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王宮編 2
この国の教会で1番偉い立場――大司教であるサイルダに連れられて、幸と歩は別室に案内された。先ほどの場所に比べれば大分小さいが、それでも広々とした部屋だ。大きい窓の向こうにはバルコニーがあり、明るい光が差し込む。今、幸が座っているソファや、目の前のテーブルや茶器、絨毯や暖炉など、部屋に置かれている全ての調度品から、悉く高級品の貫禄を感じる。身の丈の合わないものに囲まれて、緊張していた幸の背筋がますます縮まった。
そして少し間を置いて、向かい側のソファに座るサイルダから信じ難い話を聞かされた。
この世界は、幸と歩がいた世界とは全く違う世界。幸と歩はこの世界の神に選ばれて、この国――神聖ライトン王国に召喚された神子で、神子は現王の御代に神の幸福がもたらされること示す、吉兆の象徴であるという。
「違う世界って…そ、そんなこと突然言われても分からないです……っ」
今まで、歩の手前では口を開かないように努めていた幸だったが、あまりの出来事にそう尋ねずにはいられなかった。余裕をなくした幸に、サイルダは鷹揚に頷く。
「そうでしょう。過去にいた神子様の様子を記した伝記が残っていますが、はじめは皆様一様に混乱し、不安な気持ちでいらしゃったと、そう記録が残っています。二の神子様が怖がる気持ちを、わたくしは理解しているつもりです。ですがどうか御安心して下さいませ。神子様が降臨して下さった以上、国を挙げて歓迎し、必ず我が主の恩恵に報いましょう」
「そういうことを言ってるんじゃ……」
「俺たちは何をすればいいんですか?」
幸の言葉を遮り、歩が尋ねる。男前の顔に爽やかな笑みを浮かべ、敬語で話す歩は、完全に外向きの顔になっている。サイルダは歩に向き直ると、浮かべていた笑みをさらに深めた。
「神子様は最初だけ、陛下と共に公務に当たって頂きますが、それが終われば必ず参加して頂く儀式などはございません。神子様は存在そのものが吉兆。この国にいて下さるだけで、右に出るものがないほどの光栄なのですから」
「では神子として生きる代わりに、何かを失ったりすることはないってことですか? 寿命が縮まるとか」
「ありません。過去の神子様には男性も女性もいらっしゃいましたが、皆様天寿を全うしております。疑わしければ、記録をお持ちしますが?」
「いえ、そこまでは。代償がないことを知りたかっただけですので」
「神子様は皆、ご自分がかつて生きていた世界を捨てるという代償を払っておいでです。……いえ、代償というよりは慈しみ…でしょうか。それに対する恩を、わたくし共はお返しいたすだけです。お体を害したりすることは決してございません。この国にとって、神子は最も愛しく有難いのですから」
「〝最も〟…」と、サイルダの言葉を歩が繰り返す。少しして、歩が「そうですか」と頷くと、サイルダは嬉しそうに表情を輝かせた。
「分かって頂けたようで、大変嬉しく存じます」
幸は自分も同じく〝神子〟と呼ばれる存在のはずなのに、なぜか蚊帳の外に追いやられたような気分になった。「俺はまだ納得できません」と声に出そうとして、歩の視線に射抜かれ、押し黙る。冷たい氷の目が「黙ってろ」と言っている。幼い頃から向けられ続けたこの目に、幸は逆らうことができない。
(なんで歩はそんなに冷静なの? 突然、知らない世界の知らない場所で、知らない人によく分からない話をされて、なんですぐ納得できるの?)
俯いて拳を固く握りながら、幸は心の中で必死にお願いした。
(歩、お願い……元の世界には帰れないのか訊いて……。俺は帰りたい。あの世界を捨てる慈しみなんて、俺は持ってないよ)
しかし歩がそれ以上口を開くことはなかった。それでもお願い、お願い、と祈っていると、サイルダが思い出したように言った。
「1番大事なことを忘れておりました。この世界にいる間、神子様は歳を取りません。何年経ってもその姿のままであり、この世界において神子様は不老です。老いはしませんが、天寿はございます。神子様の寿命はいわば、神子としての任期であり、人により期間は違いますが、神子としてそれを全うすればこちらでの命は尽きます。命尽きた後、神子様の魂はあるべき場所__つまり元の世界の、元の時間に戻ります。先ほどは以前の世界を捨てて頂いた…と申しましたが、必ず元の世界にお帰りになれます。これはご承知置き下さい」
サイルダの言葉を聞いて、幸は思わず立ち上がった。
「本当、ですか……?」
声が震える。サイルダが笑顔で頷くのを見て、足から力が抜けていく。不安が緩んで、涙が出そうになるのを必死に堪えた。
少し長い旅だ、そう思うことにしよう。いつ家に帰れるかは分からなくても、いつか帰ることができると思うだけで、何百倍も心が軽い。ずっとではなく、期間限定なら…頑張れる。
ふと、歩を盗み見た。その顔は無表情で、元の世界に帰れることを喜んでいる様子は全くない。
(歩は帰りたくないの? 神子なんかにならなくても、あっちの世界には歩を好きでいて、優しくしてくれる人たちがいるっていうのに)
そんなことを思っても、言うことはできない。歩が自分からその理由を話すなんてこともないだろう。歩の心はずっとずっと遠いところにある。
「それでは神子様、ご降臨されたばかりで恐縮ですが、さっそくやらねばならないことがあります」
「やらなければならないこと?」
歩が聞き返すと、サイルダは少し改まった声色で答えた。
「王への謁見です」
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