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王宮編 7

 歩が神通力に目覚めたということは、あっという間に教会、王宮、そして国民の知るところとなった。歩はどんどん名声を集め、召喚されて1ヶ月経った今では、公務はほぼ全て歩が行っていた。歩も率先してやりたがるので、幸がそれを奪うわけにもいかない。そうなると自然と幸の仕事はなくなっていく。この1ヶ月で幸の評価は地に落ちた……そう実感する。少し前に、神官が「二の神子様は公務に消極的で、神子としての自覚がない」と陰口を言っているところを聞いてしまった。実際、教会内を歩けば神官たちの冷たい視線が突き刺さり、人の往来が激しい歩の部屋に比べて、幸の部屋にはレア以外の誰も来ない。最初はこまめに様子を見にきていたサイルダも、だんだん姿を見せなくなった。  でも全て、自分の行動の結果だった。実際、幸は歩のように神子としての仕事を果たしていない。こうなることを望んだのも幸自身だ。歩が、神子としてこの世界の人たちに1番に愛されているなら、幸はそれでいい。  それでいいはずだ――…… (それでいいはずなのに、寂しい……)  幸の部屋のバルコニーからは中庭が見え、そこでは毎日のように歩とアインが、仲睦ましげに散歩やお茶をしているところが見える。神官たちから、国民から愛される歩と、部屋に1人きりで閉じこもる幸の対比が、まるで白と黒のようだ。  そうして部屋に閉じこもる日々が続くある日、突然ジュベリ王からお茶会への招待状が届いた。  何を思ってのことなのかは分からない。しかし幸としても、誰かに誘ってもらえたことが嬉しかった。それにジュベリ王は、この世界で唯一、こんな幸にも優しくしてくれる人だった。そんな人の誘いを断るわけもなく、幸は少し緊張しながら、招待された中庭へ足を運んだ。 「サチ。よく来たね」  中庭の大きな木の下に、仮に設置された席に座り、王は待っていた。木は樹齢数百年はあるだろう巨木で、真っ白い雪のような葉をたたえ、席に程よい影を落としている。 「お誘い頂き、光栄です」  何度も練習したお礼の言葉を述べて、席に着く。すると王よりも歳めいた男が音もなくやってきて、紅茶の準備を始めた。 「彼は朕の執事だ。彼の淹れる茶は絶品でね」 「お初にお目にかかります、二の神子様」  そう言って執事は穏やかに微笑む。  王の言葉通り、紅茶は絶品だった。苦味も渋みもなく、フルーティで飲みやすい。王が持ってきてくれた焼き菓子ともよくあった。焼き菓子はクッキーのようなもので、中には香ばしい木の実が入っている。 「とってもおいしいですっ」 「それはよかった」  嬉しそうに王が微笑んで、ティーカップをソーサーに置く。 「サチは、一の神子と仲が悪いようだなあ」 「――っ?」  危うくカップを落としそうになる。なぜ、と王の顔を見ると、「やはりな」と王が笑った。決して馬鹿にした笑いではなく、自分の予想が当たって喜んでいるようだった。 「何、ただの年寄りの勘だ。初めて君たちに会った時も、そなたは彼に怯えているようだった」  王の声色は、幸のことも歩のことも、責めようとしているわけではなかった。ただ淡々と事実を語り聞かせるような、物静かな声。ただ、不思議な引力を持った声だった。それに引き出されるようにして、幸は口を開く。 「仲が悪いというか……俺が歩に嫌われているんです」 「そのようだなあ。サチはどちらかというと、過保護すぎるくらい、彼のことが好きだろう」 「俺が……歩のことを好き?」 「違うのか?」  そんなこと、考えてみたこともなかった。宮前家に引き取られて間もない頃…まだ幸と歩が仲の良い兄弟だった頃、確かに幸は歩が好きだった。でも2人の関係が悪くなってからは、幸は歩に返すことばかり考えてきた。幸が歩から奪ってしまったものはもちろん、仲の良かった1年間で幸が歩にもらったものを返したかった。 (そうだ……あの頃、いつもそばにいてくれたのは歩だった)  両親を失った悲しみを1番近くで癒してくれたのは歩だった。そんな歩から、両親の愛を奪ってしまった自分が許せなくて、幸は歩のためならなんだってするつもりで生きている。 (俺は歩に恩返しがしたかったんだ。歩に感謝しているから……俺に優しくしてくれた歩が好きだから…)  なんでこんなこと、今まで気がつかなかったんだろう。 「……そうです。俺は歩が、好きなんです。でも俺は歩に許してもらえない」  幸は言葉下手ながらも、歩が自分を嫌っている理由を説明した。 「なるほど。両親の愛をサチと共有することを嫌がったように、この世界でも、神子が受ける愛を、そなたと二分することを嫌がっている。だからサチを鬱陶しがっている……そんなところか」 「陛下にも、そう見えますか」 「うむ」  王は深く頷いた。 「でも……歩は可哀想な子なんです。