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#3 麒麟山のα

「白虎の王族の一団が、到着したみたいだ」 燭台の上の蝋燭が揺らめいて、窓越しの暗闇をより一層、闇が漆黒へと誘う。 ………夜半、前? 寝台から上半身を起こしたシヴァが、猫が耳をそばだてて外の音を拾うかのように呟いた。 シジュが、きたんだ!! すぐにでも会いに行きたい!! 会って、つもる話をしたい!! ………でも、恥ずかしい話。 僕はシヴァと交接しすぎて、体を持ち上げることすらできない。 最近、僕はおかしい。 異様にシヴァを求めるし、シヴァから離れたくない。 あの史上稀に見る発情期を経験してからというもの、無理に意識していないと四六時中、シヴァと肌を重ねることしか考えられなくなっている。 ………前は、こんなんじゃなかったのに。 本当に、シヴァとは運命だったと思った。 肌を重ねたい、とか。 噛んでもらいたい、とか。 シヴァに会った瞬間、そういうアルファとオメガ特有の運命の感じ方をしなかったんだ。 シヴァと………運命の番というしがらみを超えた何を感じて………。 アルファとかオメガとか、意識せずに普通の伴侶として………。 シヴァと生きていたかったのに。 まさか、あの発情期が引き金となるなんて。 僕は間違いなくオメガだったんだって、烙印を押された気分になったんだ。 「………今日はもう遅いし。明朝、シジュに会いに行こうかな?」 なんて……本心は、今すぐにでもシジュに会いに行きたいと心ははやるのに、腰が緩くて立ち上がれないことの言い訳をした。 「嘘つけ。本当は立てないんだろ?」 「………バレたか」 「〝思い立ったが吉日〟ばりに突っ走るミナージュが、そんなこと言うわけないしな。そんなこと言う時は、大抵腹が空いて動けないか、発情期して交接しすぎたか、だろ?」 「敵わないなぁ、シジュには」 寝台に寝そべったまま苦笑する僕の体を、シヴァはその大きくて繊細な手でなぞる。 「俺は、ミナージュに敵わない、な」 「どうして?」 「明るくて、頭の回転が速くて、月季のように可憐で。毎日一緒にいるのに、毎日新しく感じる。 ミナージュは不思議だ。未だに信じられない………。こんなに、綺麗な………天の住人のような人が………俺のものだなんて………。信じられないんだ、ミナージュ」 「………シヴァ」 「オメガとか、関係ない………。一人の人間として好きだ、ミナージュ」 シヴァの体が熱を帯びて、僕の体にその熱が伝わって………。 唇が一分の距離まで近づくと、シヴァの全身から白檀の香りが沸き立った。 ………だめ、止まらない。 また、シヴァが………欲しくなる。 「シヴァ……僕、どうかしている。まだ、発情してるのかな……?腰が立たないのに、まだ………まだ、シヴァが欲しい」 「俺もだ、ミナージュ。………梔子のような香りが、強くなってる………ミナージュ……」 本当にどうかしている。 こうして2人っきりになると、僕の甘い色香はシヴァを絡めとって離さない。 ………さっきも、交わったのに。 僕の内側のさらに奥は、シヴァの熱を吸い取るように熟れて熱くなって………くる。 「んぁ、はぁ……シヴァ……ぁ、あぁ……奥………出して」 「………ミナージュ…っ!!」 「お願っ……シヴァの………中………いっぱいにして」 シヴァの何もかもが欲しい。 その心も、その紫水晶のような瞳に写るのも。 その体も、声も。 白檀のような香りまで、シヴァのすべてを僕の体に閉じ込めたい。 ………どうかしてる、というより。 僕は、狂ってるのかもしれない。 甘い、懐かしい香りで目が覚めた。 シヴァは僕の隣で深い眠りについていて、僕がゆっくり体を起こしても、その均整のとれた体は微動だにしない。 この香り………外…から? 朝靄のせいで、窓から見える宿の庭すら一尺先すら鮮明に確認することができないのに、僕はその先に会いたい人がいることを確信していた。 少し、冷たい空気が肌に刺さって、僕は着物を羽織ると、その懐かしい香りに誘われるように、朝靄に覆われた庭に足を踏み入れる。 