13 / 14

娼館編1

 地面が激しく揺れた。その揺れで体が持ち上がり、落ちた時の背中を打つ痛みで意識が覚醒した。  何日もフローリングの上で寝ていた時のように、体が軋む。痛みを堪えながら幸はゆっくりと上半身を起こした。  一瞬、暗闇に目が眩んでよく見えない。しかし次第に目が慣れ、あたりの景色が鮮明になり始めた。壁と床は素木の板張りで、一畳ほどの狭い空間に少女や少年が6人ほど膝を抱えて座っている。中は常に揺れ、カーペットもない床からは振動が直に伝わり、座っているだけでも大変だった。それでいて前へ進んでいる感覚があり、車――この世界でいうなら馬車に乗っていることが分かった。 (なんでこんなところに……)  直後、幸の記憶が一気にフラッシュバックした。歩に騙されて牢屋に入れられ、兵士に襲われそうになったところを神通力を使って逃げ出した記憶が、風が通るように素早く過ぎ去っていく。  幸は信じたくないという思いで、自分の掌を見つめた。 (殺してしまった。人を……!)  例え殺すつもりがなかったとしても、その事実は変わらない。兵士の苦痛に歪んだ叫び声が、耳の奥で蘇りそうになって、幸は耳を塞いだ。自分の持つ力から逃げたくて、幸は隣に座る少女に声をかけた。少女は中学生1年生くらいで、顔に幼さが残っているが、体は痩せ細っている。肌もガサガサに荒れ、顔色が悪い。 「ね、ねえ、俺はこれからどこに連れて行かれるの?」  そう声をかけたが、少女は虚な目で幸を見上げただけで、なにも言わず俯いてしまった。他の子たちも変わりに答えてくれそうな者はいない。俯いて、何かに耐えるように唇をひき結んだ者もいれば、この少女のように生気のない者もいる。それだけで、これから連れて行かれる場所が良い処ではないというのが分かった。 「……これは女衒の馬車よ」  突然、声をかけた少女が口を開いた。色のない顔だったが、溢れそうに大きい瞳が印象的だった。一瞬黒色かと思ったが、確かに青色をした瞳はラピスラズリのようにつるりとしている。 「ぜげん?」 「娼館に女を売る商人のこと。この馬車はこれから娼館を回って、私たちをそこに売るの」 「娼館……」  状況が飲み込めずに、幸は少女の言葉をオウム返しすることしかできない。そんな幸を、少女が不思議そうに眺める。 「あなた、髪も目も、随分黒いのね。私より暗い色の目をしてる人、初めて見た。いじめられたでしょう?」 「どういうこと?」 「どうって? そのままの意味だけど」 「お、俺、遠い国から来たんだ。だからこっちのこと、よく分かってなくて」  咄嗟に嘘を吐いた。この子に異世界から来た、と言ったところで追手が来るとは思えないが、怖がらせてしまいそう、となぜか思った。 「あらそうなの。この国ではね、髪が白に近いほど尊いの。白は神様の色だから」  「あと、目は薄い青色に近いほど良いのよ。神様のと近い色なの」と少女は付け足した。  言われてみて、初めて王宮や神殿にいる人たちは全員色素が薄かったことに気がついた。異世界だから、と疑問に思ったこともなかった。確かに、アインもサイルダも白い髪に薄青の目を持っていた。幸のように黒髪黒目の人は1人だっていなかった。 「逆に黒っぽい色の髪や、濃い色の目は醜いのよ。それは罪の色なの。前世で悪いことをするたびに魂に醜い色が溜まっていく、水が濁るように。濃ければ濃いほど前世で罪を重ねてる。この世で罪のない黒を持つのはただ1人……神子様だけなのよ」  神子、という言葉に心臓が縮み上がった。バクバクと脈を打ち、変な汗が出る。幸は努めて平静を装った。 「神子様はさすがに知ってるわよね? どれだけ遠くに住んでいようと、この世で知らない人はいないでしょう? 数百年に1度異世界から現れて、私たちに幸福をもたらしてくれるの」  少女は恋でもしているかのように、目を輝かせながら言った。