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王宮編 3
幸と歩はサイルダの後ろを歩いていた。前からサイルダ、歩、少し間を空けて幸と並び、その先頭と最後尾には鎧を纏い、槍を持った兵士が付いていた。異世界と言われても実感が持てずにいたが、ファンタジー映画に出てくるような服装や武器、建物を見ていると、その生々しさを感じずにはいられない。
歩いている内にだんだんと建物の中が分かってくる。幸たちが最初にいた場所――あれは中央大教会の神殿の地下で、最も神聖な場所らしい。そこから階段を登って移動した部屋は教会の応接の間で、今幸たちが歩く回廊を抜けると、教会と直接繋がる王宮にたどり着くようだ。
白いレンガで作られた内部は美しいが、少し寂しげな印象を受ける。王宮は王族の住まいなだけではなく、政治の場にもなっているのか、文官のような装いをした人も往来していた。サイルダは白いローブは神官らしい服装だが、王宮の人たちは上下が分かれた服だ。しかし装飾は現代離れしていて、ファンタジー映画で見るものそのままである。
部屋を出る前にサイルダから神聖ライトン王国の王室について簡単に説明を受けた。王家は隣接する強国、通称〝魔物の国〟に支配を受けていた、この土地の人々を解放した勇者の血筋だという。現在は王、王后、王太子がこの王宮に住んでおり、他の兄弟は別邸にて生活しているのだという。今日は王と王太子に謁見するという話だった。映画に出るような「謁見の間」を想像した幸だったが、今日はそこまで改まった公的な儀式ではないらしく、案内されたのは先ほどの応接の間と似たような部屋だった。しかしさすが王室とも言うべきか、部屋の中にあるものは目に見えて高級品だ。大教会の応接の間の比ではない。
金の糸で巧妙な刺繍が施されたソファに座り、待つこと数分。扉がノックされる。幸はサイルダに合わせて立ち上がったが、「神子様はお座り下さい」と制され、再び腰を下ろす。
扉が開く。その向こうから初老の男性と幸たちより少し年上の男性が現れた。どちらも輝く糸のような白い髪を持ち、色素の薄い青い目をしていた。思い出してみれば、サイルダも、ここに来るまで見た人々もまた、白とはいかずとも色素の薄い髪色だった。
王と王太子は幸と歩の近くまで歩いて来ると、胸に右手を当て、床に片膝をつき頭を垂れた。
「神子様。よくぞこの御代に御降臨下さいました」
深々と礼をした後、王と王太子は顔を上げる。すると王が満面の笑みを浮かべ、隣に座る歩の手を取った。
「堅苦しい挨拶はこのくらいでいいだろう! 改めて、ようこそ神子殿! サイルダに聞いた通り、2人の神子とはなんと吉兆な!」
「陛下、お気持ちは分かりますがお控え下さい。驚いています」
王は王太子が制すのも構わず喜びを全面に出し、今度は幸の手を取り強く握る。その手を力強く上下に振られて、幸の体まで浮きそうになった。そろそろ離して…と思った頃、ようやく離される。
「神子様、こちらジュベリ国王陛下とアイン王太子です」
「サイルダ、神子様の名前は?」
「アユム様とサチ様で御座います」
「アユム! サチ! 良い名だ」
うむ、と満足げに頷くのと同時に王がゲホゲホと咳き込む。咳は水っぽく、なんだか病的だった。
「陛下、お身体に触ります。座って下さい」
「げほ…っ、悪いな、アイン」
アインは近くにいた使用人に、すかさず「水を」と頼んだ。王はアインに支えられながら椅子に座ったが、咳は治ったものの、体力を消耗したのかぐったりとしている。
それだけで、幸は王が厄介な病を患っていると勘付いた。よく見てみると、服の上からでも腕や肩の細さが分かる。背が高いため誤魔化せているが、よっぽど痩せている。
「まさか朕の代に神子に恵まれるなど…夢を見ているようだな」
そう微笑む王は、心から喜んでいるようだ。
「これが朕の死に土産だろうか」
「陛下っ」
アインが戒めるように名前を呼ぶと、また可笑しそうに笑う。しかしアインもサイルダも否定はしない。
「はじめまして、俺は歩です。陛下の期待に応えられるよう、神子としての務めを果たします」
背筋を伸ばし堂々と歩がそう云うと、アインがほお、と感心したように息を漏らした。