「シジュ?………いるんでしょ?」 「うん、こっちだよ。ミナージュ」 声のする方へ、僕は足を進めて……。 ふわっと、急に視界が開けて。 シジュが、夾竹桃の木の下に佇んでいた。 「シジュ、会いたかった」 「僕も」 白虎の独特の白い民族衣装に、その首元にはひと目でわかる玄武の繊細な首飾りが静かに輝いて………。 スッと背筋を伸ばして立つシジュは、いつものかわいいシジュなはずなのに、少しだけ年上の僕を追い越して大人になったみたいで………。 知らないシジュに見えてしまう。 「この間の……あのかわいい格好じゃないから、驚いちゃった。シジュ………なんか、急に大人っぽくなったね」 「多分、いつになく緊張してるんだ。あんまり寝られなかったし、青龍に来たのも初めてだし。なんか落ち着かなくて。大人っぽく見えるのは、白虎の男性用の正装をしているからじゃないかな。流石に、女性用の衣装じゃ失礼でしょう?………でも、似合わなくってさ。少し手を加えてるけどね」 懐かしい人懐こいシジュの笑顔に僕はホッとして、たまらず昔みたいに抱きしめた。 「シジュ、元気そうでよかった」 「ミナージュも………。ミナージュ、香りが変わった?」 「え?」 「うまく表現できないけど、前より幸せそうな香りがする」 「そう?でも、あってる。僕は今、凄く幸せだから。そういうシジュも、今幸せでしょ?」 「うん、凄く幸せだよ。ミナージュに負けないくらいにね」 空が白み出して、朝靄も段々薄くなる。 夾竹桃の微かな香りが漂う庭に設置してある椅子に腰掛けて、僕らは久しぶりに2人だけで会話をした。 シジュの子ども達のことや、リューンのこと、話したかったありとあらゆることを。 そして、僕は一番シジュに聞きたかったことを口にしたんだ。 「こんなこと、シジュにしか相談できないんだけど………聞いてくれる?」 「うん、いいよ。ミナージュ」 「最近、発情が凄くて……。ちょっと前に、今まで経験がないくらい激しい発情期がきて、それからというもの、気をつけてないとその行為のことばかり意識してしまう。………こんなこと、今までなかったのに……。恥ずかしいし、でも、どうにもならないし………。シジュはリューンと番になってるから………その、えと………こんなこと経験したかなぁと思って」 いくら気心が知れているとはいえ、自分の発情のことを開けっ広げに言うのとか、ましてや、僕とシヴァの交接事情を相談するなんて、常軌を逸してると思われているかもしれない。 だけど、僕は………。 僕の周りには、アルファしかいない。 だから、他のオメガのそういうことを知りたかった。 僕たち以外の番のことを、聞きたかった。 そして………〝僕だけじゃないんだ〟って安心したかったんだ。 「そうだなぁ………。リューンはあまり表現に出ないからなぁ。気がついたら発情してる感じだし。僕が鈍感なだなのかもしれないなぁ………。僕、番失格だね。リューンの変化にも気付いてあげられないなんて………」 「違う!!シジュは優しいもの!!失格なんかじゃないよ!!」 シジュは目を細めて笑うと、僕の手を両手で包み込むように握ってくれた。 「ありがとう、ミナージュ。………あのね、うまく伝わるか分からないけど………。僕もリューンと一緒にいる時、リューンが愛おしいくて、リューンのそばにずっといたくて。リューンと肌を重ねる度に、魂ごと持って行かれそうになる。………今もそう、リューンに会いたくてたまらない……。アルファの僕でさえ、この身が見えない炎で焦がれてしまうんじゃないか、って思うから………。ミナージュが、気に病むことじゃない。シヴァを愛しいと思う素直な気持ちの現れだと思うよ。それに………」 「それに?何?」 僕の手をそっと離して、シジュはその手を耳に近づけると優しい鈴を転がすようないい声で囁く。 「ミナージュのとこに稚児がくる日も、近いかもね」 ………え? ………や、ややこ? …………そんな、そんなこと。 一片たりとも考えたことなかった………。 