両親の愛を100貰うために、2人の気を必死に引こうとしてた。部活も勉強も、あの子が1番にこだわっていたのは、全部そのためだった。でも両親は……優しく、出来た人間でした。変わりなく俺を愛してくれた。でもそれは、あの子にとっては不幸だった。だから……俺のせいなんです」  呼吸することも忘れて、幸は一気にまくし立てた。言葉にすればするほど、自分が罪深く許されない人間に思えて、嫌になった。  膝の上で固く拳を握り締める。爪が肌に食い込んで痛むが、胸の方がよっぽど痛かった。 「そうだろうか? サチらの親は、そなたにもアユムにも、100の愛をやっていたと思うがね」  世間話をするような軽い口調で、王が云った。 「親の愛とは与えたからといって減るものじゃない。蝋燭で別の蝋燭に火を灯しても、元の蝋燭の火が決して小さくならないのと同じようなものだ。親から子への愛とは……親とはそういうものだ。朕には少なくとも、そなたらの親はそう見える。そしてそなたらの苦しみは、このことを知らない無知から来ているもののように見えるがね」 「そうで、しょうか」 「そうだとも! 朕も親の1人だ。親が言うのだから間違いない」  王は一呼吸置くと、幼子をあやすような優しい声で云った。 「……サチ、そなたは――アユムから、何も奪っていないよ」  その途端、幸の胸の奥底で、固く凍てついた氷が溶け出すような気がした。  自分を許してもいいんだろうかと思いながら、自分はずっと、誰かがこう云ってくれるのを待っていたのだと分かる。  ずっとずっと、自分はその言葉を待っていた。  目の奥が熱くなり、泣きそうになって、幸はぐっと体に力を入れた。17歳にもなって人の、しかも王様の目の前でみっともなく泣くような真似はできない。 「ありがとう、ございます……っ」 「うむ」  王には、幸が涙を堪えていることなど分かってしまうだろうか。  恥ずかしい、と鼻を擦った時、王が咳き込んだ。初めて会った時もしていた、あの病的な咳だ。  執事が素早く駆け寄ってきて、王の背中を撫でる。ようやくおさまってきた頃、幸は勇気を出して訊いた。 「ご病気は…難しいものなのですか?」 「そうさなあ。この世界では〝不治の病〟と呼ばれるものだ。折角神子を授かったものの、あと1年……いや、半年共にいられるか」 「そんなに……」  もう目の前の王を、ただの〝異世界の国の王様〟とは思えなかった。幸が欲しかった言葉をくれ、抱えてきたものを一瞬で溶かしてしまった人。そんなこの人は、幸の中で大切な人になってしまった。 (でも、ただの人間に過ぎない俺にはなにもできない)  王の体調が優れないので、お茶会はそれでお開きとなった。執事に支えられ、杖をつきながら王宮へ戻って行く王を、幸はもどかしい思いでいつまでも見送っていた。  姿が見えなくなってもその場を動けなかった。何もできないのに、何もせずにはいられなくて、幸は胸の前で両手を組む。 (陛下の病気が早く良くなりますように……。1日でも早く元気になりますように)  強く、強く心の中で祈った。歯痒いが、今の幸にできることはこうして祈ることくらいしかなかった。  幾度となく心の中で唱え、ようやく教会に向かって踵を返す。来た時の道をそのまま辿り、広大な中庭を抜けて行く。 「ああ、愛しい私のアユム……」  その声が聞こえたのは、背の高い垣根の前を通りかかった時だった。ぎょっとして、足を止める。恐る恐る垣根の脇から向こうを覗くと、そこにいたのはアインと歩だった。歩はもう一つ向こうの垣根を背にし、アインがそこに覆いかぶさるように立っている。  男同士だというのに、異様な熱を孕んだ空間に幸は無意識に息を潜めていた。見つかる前に去った方がいいと分かっているのに、体が動かない。 (だって、これじゃまるで)  恋人同士の逢瀬のようだ――そう思った直後、アインが歩にキスをした。驚きに声が出そうになるのを必死に抑える。歩はアインのキスに応えるように、その首に腕を回した。 (2人は仲が良いって知ってたけど、まさかそういう…? でも、男同士なのに)  そういう愛の形もあると知ってはいるが、まさか歩がアインと、と信じられない気持ちだ。  その時、歩と目が合った。見つかった、と心臓が飛び跳ねる。しかし歩はキスを止めることはなかった。それどころか、にやり、と嗤ったような気がする。  それがどんな意味を持った笑みかは分からなかったが、幸は足音を殺しながら、一目散にその場を逃げ出していた。  部屋に戻ってもあの光景が忘れられず、食事も満足に喉を通らず、夜も眠れなかった。結局、考え疲れて気を失うようにして、その日の夜は眠った。 ――ジュベリ王の病が完治したとの情報が届いたのは、その次の日のことだった。

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