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第37話
「……………あお…い。」
「皐月、帰ろう。探したんだ。嘘をついた事なら謝るよ。ごめん。」
蒼は傍に近寄ると、手を引いた。
強い力で身体を引き寄せたが、手を振り払うと、蒼へ鋭い視線を投げつけた。
蒼は驚いたように薄緑色の瞳を見開き、茫然と目の前に立ってベッドに起き上がる自分を見下ろした。それは自分が悪い事をしたと認識するよりも、初めて反抗した自分に呆気に取られていた様子だった。
散々放って置かれて、安否確認だけしてくる蒼の身勝手さに失望していた。
「今さら………。」
「皐月………。」
「……蒼、何も言わずに家を出てごめん。今日は一人になりたいんだ。ごめん。」
怒りを感じながらも、つい謝罪の言葉が口をついてしまい俯いた。
帰っても、あの広いアパートで一人にいるなら、ここにいた方がまだ気楽で、その意思だけは通した。
「…皐月、ごめん。」
「謝らなくていいよ。」
「本当は今日休みで懇意にしていた教授と朝倉君に頼まれて案内してたんだ。それで、その後に君とちゃんと話し合おうと思ってた。ごめん、嘘をついた僕が悪いんだ。だから、一緒に帰ろう。」
「話し合い?」
「僕は黒瀬さんと一緒に空港にいたのを知ってショックだったんだ………。それに空港でキスしてるかと思って、嫉妬もした。過去を聞いて、8年なんて付き合ってるし、浮気しても許してる君が許せなくて、どう接したらいいか分からなかったんだ。」
「それで、俺はずっと一人でいても、平気だと思えたんだ。」
「ごめん、皐月。それは……。」
「……結局、身勝手に扱っていいと思ってるんだよ。躰だけ繋いで、散々酷い事言ったじゃないか。その関係が一番辛いのを分かっていて、蒼は平気な顔で抱いて責めた。黒瀬より最低だよ。」
吐き捨てるように言うと、蒼は傷ついた顔をした。傷つけると分かっていて、ずっと隠し通していた気持ちを吐き出せた。空港なんて言い訳に過ぎない。
「………ごめん。」
「今日は休みだって知ってたよ。昨日君を送ってきた人が教えてくれた。だから、ちゃんと話して貰いたかった。朝倉さんとゆっくりできた?」
「彼は同僚だよ。誤解してる。」
蒼は急に朝倉を庇うように話し、予想できた言葉にさらに苛ついた。
「同僚なら、嘘をつく必要はない。寝室も別で、何もかも一人で過ごすし、まるでこっちが浮気相手みたいだ。……俺は朝倉さんが羨ましいよ」
珍しく饒舌に言葉が生み出され、執拗に食い下がる自分がいた。
「……やめてくれ、本当に彼は同僚なんだ。誤解しないで欲しい。」
蒼は冷たい瞳で睨めつけて、意味もない言葉の羅列に怒りを示した。
本当に怒っているのが分かる。
「………俺よりも朝倉さんに乗り換えたらいいんじゃないかな。朝倉さん、蒼のことを好きだし積極的でいいよね。」
「皐月、それ以上はやめて欲しい。彼を侮辱しないで欲しい。」
蒼はさらに強い声で制し、びくりと身体が硬直した。そして饒舌になった言葉を止める事ができず、さらに続けた。
「前から会っていたのは本人から聞いた。彼の方が魅力的だし、頭も顔もいいし、こんな自分に比べたら…」
比べてしまうと言葉が上擦り、涙が出そうだった。蒼は髪を掻きながら、深く溜息をついた。
自分が蒼にふさわしくないのは自覚していた。
ごめんと蒼も謝ってるのに、甘い顔をしたくなくてドス黒い感情をぶつけるしかなかった。
「………皐月、少し距離を置こう。」
「いやだ。」
即答すると蒼が顔を上げた。
ぱっと顔を上げて、表情は何故か少し嬉しそうにみえた。
「皐月?」
「やめよう。」
そう言うと、蒼の顔は曇った。
「………皐月?」
蒼は少し驚いた顔をして、はっと表情を変えた。恐らくお互い何を言いたいのか、やっと通じ合えた気がした。
「蒼、別れよう。」
「皐月、別れたくない」
お互いの言葉が重なり、蒼は近寄って膝を折って腰を低くし、首を横に振ると優しく掌を握った。その姿は何かを誓うように見えたが、自分は見えない鎖で都合よく繋がれるような残酷な男にしか見えなかった。
「ごめん、蒼。……もう無理だよ。」
その言葉で全部終わると分かっていた。
蒼の事はまだ好きだ。今のこの瞬間でも好きだと感じているくらい、愛しい。
昔の自分だったら、笑って許してた。
「皐月、ごめん。君を放って置いた事は謝るよ。嘘ついた事も謝る。本当にごめん。だからそんな悲しい事言うのやめよう。」
そんなに謝るならば、どうして今まで何もしてこなかったのだろう。
浮かれて馬鹿みたいに能天気な自分を思い出して、首を振った。
「………………蒼、ごめん、ずっと寂しかった。本当に逢いたかったんだ……………だから今まで何を言われても我慢できた。でも嘘をつかれるなら、俺はどんなに頑張っても、もう無理だ。」
笑って泣いて言うと、蒼は顔を顰めた。散々、眺めた美しい絵画と公園の草花で誤魔化していた哀しみが溢れ出た。
その日、蒼と別れた。
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