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王宮編 10(残酷描写アリ)

「裁判は明日だ。……まあ、どんな結果か分かり切ってるけどな」  無感情に兵士はそう言って、階段を登っていく。牢への重たい扉が閉じる音がして、辺りは無音になった。この空間にたった1つしかないランタンの炎が、音もなく揺れている。  ろうそくがジリジリと溶けていくのを見ていると、ジュベリ王の言葉を思い出した。 ――『蝋燭で別の蝋燭に火を灯しても、元の蝋燭の火が決して小さくならないのと同じようなものだ』 「……おじさんとおばさんが俺たちに100の愛をくれていたとしても…届かなきゃ何もないのと一緒じゃないでしょうか……?」  少なくとも歩には届いていなかった。 「……死刑」  それはニュースや新聞で聞いていた言葉だった。今までの幸には現実味がなくて、自分とは無関係だった物。でもこうして呟いた瞬間、怖いくらいの生々しさを持って幸を津波のように襲った。考えただけで体が凍りつき、心臓が縮み上がる。粟立つ肌を抑えるように、幸は二の腕をぎゅっと握った。  神子がこの国の人にとってどれだけ重要な存在なのかは、幸自身が身を以って理解している。その地位は大司教よりも上、王とほぼ変わらない。だからこそ幸は自分が死刑になるのだと分かる。そして歩も、幸が死刑になると分かって罠に嵌めたのだと分かっている。  つまり歩は幸を殺そうとしたのだ。 「歩…どうして?」  悲しみは疑問と、涙になって溢れた。  歩が幸をよく思っていないことは知っていた。でも「死んでほしい」と思われるほど、嫌われていたなんて…恨まれていたなんて。  兵士に引きずられていた時に見た、歩の姿。三日月の形に口を歪めて嗤う歩は、化物に見えた。愛に飢えすぎている化物だった。あんな化物にしてしまったのが自分だとしたら……幸は自分の存在を呪わずにいられない。 『……サチ、そなたは――アユムから、何も奪っていないよ』  また王の言葉が胸の中に蘇ってきて、幸は少しだけ励まされた。都合がいいかもしれないが、王のその言葉を信じたい。――信じていたい。 (きっと、陛下がなんとかしてくれる)  ジュベリ王はきっと、幸は歩を貶めようとはしないと証言してくれる。今はそう思わないと、不安と悲しみで心が押し潰されてしまう。 (どうして。どうしてなの、歩)  誰もこの問いに答えをくれる人はいない。きっと歩でさえも教えてくれない。でもどうしても、こう問わずにはいられなかった。  眠れないままどのくらい時間がたったのだろう。窓がない牢屋では時間の経過を知る術がない。無視しても無視しても戻って来る不安に耐えている時、ガチャン、と牢の扉が開いた。「もしかしたら王様かも」という期待が幸の心を弾ませる。しかし幸の牢の前にやって来たのは見覚えのない3人の男だった。男たちはシンプルな武官の制服を着ていて、マントはないところから、無階級の兵士だと分かる。3人が浮かべる下品な笑みと、妙は熱っぽさを孕む目を見て、幸は無意識に身を引いていた。 「お前は死刑になるぞ、偽物の神子。先ほどサイルダ様とアイン殿下が話しているところを聞いた」  3人のうち1番背の高い男がそう言った。  やはりそうなのか、というショックに後頭部を殴られたような衝撃を受ける。しかし一方で、話したこともない目の前の男の言うことなど、信用できないと思う。それにこの3人がこのことだけを伝えに来たわけがなく、本当の目的があるはずだ。偽物の神子だと蔑みにきたのか、それとも今まで騙されていたと恨み言を言いにきたのか……次に何を言われてもいいように身構えていると、別の男の口から信じられない言葉が飛び出た。 「今まで蝶よ花よと愛されていたのに、突然愛を失ったお前があまりに哀れでな。最後に〝元〟神子様を慰めに来たのだ」  ガチャン、と幸が入ってる牢屋の鍵が開く。それは幸が待ち望んでいた音のはずなのに、今は恐怖の訪れを報せる音に違いなかった。  今にも涎を垂らしそうな口元、目元に浮かぶ熱の正体は情欲だったのだ。それに気づいた瞬間、肌が引き攣るほどの恐怖が幸をさらっていった。「逃げろ」と頭の中で警鐘がけたましい音を立てて鳴り響く。  慌てて立ち上がるが出口のは男たちがいて、狭い牢の中にはどこにも逃げ場がない。