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王宮編 8

 サイルダがなり振り舞わない様子で幸の部屋へ駆け込んで来た。幸の朝の支度が済んで間もなくの時だった。 「二の神子様! 陛下がお呼びです。大至急、王宮へ」  ただ事ではない様子に一抹の不安に駆られた。もしかして病気が悪化したのだろううか、と慌て過ぎて転びそうになりながら部屋を飛び出る。 「サイルダさん、王様は…陛下がどうかしたんですかっ?」  早足で歩きながら、前を進むサイルダに問いかける。 「陛下が不治の病を患っておいでなのは知っていますね?」 「は、はい」 「その病が、今朝完治していたのです。それも跡形もなく」 「え…っ」  完治、とサイルダがたった今発した言葉を、幸が繰り返す。 「それは良いことなんじゃないんですか?」  治らないとされていた病気が治った。それは喜ばしいことのはずなのに、なぜサイルダはこんなに慌てているんだろう。  ひとまず、ジュベリ王に何事もなかったと知り、安心する。 「陛下の病気は、体に謎の痣が出て、その部位が動かなくなるものでした。青黒い痣がだんだんと広がっていき、そこが機能しなくなる。陛下の足はその痣が半分以上広がっていました。陛下がご病気を患ってから4年……一度も快方に向かったことはなかった。それなのに今朝起きたら、痣は綺麗に消え、足も正常に動くようになっていた……まるで病などなかったかのように。まさに奇跡です」 「でも、どうして俺が呼ばれたんでしょうか」 「陛下が、〝二の神子が起こした奇跡だ〟と仰るのです」 「え……?」  そんな話をしているうちに王の寝室に着いていた。サイルダがノックすると「どうぞ」と声が返ってくる。昨日会った、執事の声だ。  部屋の中に入ると、天蓋付きのベッドが視界に飛び込んで来る。大人の男が3人は余裕で横になれそうな大きなベッドに、王は横になっていた。幸のことを見つけた王が、ぱっと顔を輝かせ「サチ!」と呼ぶ。 「ありがとうサチ! 病を治してくれたのはそなただろう?」 「い、いえ、俺は何もしてませんっ」 「昨夜、夢の中で心地の良い感覚になった。温かい湯に浸かっているようなそれは、そなたから感じるものと同じだった。夢の中だったが、サチの神通力だとすぐに分かった」  王の話に幸は心当たりがない。そもそも神通力を使えるのは歩の方であって、幸ではない。目を白黒させていると、王が続けて云った。 「昨日、別れ際、ずっと何か祈っていただろう。朕の病が治るように祈っていたのではないのか」  そう言われて、幸は昨日のことを思い出した。確かに、王の病が治るようにと必死に祈った。 「そなたではないのか?」  王は真実を確かめるような目でもう一度、幸に訊ねた。決して相手に嘘をつかせない魔法をかけた目が、幸を射抜く。だからこそ幸は正直に云った。 「で、でも、俺は祈っていただけで、力を使ったりはしていないです」  これが真実だ。幸は神通力など使えない。王は本当に奇跡的に回復しただけ。強いて言うなら、その奇跡を起こした功績は医者にあるだろう。  しかし幸の言うことを王は信じていないようだった。 「朕はそなただと確信している。ありがとう、サチ」  自分の手柄ではないのに、お礼を言われるのはとても居心地が悪かった。まるで誰かの功績を、幸が横取りしているような気分になる。  王は本当にもう回復したらしく、本人は動く気満々だった。しかし医者がそれを許さず、幸たちはすぐに退室を促された。きっとこれから、本当に異常がないのか、細かな診察があるんだろう。  多忙なサイルダとは教会への入り口で別れ、自室に戻る廊下を歩きながら幸は首を捻った。  王の病気が突然完治したことが、どうしても自分によるものだとは考えられなかった。王の期待に応えられないのは心苦しいが、幸は本当に力など使っていない。そもそも使えないのだ。幸は祈ることしかしていない。  そう、祈ることしか―― (祈る、こと……)  その時、幸の脳裏に蘇る記憶があった。1ヶ月前、魔族の襲撃があった時。