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王宮編 4

 幸たちは中央大教会へ戻り、2階の部屋に案内された。歩の部屋は廊下を挟んだ向かい側。間取りに若干の違いはありつつも、内装はほとんど変わらない。30畳はありそうな広々とした部屋に、天蓋付きのベッド。大きな暖炉に大きな窓。中庭を一望できるバルコニー。またしても豪華すぎる部屋に案内されたものの、どこにいればいいか分からなくなって、幸はドアの前に立ち尽くしていた。 (これからどうなるんだろう)  この世界に来てから何度となく覚えた不安が、また胸の中で蘇る。明日は公的な儀式があるとジュベリ王が言っていた。神子のお披露目のようなものだと聞いたが、テレビで見たロイヤルファミリーのように手を振っているだけでいいんだろうか。いや、笑顔で手を振ることだって自分には難しいかもしれない。それに明日が終われば帰れるわけではない。  先の見えない洞窟に迷い込んだような心細さ。どう頑張ってもそれを忘れることができなくて、幸が深いため息をついたその時、背後のドアがノックされた。驚いたせいで「はいっ」と出した声が裏返る。静かにドアが開き、1人の女性が姿を見せた。 「失礼致します、二の神子様」  鈴の音のような綺麗な声だった。金色の髪は絹の糸のように滑らかで、シンプルなメイド服を纏っている。水色の目は伏せがちで、にこりとも笑わない。その後ろには他にも何人かのメイドを引き連れていた。 「お初にお目にかかります、レアでございます。二の神子様の部屋付きのメイドとなりました。御用がありましたらなんなりとお申し付けください」 「は、はじめまして、幸です。よろしくお願いいたします」 「お夕食のお時間です。一の神子様が共食をお求めですので、部屋をお移りください」 「歩が……?」  家にいた時だって、歩と一緒にご飯を食べたことなど数えるくらいしかない。それも両親が珍しく早く帰ってこれる時だけで、自分たちから一緒に食べようとしたわけではなかった。それなのに歩が幸を食事に誘う理由は、大方想像がつくような気がした。それを考えると、幸は胃がきゅう、と締め付けられる気がした。  案内された部屋に行くと、テーブルの上に様々な食事が並べられていた。スープやサラダ、肉料理など食べきれないほどの量だ。食材は見たことがないものばかりだが、とてもいい香りがする。  歩はすでに席についていて、外向きの笑顔を貼り付けていた。 「さあ兄さん、座って」 「う、うん」  爽やかに促されて、戸惑いながら歩の向かい側に座ると、食事が始まった。両親の前でやり慣れた、当たり障りのない会話をする。これにも慣れたもので、いつもと同じ問いかけに対して、いつも準備された返事をするだけだ。  しばらくすると、歩が部屋に控える使用人たちに声をかける。 「兄さんと2人きりで話をしたいんですが、いいですか?」 「かしこまりました。扉の外に控えておりますので、何かありましたらお呼びください」  答えたのは男性の使用人だった。他の使用人より位が高そうに見えるので、きっと歩の部屋付きだろう。  使用人たちが全員部屋から出ていく。途端に部屋の中が静まり返り、幸はその空気の重さに俯く。元々、歩と食事するときは味が分からなくなるので、食べ続ける気にもなれなかった。  カシャン、と食器同士がぶつかるような音がして、顔を上げる。歩は持っていたフォークとナイフを皿の上に投げ出し、椅子の背もたれに寄りかかるようにして座っていた。 「お前、死んで日本に戻ったら?」  冷たく、刃のように尖った声色だ。 「王子の反応見ただろ? 俺の手にはキスしたけど、お前にはしなかった。これがどういう意味なのか、さすがのお前にも分かるだろ? お前、嫌われたんだよ」  歩はフォークで肉を上から突き刺すと、頬杖をつきながらそれを齧った。くちゃくちゃと、行儀の悪い音が口の中から聞こえてくる。 「このままここにいても、お前には神子は務まらないよ。俺がしっかりやるから、お前は必要ないし」 「それは…そうかもしれないけど」 「それにお前は俺の召喚に巻き込まれただけだろ。俺の足元に穴が空いて、お前が勝手に付いてきた。最初から神子は俺だけで、お前はそうじゃなかったんだよ」  その言葉に、幸は校門でのことを思い出した。確かにあの時、穴が空いたのは歩の足元だけだった。落ちる歩を助けようとして自分も一緒に落ちて、この世界に来た。幸は歩のところへ駆け寄るため、確かに足元の地面を蹴っていた。 (確かに、今思い出しても俺がこの世界に来たのは事故だ……。でもサイルダさんたちは俺のことを神子って呼んだ。お前は神子じゃないから帰れなんて、言わなかった)  それに…と幸は思う。 「でも……自殺でも日本に帰れるの?」  サイルダは、神子の寿命は神子としての任期のようなものだと言っていた。寿命を生き抜くことが神子の役目を果たすことになるとしたら、自殺はいわば、その任期を放棄することになるのではないか? その場合どうなるかは、サイルダから何も教えてもらっていない。  不安げに問いかける幸に、歩は興味なさそうに、スープをスプーンでかき混ぜながら言った。 「さあ? やってみたら分かるんじゃない?」  幸は信じられない気持ちで、歩を見つめた。どうしてそんな酷いことを言うの? という気持ちが膨らみ、ショックで言葉が出ない。  そうしている間に、歩はナイフとフォークを置き、席を立った。膝に敷いていたナプキンを畳み、さっさとドアに向かって歩いて行ってしまう。  歩はドアの取手を握りながら、「あ」と思い出したように振り向いた。 「やるなら早めに頼むよ、にーさん」  にこりと笑うその表情は外向きのものだ。しかし流された目には凶悪な嫌悪が込められていて、幸は怖くなる。  ドアが閉まり、広い部屋に1人残される。歩が部屋にいなくなっても、相変わらず食事は味がしないままだった。

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