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#4 麒麟山のα
「最近、よくいらっしゃいますね。何か気になる書籍がございますか?」
青龍の大きな書房で目的も定まらず、彷徨うように書房をうろついていた僕は、初めてお目にかかる店主と思しき人に声を掛けられた。
シジュが欲しいと言っていた星見の本とか、詩集をぼんやり探していたから、怪しい人に思われたかな………。
宿屋にいてもシヴァやシジュといったアルファの中で僕が勝手に引目を感じて、書房に何となくきてしまって………。
いけないなぁ、僕は今凄く後ろ向きな考えをしていて。
知らず知らずに、そんな考えが表に出てきていて、シヴァやこの書房の店主や………色んな人の迷惑になっちゃってるのかもしれない。
「すみません。不愉快にさせてしまって申し訳ありません!決して悪いことをしようと思っているわけでは……」
「いやいや、そうじゃなくて」
艶やかな黒髪を一つに結いて、優しく微笑むその店主の瞳は、吸い込まれそうなくらい鮮やかな緑柱石そのままの輝きを放つ。
………美しい、人だなぁ。
スラっとして、優しげで………。
そして、知性が滲み出ている。
「先日は詩集を買っていかれたでしょう?あの詩集、私も結構好きな詩集なので。あなたが今度は何をお読みになるか気になってまして」
「………そうですか。僕はてっきり、盗人か何かと思われてるのかと」
店主は、その美しい顔を崩して楽しそうに笑った。
「黒曜石みたいな澄んだ瞳をしたあなたが、そんなことするわけないでしょ?」
そう、そんなことするわけないけど。
話したこともないほぼ初対面な人に面と向かってそう言うことを言われると、なかなか恥ずかしくて顔から湯気が出そうなくらい、頬が火照ってくるのがわかる。
こんなこと言われるの………。
シヴァとシジュ以外には免疫ない。
僕は、稚児みたいだ。
………僕自身が稚児みたいなのに、僕はシヴァの稚児を宿すことができるんだろうか?
………きっと、僕で手一杯だから、稚児なんていらないのかも。
「どうされましたか?」
「いえ………。最近、想いにふけることが多くて。気を紛らわすために、本を読み漁ってるんです。………よく考えたら、作者にも書房の店主であるあなたにも失礼ですよね。自分の薄っぺらい欲求のために、本にきちんと向き合ってない………。僕、帰ります。お邪魔しました」
こんなこと、見ず知らずの人に言うつもりはなかったのに。
………宿で感じた疎外感を、そのまま吐き出してしまうなんて。
逃げるように書房を出ようとすると、僕の身体は急に引っ張って急停止した。
店主に腕を引っ張られている。
「待って!」
「………」
「一緒にお茶でもどうです?珍しいお茶が入ったんです。おいしい月餅も手に入ったんですけど、一人で飲むのも寂しいので、一緒に召し上がりませんか?
「………」
「私、小碧といいます。よかったら、お名前を教えていただけませんか?」
「………ミナージュ、と申します」
思わず、名乗ってしまった………。
あんまり、知らない人とは関わり合いになりたくなかったのに。
お茶が……珍しいお茶が欲しかった訳ではない!
月餅がおいしいってのはもちろん知っている!
決して物で釣られた訳じゃないんだよ、僕は!
言い訳じみてるけど、僕のことを知らない誰かと話をしてみたかった。
オメガであることとか、朱雀の王族だったと言うこととか。
僕を色眼鏡で見ない、まっさらな人と話をしてみたかったんだ。
抹茶とか………結構、久々に飲んだ。
書房の一角にある、手入れされた庭が見える丸い窓のそばに、茶道具一式と月餅を用意した小碧は、若干緊張して変な顔をしているであろう僕に、春風のような穏やかない笑顔を見せる。
そして、柔らかな物腰で茶をたてて、僕の目の前に月餅を添えて差し出した。
このまろやかな苦味は、月餅の甘さとよく合う。
心が、あったまる………。
「おいしい………。ありがとうございます、小碧さん。なんか、落ち着きました」
「よかった。私もちょうど茶飲み仲間が欲しかったので。すてきな首飾りですね。玄武のものですね」
「あ、はい」
「手の込んだいい物だ。どことなく気品のあるミナージュさんにちょうどいいですね」
「………お気付きでしょうが、僕、オメガなんです。番になった旦那様からいただいて………」
「そうなんですね!素敵です」
………他愛もない、なんら変哲もない会話。
なのに……。
変な胸騒ぎがして、僕は飲み干す寸前だった抹茶を茶卓の上に置いた。
変だ………。
なんか、声が出しづらい気がする。
「お抹茶、とても美味しかったです。………そろそろ戻らないと………旦那様が………」
そう言って立ち上がろうとした時、天と地が逆転したんじゃないかってくらい、体が大きく傾いた。
………た、たいへんだ。
だから、知らない人と仲良くなっちゃ、駄目なんだって………。
あれだけ、言い聞かせていたのに。
「嘘をついてはいけませんね。朱雀の王子様」
………小碧は、知っていたんだ。
僕がオメガであることも、朱雀の王族だったことも、全部知っていて近づいてきたんだ。
…………だと、したら?
何が、目的なんだろう………小碧は。
「あなた白虎に嫁いだ朱雀の王子様なんでしょう?」
………え?