「神子様は最初は混乱していると聞いていましたが……こんなに立派な方もいらっしゃるのですね」
「うむ……」
「陛下が素晴らしい王だからこそ、我が主がそれだけの恩恵をもたらしたのでしょう」
歩への期待が一気に高まったのを、幸はその隣でひしひしと感じた。心の中で、さすがだな、と感嘆する。歩が元の世界に帰りたいのか帰りたくないのかは分からない。でもしばらくの間、この世界で生きていく覚悟を決めたように見えた。どんなに嫌でも逃れることができないならやるしかないと、そう思っているのかもしれない。
(そう言えば、母さんから聞いたことがあったっけ)
歩は小学生の頃、ジャンケンで負けて、学級委員長を押し付けられたことがあったらしい。今でこそ自分から立候補するくらいだが、昔はそうでもなかったようで、「いやだいやだ」と散々泣いたとか。それでも次の日から立派に1年間の学級委員長を務め上げた。「途中で投げ出すかと思ったよ」と母が言ったら、歩は「どうせやめれないなら、ちゃんとやるしかない」と返したんだと、養子に入ったばかりの時に聞いた。中学1年生で幸が歩に会った時、歩はすでに今のような優等生だった。そんな時代があったなんて信じられない。
思い出に浸っていると、ふと視線を感じた。見ると、王、アイン、サイルダ、歩の8つの目が幸をじっと見ていた。
一気に体に緊張の電撃が走るのを感じた。その視線は、歩と同じことをするのを期待する目だった。
「あ…えっと、さ、幸、です」
彼らの期待に応えなければ、と無意識に考えていた。歩が言ったように「神子として頑張ります」と言わなければ。
(でも……でも、僕はまだ、覚悟ができない)
歩のように、どうせやるなら、とすぐに腹をくくれるような人間ではないし、なれない。幸の中では元の世界への愛着や、この先への不安が大きすぎて、嘘でも歩のように云うことはできない。
「期待されたことをしなければ」と言う思いと、「でもそれはできない」という思いがぶつかって、何も言葉にできずに口籠もる。口籠もれば口籠もるほど、この場の不信感が膨らむのが分かる。歩がせっかく作った期待が、無残に消えていく。
「お、れは…おれ……おれは…っ」
息が。
息ができない。
苦しい。だれか。
助けを求めるように、歩を見た。その目が言っていた――「お前はなんてできないやつだ」と。
喉の奥が、締まる――……
「まあそう焦るな、二の神子様。突然この世界に来たばかりなのだ、今日の今日では気持ちの整理も付く方が肝が据わっている」
王はそうカラカラと笑った。はっ、と気付く。王だけは皆と違う目をしていた。瞳に映るのは落胆や失望ではなく、大らかな優しさのように見える。
「明日は大臣らや国民への公的なお披露目がある。朕らはこれで失礼するので、今日はゆっくり休んでくれ。明日の疲労は今日の比ではないだろうから、しっかり休めよ!」
王が立ち上がると、アインもそれに続いた。王は立ったまま、恭しく礼をする。病で体を蝕まれているとは思えないほど、優雅で美しい礼に見惚れていると、顔を上げた王と目が合った。王は幸に向かって、視線だけで頷いて見せた。
(「大丈夫」って、言ってる?)
意味を考えている間に、王は踵を返した。代わって王太子が礼をする。そして顔を上げると、幸には目もくれず歩の前に跪き、歩の手を取ってその甲に口付けを落とした。そしてそのまま退室していく。
なぜ男同士でそんなこと、と思いながらも、それが幸にとって何を示すのか分かる。
(あからさまに嫌われた、よね)
知らない世界。知らない場所。知らない人たち。たった1人、知っている歩は幸の味方ではない。そんな場所だからこそ、味方が1人でも多く欲しいのに、味方ができる前に嫌われてしまった。
「では神子様、今日の予定はこれにて終了です。この後、夕食、入浴を済ましていただき、今日は早めの就寝です。お部屋は個室ですが、よろしいでしょうか?」
「はい」
即座に応えたのは歩の方だった。幸と歩は仲が悪いことなど知るはずもないサイルダは、にっこりと笑うと「では行きましょう」と立ち上がった。
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