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王宮編 6

 大臣たちとの謁見は教会の1階、大聖堂で行われた。  吹き抜けになった天井は高く、見上げるとカラフルなステンドグラスが見える。正面には立派な祭壇が設けられ、その左前に背もたれの高い椅子が2脚用意されていた。入り口から祭壇までは白い絨毯が真っ直ぐ伸び、その左右にそれぞれ200人ほどの人が並ぶ。  幸と歩はその絨毯を歩いて入場した。数百人の視線が一気に突き刺さり、肌がピリピリと痛む。2人が席に着き、サイルダから開祭の挨拶がなされてすぐに、大臣から神子への挨拶が始まった。  大臣は伴侶と共に、2人ずつ幸たちの前に進み、敬礼をしてから名乗り、祝福と感謝の言葉を述べて行く。挨拶は幸と歩、1人ずつ行われ、一の神子である歩が先だ。 「まさか生きている内に神子様をお目にかかれるなんて、この幸いをなんと感謝したら良いか……」 「お言葉は嬉しいですが、神子としてはまだ召喚されたばかりで若輩者です。この王国が豊かな国となるよう、神子として精進してまいります」 「まあ…なんて心強い」  歩の立派な返事に、財務卿夫人が瞳を潤ませる。 (さすが歩…手慣れてる)  学校ではクラスでも部活でもトップに立って来ただけあり、この人について行きたくなる、と思わせるような魅力が確かにある。 「歴史上初の双星の神子ですもの。きっと、もっと素晴らしい国になるわ」   そう言った財務卿と夫人が幸に視線を移す。その目はキラキラと輝いていて、どこか熱を持っている。この世界から幾度となく見てきた、歩と同じようなことを言うのを期待している視線だ。 「…はい、頑張ります」  無理矢理笑顔を作り、せめてもの返事をする。財務卿と夫人の表情が「それだけ?」と言いたげに、少し曇るのが分かった。もっと歩のように希望に満ちた言葉を待っていたのは理解している。 (でも俺には…できないかもしれない約束をすることはできない)  幸の性格上、無責任な言葉を言うことはどうしても憚られた。「嘘も方便」というけれど、今使うべきではないと思った。  あなたたちが求める言葉を言ってあげられなくてごめんなさい……そう苦々しく思っていた時、財務卿が口を開いた。 「一の神子様はご立派ですなあ」  その言葉が幸に対する皮肉であることは、すぐに分かった。2人は幸を一瞥して下段していく。  自分が歩より劣っていることなど分かっているが、こうして言われると堪らないものがある。 「お前はそれでいいよ」  隣に立つ歩が、こちらも見ずに囁く。 「俺が全部やるから、お前は黙って笑ってろ」  これは歩の優しさによる言葉ではない。うまく話せない幸を案じて助け舟を出したのではなく、ただ単に〝俺の邪魔だから黙ってろ〟とう意味だ。このままでは同じ神子である歩の評価も下がるかもしれないと考えたんだろう。 「……ごめん、分かった」  歩の返事はなかった。  その後は歩の言葉通り、にこにこと笑顔を作ることだけに専念した。歩の邪魔をしないように、機嫌を損ねないように、空気を消すようにひっそりと息を殺す。曇りのない言葉を大臣たちに投げかける歩への期待が高まる一方で、幸への落胆が増していく。しかしそれは、歩が際立つことでもある。 (これでいいんだよね)  幸は心の中で静かに呟く。 (歩は、いつも1番になりたい子だ…。親がいないこの世界でも、また1番になろうとしている)  歩が1番欲しかった1番を奪った身として、それを邪魔することはできない。幸自身も、今度の1番で歩の心が満たされれば、それでいいと願っている。  幸は自分が傷つく音を無視しながら、ずっと笑顔を浮かべていた。歩のため、弟のため……そう胸の中で言い聞かせ続けていた。  全ての大臣との謁見が終わると、少しの休憩を挟み、すぐに国民へのお披露目が行われようとしていた。  