シジュと勘違いしている?
確かに………僕は見た目もなんとなくシジュに似ているし………そうか。
シジュは表向きオメガということで白虎に嫁いでいるから、完全に見た目がオメガの僕と勘違いしたに違いない。
「どうしてあなたが、白虎で王族からも国民からも愛されているのか分からない。私の弟……青葵もオメガなんだ。なのに、何故なんだろうか。あなたは優遇されて、青葵は冷遇されている。だから………あなたの秘密が知りたいんですよ。………あと、白虎の王子が慌てるとこも見たいしね」
………やだ、シジュと間違われてる。
「や、違………僕は………人違い」
体の力が抜けてるのが分かるし、何より自分の馬鹿さ加減にうんざりした。
………オメガな上に、足手まといになって、さらにシジュに間違われて迷惑までかけてしまうなんて。
あ、でも。
本物のシジュじゃなくてよかったかな………。
しっかりしているようで、結構、抜けちゃってるとこもあるし。
………あぁ、駄目だぁ……頭も重たくて………。
こんなに眠たいって思うのも初めてで………。
僕の視界に入り込んできた小碧の姿が、だんだん狭くなっていって、そうしているうちに真っ暗になってしまった。
✳︎
ミナージュが、戻らない。
俺たちが青龍の対策に知恵を寄せ合っている間、よっぽど暇だったのか、「書房に行ってくる!」と言ったっきり。
青龍に来たときは、だいたいいつも書房に行くんだけど、今回ばかりは変に気持ちが固くなって、緊張して………嫌な予感しかしない。
一人で行かせるんじゃなかった……。
シジュたちと話をしていて、ミナージュのことを全く構ってあげられなかったから、俺が全体的に悪い。
………そんなに気にしているなんて、思わなかったんだ。
初めて出会った時から、そう。
その月季のような可憐な容姿はさることながら、ミナージュは、明るくて優しくて………。
オメガなんて全く気にするそぶりも見せずに、純粋に真っ直ぐ生きていた。
皆、俺の紫色の目を見て気味悪がっていたのにミナージュだけは、その黒曜石のような瞳を真っ直ぐ俺に向けて「あなたの瞳は、吸い込まれそうなくらい美しい」って言ってくれて………。
だから、極自然に。
さもそれが当たり前かのように恋に落ちて。
ミナージュがアルファだろうが、オメガだろうが関係ない。
ミナージュそのものが好きになったんだ、俺は。
確かに、ここ最近はいつものミナージュらしくなかった気がする。
かなり辛い発情期を経験してからだ。
ミナージュが、どことなく空元気だったのは。
俺の前では元気に振る舞っていても、たまにどこかを焦点の定まらない瞳で見つめて、物思いにふけっているような、そんな佇まいで………。
もう少し………。
どうして気づかってあげられなかったんだろ………。
伴侶、失格だな。
「シヴァ」
ミナージュとよく似た、でも、どことなくミナージュから純粋さが欠けたような声が部屋の入り口から響いた。
「シジュ殿」
「ミナージュ、まだ帰ってこないの?」
長い黒髪を一つに結えて、白い白虎の衣装を纏ったシジュは、ミナージュと似たような首飾りをつけてゆっくり室内に入ってくる。
「あぁ………あんまり考えたくないけど、最悪なことを考えてしまう。最近、いつものミナージュじゃなかったから、さ」
「心配だね………。僕もあまりミナージュにきちんと応えてあげられたかどうか分からなかったし………」
「え?」
「発情について悩んでたみたいで……。激しい発情期を迎えてから、そういう行為しか考えられないって」
………そんな、ことを?
オメガなら当然のことだから、気にすることないのに。
それに、俺はアルファだからお互い本能にままに発情期をミナージュと過ごして………。
ミナージュが楽になればそれでいいと思ってたから。
「ミナージュは、混乱しているじゃないかな。明るくて、真っ直ぐで。普段はオメガとか全く気にしないで生きてるから、激しい発情期に気持ちがついていかなかったのかもしれないね」
「………俺、そんなことに気付きもしなかったなんて………結構、衝撃だな」
「僕もリューンのこと、よく分かってあげてるか分からないから………。ミナージュが、自分の中で折り合いをつけてくれればいいんだけどね」
そのシジュの言葉が、俺の胸な細く深く、突き刺さった。
………いてもたってもいられない。
一刻も早く、ミナージュに会いたくなった。
太陽が少し傾き出した、青龍の澄み切った青い空を見上げた俺は、ミナージュに対する思いを放出するかのように、指笛を天高く響かせる。
白華、速く………こいっ!!
「ミナージュの香り、結構覚えさせたから大丈夫だと思うんだけど。ミナージュ、少し香りが変わったからな」
「大丈夫だよ、白華は賢いから」
青い空に小さな点が浮かび上がると、それは急速に大きくなって俺に近づいて来た。
「白華!!ミナージュを探せ!!」
キィアーッ
独特の高い鳴き声を空に響かせた白華は、俺の上をゆっくり旋回して、再び空高く舞い上がる。
「シヴァ」
「なんだ?シジュ殿」
「ミナージュを、頼んだよ」
シジュのいつになく真剣な眼差しに、俺は目を逸らさずに小さく首を縦に振った。
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