いつの間にか、少し顔色が良くなっている。 「しかも今度の神子は2人ですって。きっと、とっても良いことが起こるに違いないわ! 私は不吉な色の目と髪で生まれて来たから、こうして母さんと父さんに捨てられたけど、もしかするとすぐに迎えに来てくれるかも。だって神子様は奇跡を起こすのよ」  その少女に、なんと言って良いか分からなくて幸は声が出せなかった。キラキラと輝く目を見ていられなくなって、俯く。  神殿に残った歩は奇跡の起こし方を知らない。逃げ出した自分だけが奇跡を起こす力を使えるが、人を殺すことも〝奇跡〟と呼ぶなら、こんな力は2度と使いたくない。だから、この少女に奇跡は起きない。……起こせない。 「神子なんかが俺たちを救ってくれるか」  突然、真向かいにいた少年が口を開いた。彼も少女と同じくらいの年齢で、体はまだ小さく声変わりもしていない。髪の毛と目は濃い茶色をしていた。 「神子とやらが来てもう何ヶ月だと思ってる。作物が育つわけでもなく、災害も減らずに時間ばかりが経つ。王宮や神殿のやつらには宝石でもなんでも生み出してやってるかもしれないが、俺たち平民のことなんて神子は気にしちゃいねえ。だってあいつらは異界人だからだ。あいつらはこの世界のこと――俺たちのことなんてこれっぽちも愛しちゃいねえ」 ――『だってこっちの奴らがどうなろうと関係ないし。俺は死んだら元の世界に帰るんだから』  ふと、歩の言葉が蘇った。そして日本に帰りたがってる自分自身のことも。 (彼の言う通りだ。俺たちは、自分のことばかりで……) 「やめなさいよ。神子様は絶対絶対、私たちを助けてくれるんだから」 「なんで分かるんだよ」 「村の神官さまが言ってたの。だから間違いないわ」 「そんなの嘘っぱちだ! あいつらが俺たちを助けてくれるんなら、お前は親に売られてないし、俺の……っ、俺の父ちゃん母ちゃんだって死んだりなんかしてねえんだよ!」 「うるせえッ!」  突然、ガン!と壁が叩かれて、全員が体を強張らせた。 「静かにしねえと、この場でぶち殺すぞ!」  馬車を動かしている女衒だ。酒焼けした酷い声で、小さな少女たちを威嚇する。隣で少女がすん、と鼻をすすり、少年は涙を溜めて俯く。他の子たちも同じだ。  ここにいる誰もが助けを求めている。神子なんて嘘だと誹る少年でさえ助けて欲しくて。でも助けが来ないと分かっているから、悲しくて強がっているだけだ。立場や対象が違ど、誰もが神子の奇跡を待っている。   この世界の吉兆であること――事あるごとに言われ、その責の重さから幸が目を背け続けていたもの。それがどういう意味であるのか、幸は本当の意味で理解した。この世界においての幸が、すでに持たざる者ではないという事も。  掌に汗が滲む。理解した上で、この世界に作用する力――神通力が恐ろしい。幸がひとたび願うだけで、人を救い、人を殺す。  ふいに「バタフライエフェクト」という言葉が脳裏を過った。元の世界にあった言葉で、「蝶の羽ばたき」とも呼ばれる。たった1匹の蝶が羽ばたいた時に生まれる風が様々なものに影響を与え、最終的には大きな変化をもたらすかもしれない、という理論。そういう意味で、幸はこの世界においては、その蝶なのだ。もしこの場で、この子たちを哀れんだ幸が彼らを助けたとする。彼らは自由になり、娼館に売られることはなくなる。 (だけど、その後は?)  幸が彼らを助けることは、この場限りの小さな「羽ばたき」に過ぎない。でもそれが別のものに作用して、また何かに作用して、そして最後は大きな不幸を呼んでしまったとしたら? (やっぱりもう2度と、この力は使えない)  幸はキツく歯を食いしばった。そうでもしていないと、潰されてしまいそうだった。

ともだちにシェアしよう!