お披露目は大教会の正面にあるバルコニーで行われる。幸と歩はそこに立ち、国民たちへ顔を見せる予定だ。すでにバルコニー下は大勢の国民で賑わっていた。神子が顔を出すのを今か今かと待ちわびている。聞けば昨日から、城下町は神子の召喚でお祭り騒ぎらしい。 「神子様、そろそろお時間です」  サイルダに呼ばれ、バルコニーのある部屋へと移動する。部屋の中に入ると、国民たちの声はもうすぐそこだ。熱気がここまで伝わってくる。バルコニーに繋がる窓はカーテンが引かれており、まだ外を見ることはできないが、大臣との謁見よりはるかに緊張する。  体が震えるのを隠しながら窓の近くに歩と並んで立つ。そして ついに、カーテンが一斉に開かれた。 「あっ! カーテンが!」 「神子様ー!」 「神子様! ばんざーい!」  割れんばかりの歓声だった。2人がバルコニーへ踏み出し、下から顔が見えるようになると、歓声は2倍にも、3倍にもなった。  大臣の謁見に参加していた400人が可愛く思えるほどの人数が、そこにいた。1万…いや2万人はいる。誰もが熱狂し興奮した表情で幸たちを見上げ、声を張り上げ、届かないと分かっているのに手を伸ばしている。  呼吸が止まりかけるような、想像を絶する光景だ。 〝吉兆の象徴〟。〝この国にとって最も有難い存在〟。そのような言葉でサイルダは神子を表現した。貴重な存在なのだと分かったつもりだったが、甘かったのだと思い知る。こんなにも巨大な感情が幸に向けられている。 (こ、怖い……)  自分はただの高校生だ。勉強くらいしかできることはない。それも人並み程度で、自分でお金を稼いだこともなければ、人を救ったことだってない。それはこの世界に来ても変わらない。この世界に来て、本質が変わったわけではない。ただ異世界から召喚された、神に選ばれた…たったそれだけで、幸自身は何も特別な存在ではないのに――。  自分には目の前の光景を受け止めきれない。そうして逃げようとした時だった。  眩く差していた太陽の光が遮られ、辺りが陰る。バサバサと鳥が羽ばたくような音と、獣が唸るような声に、幸は空を見上げた。 「それが噂の神子様か?」  そこにいたのは、6体のドラゴンだった。黒く固そうな鱗で覆われ、鋭い牙を持ったドラゴンの上に、人が乗っている。 「魔族だ!」 「に、逃げろー!」  国民が一斉に逃げ出していく。悲鳴と子供の泣き声が混ざり、あっという間に、教会下は混沌にのまれていった。  突然の出来事に驚いていると、誰かが「神子様!」と声をあげた。 「神子様! 早くこちらへ!」 「お逃げください!」  兵士たちと神官の声だ。それに従おうと振り向いた時、幸の周りには誰もいなかった。「え…」と視線を動かすと、兵士と神官は、すでに歩の手を引いて部屋の中に駆け込んでいるところだった。誰か、と見回しても、バルコニーにはすでに誰もいない。  とてつもない絶望感と、裏切られたような気持ちに、目の前が一瞬暗くなる。しかしすぐに正気に戻り、とにかく逃げなくては、と部屋に向かって走り出した時、目の前にドラゴンが降りてきた。その巨体を避けようとして、足がもつれ転ぶ。  立とうと膝をついた幸の顔の横に、ギラリと鈍く光るものが伸びてくる。鏡のように顔が見れるほどよく磨かれた剣だった。その先には、1人の男が立っていた。 「貴様も神子なのに、誰も守ってくれぬのか?」  黒い軍服を纏った背の高い男だ。銀色の髪は太陽に当たると白にも見える。鋭く尖った目に、形のいい鼻と口。美男と呼ぶに相応しい顔立ちに、血のように真っ赤な瞳から目が離せなくなる。  剣を構えられ、身動き1つ取れない幸に、男は続けて言い放つ。 「何が神の恩寵だ。何が吉兆の象徴だ。欲望のままにこの世界を破壊する、汚れた異界人が」  冷酷で、同時に凄まじい怒気を孕んだ声は、まるで呪詛のようだ。 