪を梳くように撫でた。
「本当に?じゃあ、まずシュヌ様にご挨拶しなきゃ。突然やってきて挨拶もしないまま、発情期に突入してしまったから………身のまわりの世話までしていただいたのに、ろくにお礼も言えてないよ、僕」
「気にするな。ミナージュはシュヌのお気に入りだからな。世話がしたかったんだよ」
〝麒麟山には、神々が住む〟
麒麟山はいつも深い霧に覆われていて、その頂上を見た人は必ず命を落とすと言い伝えがあるほど、人々の侵入を阻んでいるから、そういう話が出ているのかもしれない。
実際には、神様じゃなくて人間が住んでいる。
いわゆる〝仙人〟という部類の人たちが、麒麟山に住んでいるんだ。
シヴァは、この麒麟山で育った。
僕もシヴァから聞いただけだからよくは分からないけど。
ある日大鷲が1人の稚児を麒麟山に運んできた。
その稚児がシヴァだった。
その稚児だったシヴァを大鷲から授かって育てたのが、ここ麒麟山に住む仙人のシュヌだ。
シュヌのその長い髪も肌も、全部透き通るように白い。
そして、僕を反射鏡のように映す瞳は、赤い色をしている。
仙人って言ったら、長い髭をたくわえたおじいさんが曲がりくねった杖を持っていたりする、なんて。
僕は貧弱な想像力を駆使していたんだけど、シュヌは違う。
年の頃は二十くらい。
背が高くて華奢で………可憐で。
眉目秀麗、不老長寿。
僕の想像の真逆にいる、仙人の様相とは全く異なるシュヌは、男女性別すら、アルファやオメガすらも超越した存在で、そんな超越した人に育てられたシヴァは、見た目もその能力も、どこかしら人間離れしている感が否めない。
大陸中、どこを探してもこんなアルファはいない。
そんなシヴァが僕の番だなんて、本当に信じられないし………。
普通のオメガの僕を選んでくれた、唯一無二の、僕だけのアルファなんだ。
「久しぶりにお会いしたのに、このような有様で申し訳ありません。シュヌ様」
ようやく寝台から体を持ち上げられるようになった僕は、お茶を煎れてくれたシュヌに頭を下げる。
「そんなに恐縮しないで、ミナージュ。発情期は大変だもの。それに私もミナージュに会えて嬉しいよ」
シュヌは、飲みやすく温めに煎れたお茶を湯飲みに注ぎながら、僕に穏やかな口調で言った。
「ここは、発情期にはもってこいの場所だからね。ゆっくりしていくといいよ」
「何から何まで、ありがとうございます。シュヌ様。でも………」
「でも?」
「白虎に嫁いだミナージュの弟が、名代で青龍に行くことになったんだよ。明後日の朝には、ここを発つ予定だ」
そう言うとシヴァは、手紙を白華の足につけられた筒に手紙を入れて、腕にとまっていた白華を勢いよく大空に羽ばたかせた。
「えー?来たばっかりじゃないかぁ。私だって、もう少しミナージュと一緒にいたいよ」
「………シュヌは相変わらず好きだよな、ミナージュのこと」
「だってこんなに月季みたいに可愛い子、初めて見るんだもの。一緒にお喋りしたいじゃないか。ね?ミナージュも私とお喋りしたいでしょ?」
「シュヌ、あのさぁ」
「シヴァだけミナージュを独り占めなんて、ずるい!」
「いい加減にしろよ!番なんだよ!俺とミナージュは!!」
………親子喧嘩、勃発。
しかも、非常に日常茶飯事的な喧嘩を、不老長寿の美しい仙人と他を圧倒するアルファがしている。
そもそも、原因は僕だ。
でも………それだけ信頼して、本当の親子じゃないのに親子以上で………。
羨ましい、な。
僕と父親は、そういう関係には絶対にならなかった。
父親は国王で、絶対で………。
親子という関係ではなく、主従の関係で………。
母親は僕が小さい時に亡くなったし、甘えるべき父親が、僕はなんとなく近寄り難くて怖かったんだ。
………これは、僕のわがままかもしれないけど。
シュヌに僕の父親になってもらいたい、と思ったんだ。
「ねぇ、シヴァ。出発を少し遅らせよう?」
緩い喧嘩の真っ最中、シヴァは紫色の目を見開いて僕に振り返った。
「何、言ってんだよ?!」
「大丈夫だよ。シジュは体力ないから、黄龍山脈を越えるのに時間がかかるから」
「ミナージュ!?」
「本当に?!本当にいいの?ミナージュ!!」
嬉々とした表情のシュヌと、驚愕の表情を浮かべるシヴァと。
僕は交互に見比べてしまって、少し笑いが込み上げてきた。
「はい、大丈夫です。僕もシュヌ様とたくさんお喋りしたいんです。………今のシヴァみたいに。シヴァとシュヌ様の親子のようになりたい、僕も……。シュヌ様、僕をシュヌ様の子どもにしてもらえませんか?」
輝く紅玉のような瞳と。
紫水晶のような透明な瞳と。
4つの見開かれた瞳が僕を凝視して、時間がとまって………僕たち3人は一斉に笑い出す。
………こういうの、初めてだ。
幸せなのに、楽しいのに………。
胸の鼓動が、強くておさまらない。
「いいよ!!ミナージュ!!願ったり叶ったりだよ!!ミナージュは私の子どもだ!!嬉しいなぁ、こんな可愛くて素直な子が私の子どもになるなんて!でかした、シヴァ!!」
シュヌは僕にその白い手を伸ばして、シヴァと僕を一緒に抱きしめた。
「あとで、青龍の王都への近道を教えよう。その道を行けば1日で王都に着くよ」
「はぁ?!なんだよ!!そんな道があるんなら早く教えろよ!」
シュヌの細い腕の中に収まったまま、シヴァはまたじゃれつく子犬みたいにシュヌに噛みつく。
………僕は、なんて恵まれてるんだろう。
大事な弟がいて、甥っ子姪っ子も一気にできて。
愛する唯一無二の人は、僕のことをとても大事にしてくれるし、その人の親からも愛されて………。
………産まれてきて、よかった。
オメガでよかった、って。
心の底から、そう思ったんだ。
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