シヴァと………2人で、生きて行くとばかり考えていたから………。 「どうしたの?ミナージュ。大丈夫?」 「……う、うん!!大丈夫!!そうだよねぇ。稚児かぁ!!」 「さて、と。温泉に入ってさっぱりしようかな。ミナージュ、あとでシヴァに話があるんだけどいいかな?」 「うん、分かった。じゃ、また後で」 「またね。ミナージュ」 まだ微かに残る朝靄の中を寝屋に向かって歩くシジュの姿が、その白い服が朝靄にとけて、まるで雪のように消えて見えなくなる。 ………稚児、かぁ。 よく考えれば、いや、よく考えなくとも。 僕はオメガで、シヴァはアルファだから。 いずれは僕たちも稚児を授かることになるのは、必然的で………。 ………シヴァは、稚児が好きかなぁ。 想像だにしていなかった、近い未来を突きつけられた僕は、その想像を安易に思い描くこともできず、夾竹桃の花の香りに身を委ねながら、しばらくそこから動けずにいた。 「シヴァのおかげで色々助かったよ。ありがとう」 「礼を言われるまでもない、気にするな。………気を引き締めなきゃならないのはこれからだぞ、シジュ殿」 「………うん、わかってる。青葵様の件で思いの外、白虎に対する風当たりが強いこともね」 太陽が朝靄をかき消して、気温も少し高くなる。 軽く朝食に粥を食べた後、部屋にシジュと白虎の第三王子・アミーユがシヴァを訪ねてきた。 3人の秀でたアルファが情報を持ち寄り、最善の策を講じたり、最悪の事態を想定したり。 僕は、一人蚊帳の外で………。 窓際の長椅子に座って、昨日書房で買った詩集に目を落としていた。 結構、気に入って買ったのに………内容が全く頭に入っていかない。 ………別に3人に引け目を感じているわけじゃないんだ。 今のこの状況では、僕は必要ない。 それに………。 シジュとアミーユが来る前に、シヴァに稚児のことを聞きたかったのに………。 結局、言い出せなかった。 ………いつもの僕じゃないのは、重々承知だ。 それが顔にでていることも、わかっている。 だけど、僕は………いつもみたいに、真っ直ぐにシヴァに僕の思いを伝えることが出来なかったんだ。 ………稚児が、嫌いだったら? ………僕が稚児を産んで、シヴァが変わってしまったら? どう言って聞いたらいいかも、わからない………。 ………駄目だなぁ。 何が、したいんだろう………僕は。 「……ジュ………ミナージュ」 不意に名前を呼ばれて、色々考えてすぎて気もそぞろだった僕は、持っていた詩集を床に落としてしまった。 「ビックリした。何?」 「どうした?大丈夫か?」 そう言ったシヴァの紫の瞳が心底心配そうに揺れて、僕は精一杯の笑顔で「本に集中していただけ」と答える。 「ミナージュ?本当に大丈夫?」 「うん、大丈夫!大丈夫!詩集、読み終わっちゃったから書房にでも行ってこようかな」 努めて明るく、心の中に巣作った不安を覆い隠すように。 「僕も行きたい。青龍は大きな書房があるんでしょう?」 「シジュは忙しいでしょ?僕、代わりに行ってくるよ?」 「僕も行きたいから、もう少し待っててくれない?」 「………うん、わかった」 本当は、無理にでも一人になりたかった。 そういう口実を無理に作ったのに、呆気なく論破されて。 僕はまた、全く頭に入らない詩集を開いた。 牀前看月光 疑是地上霜 擧頭望山月 低頭思故郷 故郷………朱雀を思う、か。 あの日、シヴァに初めて会ったあの日を思い出す。 あの日も綺麗な月の夜で、月明かりに照らされたシヴァの紫水晶のような瞳に魅了されて、一瞬で恋に落ちた。 アルファだと気づいたのはその直後で……僕は、シヴァがアルファじゃなくても、その思いは絶対に変わらないと確信したんだ。 お互い〝アルファとオメガ〟なんて、後から付いてきた付属品みたいな感じだったのに。 今、僕の気持ちはその付属品によって、強く締め付けられている気がして………。 僕は窓枠に頬杖をついて、ぼんやり庭に咲きほこる夾竹桃の花を眺めてはじめた。

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