「国民どもにチヤホヤされて、この世界に来ただけで感謝されて、傅かれて、さぞやいい気分だろうなあ!」 「いっ…!」  足で肩を乱暴に蹴られ、床に転がる。男は隙がなく、とても逃げられそうにはなかった。部屋を見て、視線で「助けて」と叫ぶ。しかし誰も幸を助けに来てはくれず、いつの間にか窓は閉められていた。 「どうして――」  今部屋にいる兵士の装備では、ドラゴンに敵わないだろう。だから今、無闇に出てこない兵士は正しいのかもしれない。でも、もし今の幸が歩だったら、兵士も神官も我が身を惜しまず助けに来てくれたのではないかと、考えずにはいられなかった――あわよくば、ここで死んで、神子が幸だけになってくれたらいい、そんな風に思われてると考えずにはいられなかった。 「俺はずっと待っていたんだ……この手で神子に復讐する時を」 「ふく、しゅう……?」  男が剣を構える。すると頭上から、別のドラゴンに乗った男の声が降ってきた。 「ローラルド、やめろ! 落ち着け!」  彼の静止の声など聞こえない様子で、ローラルドと呼ばれた男は剣を高く高く振り上げた。  本能で「殺される」と察した。とてつもない恐怖が体の奥底から湧き上がり、一気に血が熱くなる。心臓がありえないくらい、早く脈を打つ。 (いやだ…死にたくない! 誰か助けて! そうじゃなければ、早くどこかへ行って!)   誰に向けるでもなく、心の中で強く叫び、願ったその時だった。突然頭上の空が曇り、幸とローラルドの間を裂くように雷が落ちた。鼓膜を破る勢いの轟音と雷に驚いたローラルドが、後ろへ飛び、後退する。  何が起こったのか分からない幸に、ローラルドは呪しげに唸った。 「忌々しい神子の力が…っ!」  次の瞬間、別のドラゴンに雷が直撃した。ドラゴンは痛々しい悲鳴を上げながら、下へ落ちていく。  その様子を見たローラルドは舌打ちをすると、声を張り上げた。 「帰還せよ! 今の装備では神子の神通力には勝てぬ!」  ローラルドは剣を収め、ドラゴンに跨った。そして憎しみを込めた目で幸を睨みつける。 「滅びろ。災厄をもたらす者」  全てのドラゴンが後退し、遙か彼方の山の方へ消えて行く。  静まり帰った空気の中、誰かがぽつりと言った。 「神通力だ……」  それは男性の老人の声だった。 「神通力だ! 神子様が我らをお守りくださった!」  その一声に、わっと一斉に歓声が上がった。再び、神子を称賛する声が飛びかう。  呆然と座り込んでいると、部屋の窓が開いて、サイルダが叫んだ。 「どちらが使ったのですか⁉︎」  サイルダは尋常じゃない様子で、幸と歩を交互に見る。その傍で、いち早く駆けつけてくれたレアが幸を助け起こしてくれた。 (じんつうりき?)   聞き慣れない単語に幸が首を傾げていると、神官の中から歩がすっ、と進み出た。 「俺です」  迷いのない声色でそう告げる。 「幸を……二の神子を助けなければと思ったら、夢中で使っていて…」 「まさか……まさか、もう神通力が目覚めているなんて!」  サイルダは感極まったように涙声だ。他の神官も感嘆した様子で息を漏らし、正義のヒーローを見るような眼差しを歩に向ける。  自分を助けてくれたのが歩なのだと知り、幸は歩に駆け寄った。話しかければ嫌がられるとは分かっているが、あのままだったら幸は確実に殺されていた。命を救ってもらった礼をどうしても言いたかった。 「助けてくれてありがとう、歩」 「……どういたしまして」  歩はなんてことないような態度で返事をした。しかし幸を見る視線が今までとは違うような気がする。 (なんていうか……焦ってる? いや、気のせいか)  歩が何を焦る必要があるのか。自分の思い過ごしに違いなかった。  幸はレアに連れられ、傷の手当てをするべく部屋の中に入って行った。

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