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第七話 力加減は難しい②

 随分と遅くなってしまった。  家の外灯はまだ点いていたが、居間はしんと静まり返っている。タクマは休んでいてくれているらしい。テーブルの上には簡単な夜食が置かれている。その心遣いが嬉しくて、ふっと頰が緩んだ。  今朝「今日は遅くなる」と告げたとき、タクマが一瞬寂しそうな表情を見せたことを思い出す。一日中家にいて退屈なのもあるだろうが、私はその反応に少しだけ昏い喜びを感じてしまった。  タクマに必要とされている。そんな風に思ったのだ。  私の勘違いでなければ、タクマは私に対して悪い感情は持っていないように思う。  しかし一方で、毎日のように「いつものやって」と虎の姿になることをせがまれると複雑だ。 「安心する」と言われて抱きつかれるのは嬉しい。  けれどあまりにもタクマが無防備すぎて、私としては毎回自制心を試されている気分になる。本能に負けてついうっかり肌を軽く舐めてみても、タクマは楽しげに笑うだけで、私がタクマに懸想していることなんてまるで気付いてない様子だ。  つまり、意識されていないのだ。  信頼はされているが、そういう対象としては見られてはいない。身体を重ねた直後は少しギクシャクしたが、虎の姿になる習慣が始まってからは、もはやペット扱いされているような気さえする。  私はタクマに、少しでも意識してほしかった。  お互いに惹かれ合う香りを発しているという事実が、何か特別な意味を持つのだと思いたかった。  足音を立てないよう気をつけながら、寝室へ向かいドアを開ける。二つ並んだベッドのうちの一つにそっと近付くと、タクマが小さく丸まって穏やかな寝息を立てていた。  ふわふわと甘い香りがして、不思議なくらいに心が落ち着いた。腰を屈めて、タクマの顔にかかった髪をそっと寄せると、傷ひとつないなめらかな頰が現れる。  初めて会ったときよりもずっと血色の良いその顔。あのとき、タクマを連れてきて良かった。妙な出来事は起きるけれど、タクマと過ごせる日々に私はこれ以上ない安心感を抱いていた。 「…………」  眠っている相手に手を出すなんて卑怯だ、と頭の中でディーナが憤る声がした。それを苦笑し打ち消しながら、私はまっさらな頰に唇を落とす。  柔らかな感触に、慈しむとはこういう感情なのだ、と思い知った。タクマを大事にしたいと思う。傷つけないよう守ってやりたい。  起きているときに同じことをしたら、タクマはどんな反応を見せるのだろう。困るだろうか、怒るだろうか。どちらにしても、きっとこの不思議な形の耳まで真っ赤になるはずだ。  顔を離したところで、私はあることに気が付いた。自分のベッドを見て、またタクマに視線を戻し、確信する。  タクマは丸まって寝ていた。  掛布を大事そうに抱き込んで、顔を埋め、満足そうな顔で眠っている。そしてタクマの身体にも掛布が掛かっている。つまり、掛布が二枚。 「…………」  私のベッドの上にあるはずの掛布はそこになく、なぜかタクマの腕の中にあった。タクマが私の掛布を抱えて眠っている。それはもう大事そうに。  その事実にうろたえた。同時に震えるような喜びが湧き上がってきた。  そのとき、私の気配に気付いたのか、タクマが小さく唸り目を開けた。ぼんやりと私を眺め、小さく呟く。 「……オズ?」 「タクマ、その、」 「ん?」  それは、とタクマの抱える掛布を指すと、タクマは一瞬固まって、次の瞬間薄闇のなかでも分かるくらいに顔を赤くした。覚醒して身を起こし、あわあわと両手で掛布をもてあそび始める。 「あ、あれ?なんで、え、これはその!違う!ちょっと、これは、えっと、」 「私の掛布だな」 「そそ、そうだよな、あれー、おかしいなー、ちょっと間違えてちゃってさー!」  あはは、とごまかし笑いを浮かべるタクマに「何をどう間違えたんだ」と問い詰めるほど、私は非情ではなかった。  私がいない時間帯に、何を思って私の掛布を抱えていたのか。想像すればするほど口元が緩みそうになった。  ——押しは大事だよ。  今度はアルノの声が聞こえた。  たしかに今までの私には押しが足りなかった。もしタクマに拒否されたら自分が傷つく。そんな自分本位な考えを大事にして、タクマに気持ちをぶつけようとしてこなかった。  私は深く呼吸をすると、ありったけの勇気をかき集めて言った。 「……タクマ、」 「うん?」 「……一緒に、寝るか?」  タクマの目が見開かれる。  少しの沈黙の後、小さな唇が動いた。 「え?なんで?」 「…………」  それ以上押すことは、私の精神力では不可能だった。 

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