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王宮編 5

 この世界に来て初めての夜は、一睡もできない内に明けていった。  夜空には月以外の大きな星も浮かんでいて、まるでクリスマスツリーのリーメントのように色鮮やかな空だった。その空に見惚れると同時に、本当に異世界に来たのだということを否応なく自覚させられる。  ベッドに横になるは起き、バルコニーに出て外を眺めてはベッドに戻る……それを何度も繰り返している内に空は明らみ、遠いどこかで鳥が鳴いた。 「おはようございます、二の神子様。本日は公務がございますので、先に沐浴をお済ませください」  夜明けと共に部屋を訪ねて来たレアにそう言われ、昨晩も使った浴室へ向かう。沐浴と言っても普通の風呂と変わりない。顔と体を洗い、温泉のように広い湯船に軽く浸かって部屋へ戻ると、食事が用意されていた。  パンにスープ、果物と軽い朝食だ。パンは小麦の味、スープにはカボチャと似たような野菜がゴロゴロ入っている。果物はブドウと同じような見た目をしていたが、グミのように弾力がありおいしい。昨日の夕食でちゃんと食べなかったからか、かなりお腹が減っていた。完食すると、すぐさま使用人たちが片付け出す。食後の余韻に浸る間もない。 「二の神子様、本日は2時間後に大臣との謁見が、その少しの休憩を挟みまして国民へのお披露目がございます。ただいま着付けの者が参りますので、少々お待ちください」  レアが掌で指した方を見てみると、壁の引っかけに服が吊るしてあった。足元まで覆う長さの白いローブに同じ色のズボン。サイルダが着ていたものに似ているが、それよりも刺繍や装飾が多く、豪華な印象を覚えた。 「二の神子様? どうされました、二の神子様」 「――え? あっ、いえ、何も」  ぼーっと服を眺めていたのを、レアに何度か呼ばれて、やっと現実に引き戻される。  歩が〝一の神子〟で、幸が〝二の神子〟であるというのはすでに分かった。しかし慣れていないため「二の神子」と呼ばれても、自分のことだと理解するまで時間がかかって困る。 「あのレアさん」 「レアで結構です」 「俺のことは名前で呼んでもらえませんか? 二の神子って、呼ばれ慣れなくて」 「それは従いかねます」  きっぱりと断られ、幸は思わず「どうして?」と尋ねていた。 「あなたは尊い御方。身分は王族と変わりません。尊い御方を真名でお呼びするのは禁忌に当たります」 「お、俺は別にきにしません」 「気にする気にしないの問題ではないのです。わたくしが二の神子様を真名で呼んでいると知れたら、わたくしは職を失い、監獄行きです」  〝監獄行き〟という言葉に、頭を殴られたようなショックを受けた。自分がレアになんて身勝手な要求していたか自覚する。 「ご、ごめんなさい」 「いえ。そろそろよろしいですか。わたくしは別の仕事もあるので」  レアの表情は静かで、機嫌を悪くした様子も怒った様子もない。姿の美しさも相まって、ただ自分の仕事を全うする姿はロボットじみている。  幸が頷くのを確認してレアが部屋を出ていく。それと入れ替えで着付けの使用人が入って来て、幸は彼らの手で服を着替えさせられた。  服を着替えたのと同時に、サイルダが部屋に迎えに来た。連れられて部屋を出ると、同じ服装をした歩がすでに廊下で待っていた。幸と同じく、花と蔦を模した金冠が頭上で輝いている。 「これより大臣との謁見です。初の公務で緊張されるとは思いますが、基本的には大臣らの挨拶を聞いているだけで結構です。もし余裕があれば、一言でも二言でも言葉を返して頂けると皆喜ぶと思います」 「アユム!」  廊下の向こうからアイン王太子とジュベリ王が姿を見せる。2人も昨日より改まった服を着ていて、王に至っては元の威厳が倍増している。2人とも派手に装飾が施された軍服のような詰襟の胸元に、勲章をいくつも付けている。この世界では白が公的で尊い色なのか、全体的に白を基調とした色味だ。マントも白いが、王の方が長く、足元まである。  アインは早足で歩の元まで来ると、甘く微笑んだ。美しい造形の顔が柔らかく溶ける。あまりの美しさに男の幸もドキッとする。しかしアインは幸など見えていないかのように、こちらには視線もくれない。 「アイン! それに陛下。どうしてこちらに?」 「初の公務に神子殿が緊張しているのではと、様子を見に来たのだ」  王は杖をつきながら、ゆったりとした歩調で歩いてくる。初老でシワも目立つが、それでも男として憧れるような歳の取り方をしている。彫りが深く、後ろで一本に結んだ白い髪は輝きを失っていない。 「俺たちなら大丈夫です。しっかりと神子としての役目を果たします」  歩が胸を張りながら言うと、アインとサイルダが感心したように「ほお」と息を吐く。 「さすがアユムだ」 「此度の神子様は本当にご立派です」  口々にそう言う姿は、やはりもう1人の神子である幸など忘れてしまっているようだ。  悲しさと寂しさを覚えながらも、幸は自分の存在感を消すことに努めていたら、肩にぽん、と手が降りて来た。ジュベリ王の手だった。 「二の神子は緊張なさっているようだ。目の隈が濃いな…昨日は眠れなかったか」 「え、あ……」  ちらり、と歩を見ると、アインやサイルダと会話を弾ませている。ホッとして、ジュベリ王に向き直った。 「はい…すみません」 「なぜ謝る? 責めているわけではない」  自分と頭一個分も背が高いジュベリ王を見上げる。そこには幸に対する嫌悪はなく、単なる疑問だけがある。  正直な気持ちを、王に言ってしまってもいいんだろうか。一瞬迷うが、この人に場凌ぎの嘘をついたところで通用しないような気がして、幸は口を開いた。 「歩と違って、俺は神子に向いてないですから…。俺は出来れば……元の世界に帰りたいと思っていますし」  少しは自覚を持てと叱られるだろうか。それともこんなのが神子だと呆れられる? 自分の代の神子が弱気で恥ずかしいと言われる?  王のことを見ていられなくなって、また俯く。次に来る言葉を覚悟して待っていると、今度は頭にぽんと手が乗せられた。それから子供を安心させるように何度も撫でてくれる。 「へ、陛下……?」 「それで良い」  その言葉は今はそれで良いとも、ずっとそのままでも良いとも、どちらの意味にも聞こえた。 「それは、どういう…」 「陛下、そろそろ」  アインの声に幸の問いかけが遮られる。王は幸を力づけるように肩に手を置き、アインの呼ぶ方へ歩いていく。 「それでは神子殿たち、また後でな」 「はい。陛下」 「またね、アユム」  アインは昨日したように、歩の手の甲にキスを落として王と一緒に廊下の奥に消えていく。 「神子様も、参りましょうか」  サイルダに促されると、歩がはい、と返事する。歩の後ろに続くようにして、幸も歩き出した。

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