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第三話 過ちは繰り返される①

   タクマはどうやら獣人ではないらしい。  三日間眠り続けた後に目を覚ましたとき、タクマは「あの森には虎がいる」と口走った。その瞬間、私は彼に遠回しに脅されているのだと思った。お前が獣の姿でうろついているのを俺は見たんだぞ、と言われたのだと思ったのだ。  タクマを見つけたとき、目が合ったのは一瞬だったから、もしかしたら覚えていないかもしれないと期待していただけに、私は思い切りうろたえた。そして土下座をしてタクマに乞うた。どうかどうか、私があんな姿で徘徊したことは誰にも言わないでほしい、と。  おしまいだ。何もかも。  仕事は間違いなくクビになる。私は周りの獣人たちからとんでもない変態として後ろ指をさされ、二度と人前に出られなくなる。そう思い絶望した。余計なお節介などすべきではなかったのだと後悔した。  しかし、タクマはそんな私を呆然と眺めて「何のことだ」と尋ねてきた。大人しそうな顔をして私をいたぶって楽しむ気なのだろうかとも思ったが、タクマの様子を見るに、彼は本当に状況が理解できていないようだった。  こわごわと「私が虎の姿になっていたのを見たのだろう」と言うと、タクマはますます混乱したようだった。  何かがおかしい。話が通じない。タクマも同じように感じているらしかった。  そこで私たちは話をした。  少しずつお互いの常識を擦り合わせて行って、どうやら私たちはそもそも違う生き物なのかもしれないという結論に至った。  タクマは獣人ではなく、「ニンゲン」という生き物らしい。私が虎の獣人だと言うと、タクマは驚いた顔をして「ゲームとかアニメによくあるやつだな」とよく分からない単語を口にして頷いていた。  道理で変な耳をしていると思った、と私が言うと、タクマは面白くなさそうな顔をして「こっちの台詞だよ」と言い返してきた。そのやり取りが妙に面白くて、私は久しぶりに声を出して笑った。  途中タクマの腹が盛大に鳴って中断したが、あらかじめ作っておいたスープを食べさせて、また話をした。  タクマは「ダイガクセイ」という職業で、こことは全く違う「ニホン」という国からやって来たらしい。そんな国聞いたことない、と答えるとタクマは酷く不安そうな顔を見せたが、すぐに表情を引き締めて「分かった」と頷いた。  冷静に考えればにわかには信じがたい話だが、私はタクマが話すことは全て本当のことだと感じていた。  なぜかは分からない。けれど、この男は私に嘘をつかない、という妙な確信があった。こんな感覚は初めてだった。私は疑い深い性格だという自負もあったが、不思議とすんなりと受け入れてしまった。  そしてタクマも、同じように私の話を聞き入れた。澄んだ瞳で、彼は尋ねる。 「それで、なんでオズは虎の姿を見られるのが嫌なの?」 「……嫌というか、その、」 「うん」 「……獣の姿は、あまり人前で見せてはいけないんだ。恥ずべき行為だ」  この世界では変態行為だと見なされ迫害される、とまでは打ち明けられなかった。タクマはそれを聞くと、至極不思議そうな顔をして言った。 「なんで?全然恥ずかしくないじゃん」 「え、いや、しかし」 「オズは虎のジュウジン?だっけ、それなんでしょ。虎になれるんだったらなればいいじゃん」 「……それは、」 「虎、カッコいいよ」 「…………」  タクマの言葉に、私は何も返すことができなかった。  違う世界から来たのなら価値観が違っても仕方がない、と思ったが、それ以上に胸の奥がじんわり温かくなったことに自分でも驚いた。獣の姿そのものを褒められるなんて、この世界で普通に生きていたら絶対に有り得ないことだ。  タクマが言うには、ニンゲンの世界にはドウブツエンという施設があって、そこでは種々多様な動物たちがありのままの姿で暮らしているらしい。そしてニンゲンは、その様子を眺めて楽しむのだと。  なんと卑猥な施設なんだ、と驚愕したが、私はあえて黙っておいた。タクマはその施設が大層好きで、暇さえあれば通い詰めていらしい。好きなものを一方的に卑猥呼ばわりするのは憚られた。  しばらく話した後、タクマは疲れてしまったようで目をしょぼしょぼとしばたかせた。無理もない。何日も歩いて倒れたのならば、まだまだ本調子には程遠いはずだ。 「すまない、話しすぎたな。もう少し休んだ方がいい」 「……ありがとう。ベッド占領して、ごめん」 「気にするな」  申し訳なさそうに頭を下げてから、タクマは再び横になった。掛布を肩まで上げてやると、微睡んだ目がふっと細くなる。 「……オズは、いい匂いがする」 「え?」  私が声を上げたのを聞かずして、タクマはすぐに寝息を立て始めてしまった。しばらく寝顔を凝視してから、はっと我に返って慌てて視線を引き剥がす。  ——いい匂いがする。  そう言われた。そんなことを言われたのは初めてだ。私は香水のたぐいを付けたことすらないのに。 「……こっちの台詞だ」  気を抜けばすぐにタクマに視線をやってしまいそうな自分を叱咤して、私はベッドの脇から移動した。  鼻先を擽る甘く爽やかな香り。タクマから漂う香りを嗅ぐと、なぜかそわそわと落ち着かない気分になってしまう。気付けば視線がそちらの方へ向き、用もないのに周りをうろちょろしたくなる。タクマが衰弱していたから気になるのだ、と自分に言い聞かせてはみるが、頭のどこかで「それは違う」と否定する声がする。  じゃあ、一体どうして。  ——ニンゲンという生き物は、いい匂いがするのかもしれない。  無理やりそう納得して、私は残ったスープを意味もなくかき回し続けた。

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