ローラルドという赤目の男に殺されそうになった時、あの時も幸は強く祈った。助かりたい、と願った幸の望みに応えるように、雷は幸とローラルドを引き裂いた。 (もしかして、祈ることで力が使える?)  その時、廊下の角で誰かの話が声が聞こえた。咄嗟に、角の陰に身を隠してしまう。 「二の神子が力を使って陛下を治癒したというのは本当か?」  話しているのは下級神官の2人だった。 「事実らしい。あの方は神子として欠けていると思っていたが……やはり主から賜った聖なる力があったようだ」 「もしや、あの時の雷も二の神子によるものではないのか?」  その言葉に、心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。 「一の神子は自分の力だと言ってはいたが、一の神子と二の神子は不仲という噂だ。それなのに一の神子が二の神子を助けるか?」 「いやそれは…。しかしあの時以来、何度申し上げても一の神子は〝奇跡〟を起こして下さらないしな」 「本当に神通力に目覚めているのは、二の神子ではないのか?」  ぐらり、と視界が一瞬回る。  〝奇跡〟とは、神子が神通力で起こしたことを言うのだろう。すでに下級神官までに幸が神通力を使ったかもしれないという話が伝わっている。しかも魔族を追い払った時のことも、幸によるものではないかと話す人がいる。 (もし…もし神通力を使えるのは俺の方だとして、そのことで歩の立場が怪しくなったら?)  頭が痛んで、幸はこめかみを押さえた。ふと視線を上げると、廊下の窓から、中庭にある大きな木が見えた。青緑色の葉をつけるその木は、レアによると、30年に1度しか花をつけないのだという。しかも花は一瞬で散ってしまうため、目にできたら一生幸せでいられる、という言い伝えがあるらしい。前回に花が咲いたのは13年前らしく、もうその倍以上待たねば花は見れない。  幸はその場で手を組むと、目を閉じて「花が咲きますように」と強く強く祈った。何度も心の中で願ってから、目を開く。 「うそ……っ」  目に入ったのは、花を満開に咲かせた大樹だった。さっきまでは確かになかったはずの紫色の花が、枝を埋め尽くすようにして咲き乱れている。 「なっ、スクレアの木の花が咲いた⁉︎」 「まさか……次に花が咲くまで、まだ15年以上あったはずだぞ!」  先ほど立ち話をしていた下級神官が、バタバタと走り去って行く。幸はそれと入れ違うようにして廊下を走り、自室へ駆け込んだ。  人目がなくなった瞬間、力が抜けて床に座り込む。 (花は幻覚じゃない…)  幸は確信した。神通力を使ったのは自分で、祈ることで力を使うことができるのだと。  同時に隠さなければ、と思った。これまでの〝奇跡〟が幸によるものだと分かってしまったら、あの時神通力を使えると嘘をついた歩はどうなる? 今までの幸のように、歩が冷遇されてしまったら? (もう歩のために自分を犠牲にしようとは思わないけど、でも歩が酷い目にあって欲しくない)  歩のために、隠さなないと――……  固く心に決めた時、部屋のドアがノックもなく荒々しく開いた。音に驚いて振り向くと、歩が大股でこちらへ歩いてくるところだった。  歩は座り込む幸の襟元を乱暴に掴み上げる。 「神通力を使い方を教えろ、今すぐにだッ!」  歩はもう焦りを隠すこともしない。いや、隠し切れないほど焦っているのかもしれない。表情は切迫していて、余裕が全くない。  その言葉と様子で、幸は歩が神通力を使えないのだと確信した。それと同時に、頭の中で警鐘がガンガンと鳴り響く。歩に神通力の使い方を教えてはいけない――そう勘が言っていた。 「知らない…俺は何も知らないよ」 「嘘つけ! ジュベリはお前が神通力で病を治したと言っている。もう王宮や教会中に広がっているッ」 「知らない! 陛下がああ言っているだけで、本当に知らないよ!」  必死に否定すると、歩は幸を掴んでいた手を、投げ出すように離した。乱暴に離されて、また床に転がる。空気が一気に気管に戻って来て、げほげほと咳き込んだ。  