あっという間に幸は床に押し倒された。その上に背の高い男が馬乗りになってくる。男は幸の来ていたシャツを乱暴に脱がせた。冷たい空気が肌に触れる。 「や、やめてっ! 離して!」  渾身の力で暴れる。手足をバタつかせ体をよじると、驚いた男が一瞬、力を弱める。その隙に幸は男を突き飛ばし、牢の出口まで一直線に走った。 「この…っ!」  素早く起き上がった男が幸の後ろ髪を掴み、乱暴に引っ張った。ブチブチッと髪の毛が抜ける音がして、鋭い痛みが走る。凄まじい力に幸は抗えずに尻餅をついた直後、視界の端で男が拳を振り上げるのが見えた。  身構える暇もなく、無防備な右頬に重い衝撃があった。火が燃え上がるように、熱と痛みが一気に襲ってくる。口の中に血の味が広がり、骨が軋むほどの痛みに幸は呻いた。そんな幸に、男は無慈悲に跨ってくる。 「や、め……」  殴られた衝撃で頭がクラクラして、呂律が回らない。逃げたいのに力が入らない。カサついた男の手が腰を這う感触に吐きそうだった。 (やめて。やめて。やめて……! お願いだから、俺の前から消えて!)  心の中で必死に叫ぶのに、声にならない。  男の手がズボンにかかり、一気に引き摺り下ろされる。もうだめだ、犯される――そう思った時だった。 「ぎ、があああああ――⁉︎」  空を裂くような凄まじい絶叫が牢の中に響いた。ふっ、と幸の体に乗っていた重みが消える。目眩を起こしながらもなんとか上半身を持ち上げると、先ほどまで幸に馬乗りになっていた男が、地面をのたうちまわっていた。 「ああああああッ! いでえ! いでぇよおおッ!」  耳を塞ぎたくなるような悲痛な叫び声を上げる男には――もう顔がなかった。真っ黒に腐り爛れた肉が、男が口を開く度にべちゃべちゃと音を立てて崩れていく。 「いでぇっいでぇよお! いで――」  口が崩れ、絶叫が止まる。顔を失った体が毛虫のように床をのたうちまわる。その光景を、この場にいる誰もが無言で眺めていた。 「ぎゃあああああああ!」 「ぐぎあああああああっ」  他の男たちが同じように苦しみ出したのは、1人目の男が服を残して肉塊になった後だった。絶叫と共に手足や顔が腐り始める。  凄まじい腐臭に吐きそうになって、幸は鼻を塞いだ。あまりの地獄絵図に体の震えが止まらない。何がどうなっている――そう思った時、頭の中を記憶が過ぎ去っていった。 ――『お願いだから、俺の前から消えて!』 「う、うわあああああ!」  瞬間、幸はその場から逃げ出していた。階段を駆け上がり、鍵のかかっていない扉を開けて外へ出る。出た先は王宮の中だった。サイルダに近づくなと言われていた先は、あの牢屋に繋がっていたのだ。  幸い以前にも来たことがある場所なので、どこになにがあるのかが分かった。幸は記憶を頼りに真っ直ぐと城の門へ走っていく。  走りながらぐちゃぐちゃの頭が、否応なしに状況を整理してしまう。そんな事実は信じたくないのに。認めたくないのに。手足が崩れ、毛虫の如く床で痙攣する男たちの姿が脳裏にこびり付いて離れない。武官の服だけが床に落ちている光景が脳に焼き付いている。確かに彼らは幸の願い通り――〝消えた〟のだ。 (違う違う! あんな恐ろしいこと、俺は望んでない!) 「おいお前! 止まれ!」  城門前に立っていた門衛が2人、幸の姿を見つけて捕まえようと走って来る。ヒッ、と喉が締まった。 「来ないで! お願い! 俺に近づかないで!」  その言葉はもはや悲鳴だった。 (そうしないとまた俺が)  しかしその懇願虚しく、追いついてきた門衛が幸を捕まえようと腕を伸ばして来る。 「なにを言って――」  門衛の手が幸を捕まえるより早く、ぼろ、と一瞬にして門衛の腕が崩れた。そしてまた絶叫。絶叫。絶叫。  幸は目の前の光景から逃げたくて、痛みに転がる門衛の横をすり抜け、固く閉じられた門を力一杯叩いた。 「お願い! お願い開いて! お願い!」  次の瞬間、門がそれを聞いていたようにひとりでに開き始めた。鉄でできた頑丈な扉が、従順な家来のように幸に道を開け、幸は脱兎の如く城から逃げ出した。  1度も歩いたことのない城下町を、人を掻き分けて走り続ける。そうしてようやく路地裏に逃げ込んだ瞬間、力尽きたように幸は気を失った。  

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