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第三話 過ちは繰り返される②

「あ、オズ。おかえりー」 「ただいま」  タクマをこの家に連れてきてから、あっという間にひと月が経った。初めは満足に動けなかったタクマだが、徐々に体力を回復して、今では家事のほとんどを引き受けてくれている。  タクマは当初「まじかよデンシレンジとかセンタクキとかないの?」と謎の単語を唱えていたが、少しずつここでの生活に慣れてくれたようだった。私は仕事が忙しいので、こうして家の中のことをやってくれる者がいるのはとても助かる。それに、疲れ切って帰ってきたときに家に明かりが灯っているのは心が安らいだ。 「変わりないか?」 「もちろん。オズは今日もお疲れ?」 「いつも通りだ」 「働くのって大変だよなぁ」  タクマは一日のほとんどをこの家のなかで過ごしている。一度だけ、私の仕事が休みの日にフードを被らせて街に出てみたが、タクマは周りの獣人たちの姿や街並みの様子にあんぐりと口を開き、あまり楽しんでいるようには見えなかった。  タクマによると、街の様子は「ヨーロッパ」なる地域のものに似通っているらしい。  家に帰ってきてからもタクマは悄然としていて、ぽつりと「知らない世界って感じ」と呟いた姿がやけに目に焼き付いた。  当然だが、タクマは元いた世界に戻りたいのだと思う。きっと家族や友人もタクマを探しているはずなのだ。私だって、ある日突然変な耳のニンゲン達に囲まれたら戸惑うに決まっている。  タクマも暇だろうと気を利かせて街へ連れ出したつもりだったが、それ以降タクマを街へ誘ってはいない。  彼には気持ちの整理が必要なのだ。  役場にタクマの存在を知らせるべきかとも考えたが、何となくそれは嫌だった。  私はタクマの言うことを信じている。だが、役場の獣人たちもそうするとは限らない。タクマが頭のおかしい奴だとみなされて酷い扱いを受けるかもしれない。そう考えると、自分の手元にいてくれた方が良いという結論に至った。  ここにいてくれれば守れる。タクマは自分が守るのだ、と私には妙な使命感が湧いていた。  本当に妙だ。姿かたちは違うとはいえ、タクマは一人の男だというのに。  タクマは上機嫌で鍋をテーブルに持ってくると、自信ありげな笑みを浮かべた。 「今日はさ、結構うまく作れた気がするんだよねー」 「そうか。また進歩だな」 「進歩というかやっとスタート地点につけそうって感じ」 「薪の使い方はもう完璧か?」 「八割方かな。薪で火の調整するの難しいから」  屈託のない笑みを浮かべるタクマを見ていると、心が洗われるようだった。日中に受けたクレームも、同僚のミスを押し付けられたことも、後輩が仮病で早退したことも、大した問題ではないと思えてくる。  そして、何よりも。  肉がたっぷり入ったスープの美味しそうな匂いに混じって、ふわふわと漂ってくるタクマの香り。  出会ったときから比べると、ますます香りは強くなった気がする。ついつい近寄って話しかけたくなる、不思議な香りだ。花々を渡る蜂になったような気分だった。  こちらを向いてほしい。私と話をしてほしい。  子どものような欲望が燻ってやまない。  一瞬タクマと目が合って、妙な沈黙が走った。  そういえば、タクマも事あるごとに私に「なんかいい匂いがする」と言って近寄ってくる。たかだかひと月一緒にいるだけだというのに、タクマとは気が合うというか、波長が合うというか、傍にいてしっくりくるのだ。  実に不思議だ。不思議すぎる。そしてタクマも、おそらく同じことを感じている。私には、なぜだかそれが分かる。  タクマはひくひくと口元を震わせてから、わざとらしく明るい声を上げた。 「た、食べよっか……!」 「そ、そうだな」  お互い不自然に吃りながら席につく。タクマが作った料理は美味かった。誰かに作ってもらう料理は美味い。それに、もう何年もひとりで暮らしていた私にとって、一緒に食事を取れる相手がいるというのは実に有意義だった。  食事を取り終えた後、タクマが片付けをするのを手伝おうとすると「俺の仕事奪わないで」とやんわりと制された。皿を重ねてこちらに背を向けるタクマのうなじを見て、私は性懲りもなく落ち着かない気持ちになる。  ——タクマのうなじに残る、私の噛み跡。  タクマを引きずって連れてきたときの傷だ。そんなに強く噛んだ覚えは無いのに、その跡は一向に消える様子がなかった。  私は少なからず責任を感じていた。いくら助けるためとはいえ、赤の他人を傷ものにしてしまった。タクマは痛くないというが、いつまでも跡が消えないものだから気になってしまう。それを見るたび、タクマから暗に責められているような気分になった。  私はどうしてこんなに気が小さいのだろう。  タクマからは見えないところで、私はそっとため息をついた。

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