歩を見上げると、顎に手を当て「じゃあ無意識に使ったってことか……?」などとぶつぶつ言っている。その目は完全に曇っていて、正気の目ではない。 「歩じゃないの? 歩が治したんじゃ……」  立ち上がりながら誤魔化すようにそう云う。 「ジュベリにそう言った、俺がやったんだって。そしたらあの老いぼれ、この俺に向かって「そんな嘘まで吐いてまで愛されたいか?」なんて言って来やがって」 「陛下のことをそんなふうに云うのはやめてっ!」  ジュベリ王を侮辱するような言葉に反応して、考えるよりも早く叫んでいた。両親を侮辱された時のような、凄まじい不快感だ。  言い返すことなど滅多にない幸が怒ったことに、歩は一瞬呆気に取られていた。しかしすぐに苛立ちを露わにする。 「お前、俺よりあんな老いぼれのジジイを優先すんの?」 「だから、そんな酷い言葉で陛下を罵るのはやめてっ」  いつもの幸なら苛立つ歩に怯えて、謝っているところだが、このことに関して引くわけにはいかなかった。やめてもらうまで引いたりしない、と決めて歩と向き合う。  すると歩は何か思い付いたように眉を上げた。そして幸の肩に手を置き、耳元に口を近づけて来る。 「もしかして幸……お前、あのジジイに抱かれた?」  何を言われているのか分からず、頭が真っ白になった。あまりの驚きに言葉を出せないでいると、歩は図星だと勘違いしたのか、いやらしくニヤニヤと嗤い出した。 「あいつに抱かれて好きになったのか? 通りであのジジイ、最初から俺じゃなくてお前のこと可愛がってたもんな、お前のこと好みだったわけか。好きになっちゃったから、無意識に神通力で病気を治したのか?」 「あ、あゆむ?」 「老いぼれチンコは気持ち悦かったかよ?」 「歩ッ‼︎」  今まで出したことがないような怒鳴り声だった。何を言われているのか分からなかったが、とにかくとてつもない侮蔑の言葉を向けられていることだけは分かった。  生まれて初めて心の底から怒った。腹の奥がグツグツと煮えて、全身の血が沸騰するようだ。  しかし歩は馬鹿にしたように鼻で笑う。 「あのジジイがもうすぐ死ぬっていうから息子に近づいたのに」  突然、アインのことが出て来て幸は話が見えなくなり、困惑する。 「息子ってアイン殿下のこと? それってどういう意味? 歩は殿下を好きなんでしょ?」 「まさか。アインが俺を嫁にって言ったんだ。俺は別に好きじゃないし、男同士なんて気色悪いけど、アインの嫁ってことは、未来の国母だろ?」  歩が何を言おうとしているのか分かってしまって、幸はこみ上げる吐き気を必死に我慢した。  国母は国民全員から愛される存在――だからアインを利用してまでなりたいということだとしたら…… (異常だ)  目の前に立つ義理の弟が怖くなった。愛に飢え過ぎている。 「でも、それじゃあ殿下がかわいそうだよ」 「なんで?」  そこで聞き返されると思わなくて、幸は一瞬呆気に取られた。 「何でって……分からないの?」 「だってこっちの奴らがどうなろうと関係ないし。俺は死んだら元の世界に帰るんだから」 「そうだけど、だからってこの世界の人を不幸にしていいわけじゃない!」  そう叫ぶと、歩の視線の温度が一気に下がった。冷え切った残酷な色の目で、幸を睨め付けてくる。 「綺麗事言ってんじゃねえよ。お前だってこの世界なんてどうでもいいだろ。だから、神子として幸福をもたらすっていう使命を果たさずに、元の世界に帰りてえんだろうが。違うのかよ」 「そ、れは」  元の世界に帰りたいと思っているのは歩の言う通りで、幸は何も言い返せなくなった。黙った幸を、歩は不機嫌そうに睨む。 「お前、本当に邪魔なんだよ」 「歩、俺は……」 「お前が俺の前に現れてから俺の人生は滅茶苦茶だ。早く、俺の前から消えてくれ」  すると歩はまた何か思いついたように、今度は愉しそうににたりと唇を歪めた。 「――そうか、消えてもらえばいいんじゃねえか」  呪詛のように呟かれた言葉は、幸には聞こえなかった。

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