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第56話

呼び鈴が玄関に響き、重い足取りで痛む身体を起こしながら歩いた。 また桐生に説教されるんじゃないかと思い、うんざりしながら玄関の扉を開くと、背の高い懐かしい姿に身体が硬直した。薄緑色の瞳は潤んで、茫然と佇んで立っている。 「…………蒼?」 そう声をかけるとぱっと表情が変わり、こちらを見上げた。 頭の包帯が瞳に映ったのか、薄緑色の瞳が潤んで見えた。 「ーーーーーー君が事故に合ったと、黒木君から留守電があって、飛んできた。さっき留守電で気づいたから、急いで病院行ったら病室は空だし、連絡はつかないし、桐生君に電話したら退院してるって言うから……」 混乱してるのか、普段落ち着いている蒼が早口で捲し立てる。 額には汗が張り付いて、うなじから汗雫が見えた。かなり焦って、急いで向かって来たのが分かり、こちらが心配になるほどだ。 「はは、残念。元気だよ、ぴんぴんしてる。記憶もある……よ…」 笑って両手を広げ、戯けて言い終わる前に強く抱き締められた。 太く逞しい腕が自分の身体をすっぽりと包み込んだ。 「よかった………………!」 懐かしい温もりと嗅ぎなれたムスクの香りに、不意に涙が出そうになった。 「……大袈裟だよ。」 「……動転して、慌てて霊安室に行こうとしたんだ。心臓が止まりそうだった。本当によかった…………!」 「はは、蒼でもそんな慌てるんだね。霊安室て……はは…」 笑ってると、蒼は泣いてるような、怒っているような顔をした。 「皐月!僕は本気で心配してたんだよ。…本当に生きてて良かった!黒木君なんて意識不明の重体だと留守電に残すし、電話しても繋がらなくて、本当に心配した。…それに君は頭に包帯を巻いてるじゃないか。」 「ちょっと、切ったんだよ。血は出たけど、軽症だよ。」 「…………本当に大丈夫なの?入院伸ばさなくてよかった?」 おろおろと心配されて、蒼の胸の中でこっそり差額ベッド代がもったいないから早く退院したと、口が裂けても言えなかった……。 「あと、病院で朝倉君に会ったよ。」 その言葉にびくっと身体が硬直しそうになった。ついさっきまで辛辣な言葉を言ってしまい、少し後悔をしていた。 「……もっと君と話をするべきだね。怒られたよ、惚気てばかりいないで下さいて。あと、よく分からないけど、振られたら教えて下さいと言われたよ。」 「…………。」 困った顔で見つめられ、先ほどの後悔がさざ波のように引いた。 「………皐月、僕が悪かった。ごめん、酷いことをしてた。本当にごめん……。」 蒼は太い腕でさらに力を込めて抱き締め続けた。 「………蒼、苦しいよ。」 小声で優しく囁くと、蒼は慌てて少し力を緩めたが離さない。 「皐月、別れたくない。」  「………蒼知ってる?俺、セックスだけして別れるの辛かった。」 冷たい声でそういうと、大きな身体はびくっと震えた。顔を首筋にうずめて、蒼の表情は隠れて見れない。 「ごめん、僕は酷いね。」 「あと、せっかく航空チケット買ったのに、一人で過ごしてたのも辛かった。」 「……皐月、ごめん」 「それと、ボストンで冷たかったのも傷ついたかな。」 「……ごめん」 「…一番は嘘をついてたことだね。」 「皐月……」 そう言っても、ぎゅーーとまた力を込めて抱き締めるので、玄関の扉のわずかな隙間が気になってしまった。 「………蒼、玄関閉めるから…」 「ごめん。」 はっとして、蒼は片手で玄関を締めた。 ぱたんとか、ガタンだろうか、兎に角、建付けが悪いボロい扉を閉めた。あとで修理が必要だ。 しゅんと尻尾を下げて、大型犬が悲しそうにして、どんどんと追い打ちをかけたくなってしまう。その蒼の姿にちょっと笑ってしまいそうになる。 駄目だ、この顔に自分は滅法弱い。 蒼のこの顔は加虐心をそそられる。 不謹慎にも噴き出してしまうのを懸命に堪えた。 「皐月、沢山色々ごめん。愛してる。」 またぎゅーーと抱き締められ、暫くは離してくれそうになく、蒼の腕の力は緩める事ない。すっぽりと自分が埋まってるように蒼は抱き締め、広く厚い胸板に顔を擦り付けた。 小さな溜息をつくて見上げると、薄緑色はこの上なく潤み、胸が締め付けられた。 「………………キスしたら…、」 冗談ぽく言うと蒼は泣きそうな顔をさらに潤ませて、すぐに唇をくっつけた。 「………許してくれるの?」 「…許さな………あ……んんっ……許す…。」 意地悪そうに言おうとしたら、蒼は一度重なった唇に何度も何度も啄むようにキスし、言いかけた台詞が誤魔化されて消えた。 「皐月、君が無事で良かった……。」 「………大袈裟だよ。軽症だし…。」   クスクスと笑うと、また抱き締められた。 「皐月、もう一度キスしてもいい?」 「…………うん。」 「……皐月。」  そう言って、かかとを上げて、瞼を閉じた。 蒼の唇を待っていたが、なかなか待ち望んだものがこない。薄目で蒼を見ると、蒼は眉を顰めてこちらを見ている。 「……蒼?」 「………あ、まって、それで、皐月、許してくれるの?」 聞いてなかったのか、蒼はまた潤んだ瞳で訊いてくる。 「…………もう怒ってないよ。」 呆れながら笑った。 蒼は薄緑色の瞳を煌めつかせて、またぎゅーーーと子供のように抱き締めて、唇を合わせた。 降参だった。 この完璧な恋人を前にすると、呆気なく白旗を上げてしまうのは分かりきっていた。

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