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第八話 ケモノは森へ帰る①
やってしまった。やらかしてしまった。人生最大の失敗だったかもしれない。どうして人は、死にたいほど恥ずかしいことほど鮮明に記憶してしまうのだろう。
「……ひいい」
オズを送り出した後の家で、俺は先日の失態を思い出し顔を覆った。記憶が全部飛んだら良いのに、と願いながら意味もなく頭を振ってみたけれど、そんな都合の良いことが起こるはずもない。こっちの世界に飛んだのは簡単だったのに。世の中のシステムは間違っている。
「……忘れたい」
ぽつりと呟いた言葉は虚しく消えていく。
失敗は取り戻せばいいという考えの俺だけれど、今回の一件で、取り戻せないタイプの失敗もあるのだと知った。
ちょうど一週間前、俺は大失敗をした。
その日はオズの帰りが遅かった。なんでも学生時代の友達と飲みに行くのだと嬉しそうに言うものだから、俺も快く送り出した。遅くなることにがっかりする気持ちは顔に出さないようにした。
友達と飲みに行くのなんて楽しくて当たり前だ。俺だってそうだった。だから俺がモヤモヤする必要なんてない、と自分に言い聞かせた。
念のため簡単な夜食を作って、湯浴みをしてからベッドに横になった。なんだかすごく落ち着かなくて、俺は何度も寝返りを打ち、そして空っぽのベッドをぼんやりと眺めた。
普段はオズの背中が見えるのに。触ると柔らかな耳と、揺らめく尻尾がすぐそこにあるのに。
俺は見慣れた姿がそこにないことが不満だった。ふわふわと甘い香りを感じながら眠るのが好きなのに、今日はそれもない。ついでに言えば、今日は虎の姿にもなってもらえてないし、素直に動く耳の後ろを掻いたり、ふわふわの首に顔を埋めることもできなかった。
「…………」
それでつい、魔が差してしまった。オズのベッドの足元に、律儀に畳まれた掛布。オズはいつも、それを身体に掛けて眠っている。
当然、掛布はオズの香りがする。
……少しだけ。
少しだけなら、借りても良いんじゃないか。
オズが帰ってくる気配がしたら、何食わぬ顔で返して寝たふりをすれば良い。
冷静な判断を持つ者がいれば「お前は何を言ってるんだ」と突っ込むところだが、あいにく当時家には俺しかいなかった。おかしな考えを名案と思い込んだ俺は、そっと身体を起こして目当ての布を手に取った。
「うわ……」
顔に近付けると、当たり前だけど求めていた香りがした。やばい。やばいなこれは。俺のテンションは一瞬にして上がってしまった。一番やばいのは俺の頭だったわけだが、俺はそんなことには気付かないまま、掛布を胸に丸めて抱き込んだ。
そのままベッドに横になり、身体を冷やさないよう自分の掛布も引き上げた。
胸元の布を抱き締めると、ほっとしてため息が出た。すぐ傍にオズがいるような安心感。目は冴えていたはずなのに、布に顔を埋めると、突然眠気が襲ってきた。
いやいや、ダメだ。
居候……もとい、同居人が自分の掛布を抱えているのを見たら、さすがのオズだって引いてしまう。
なぜそんなことを、と問い詰められたら言い訳ができない。
……ん?なぜ、そんなことを?
あれ、なぜだろう。
どうして俺は、オズの香りを嗅ぐと安心するんだろう。答えは出そうなのに、すんでのところで何かがそれを阻んでいた。
ふわふわと心地良い香りが俺の思考を溶かしていく。本当に、何度嗅いでもうっとりしてしまう。
ああもう、絶対寝たらダメなのに。それなのに、どうしてこんなに力が抜けるんだ。だめだだめだと口先で呟きながら、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
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