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第八話 ケモノは森へ帰る②
俺はとても気持ちよく眠っていた。
だからオズが帰ってきたことにも気付かなかったのだ。
ふと気配を感じてゆっくりと目蓋を開けてみると、そこには酒の匂いを纏わせたオズがいた。なぜかオズは半笑いだった。飲み会がそんなに面白かったのだろうか。
「……オズ?」
「タクマ、その、」
「ん?」
それは、とオズが指差したのは、俺の胸元に抱えられた掛布。
その瞬間、俺は自分の過ちを知った。やってしまった。恥ずかしさのあまり一気に顔に血が上った。オズもめちゃくちゃに引いているに違いない。洗って返さなければ。それとも新しいものを卸すべきか、とテンパりながら、俺はよく分からない言い訳を口走った。
そしてその直後、オズまで意味の分からないことを言い出した。
「……一緒に、寝るか?」
え。
俺の脳みそは混乱の極みに追いやられた。
一緒に?オズと?なんで?
いや、そんなの……そんなの、すっごく安心して眠れそうだけど。
できれば虎の姿だとよりありがたい。でも獣人のままでも全然良い。だけど、男二人が同じベッドに寝るって、それはどういう意味なんだ?獣人の世界ではよくあることなのか?もしかして、俺が掛布を二枚使ってるから、寒がってると思われたとか?
起き抜けの頭でハテナを飛ばしまくり考えた結果、俺は心からの疑問をオズにぶつけた。
「え?なんで?」
「…………」
聞いた瞬間、オズの目が死んだ気がした。
オズは「今のはナシだ」力なく呟いた後、湯浴みをするため寝室から出て行った。
「……えぇ?」
結局、なぜオズがそんなことを言い出したのかは、分からないままだった。
俺はどうして良いのか分からなくて、とりあえず掛布を綺麗に畳んで返し、またベッドに横になった。
◆◆◆◆◆
「うう、ひぃ……」
その日のことを思い出すのは何度目だろう。
俺の馬鹿。混じり気なしの純粋かつ本物の馬鹿。
なぜ寝落ちしてしまったんだ。
目覚めたときに見たオズの半笑いを思い出して居た堪れなかった。
オズは俺に理由を問い詰めたりはしなかったけれど、逆にその優しさが「あー、うん、別に良いです分かってますんで」的な反応な気がしてきつかった。
テーブルを拭きながらまた恥ずかしさが込み上げてきて、俺は天板に頭をごんごんと打ち付ける。
以前オズが土下座をしながら額を床にぶつけていたことを思い出した。
——人も獣人も、現実逃避したいときにはまず脳に衝撃を与えるんだな。
そんなことを考えながら、俺は再び手を動かした。
あれから一週間。
俺がオズに抱いている気まずさは一向に消えない。
一線を超えたときの方がまだマシだった。
あのときの俺たちはお互いの香りでおかしくなっていたから、と言い訳ができたけれど、今回はまるっきり俺の意思でオズの香りを求めてしまったわけで。
「おお、ふぅ……」
動悸と息切れに見舞われて、俺はまた顔を覆った。
これはきつい。生き地獄だ。
オズは態度には出ていないけれど、俺を変態野郎だと思っているに違いない。
人の掛布を抱え込んで眠るなんて、とんでもない奴を住まわせてしまった、と後悔してるかも。
「…………」
オズにそんな風に思われたら困る。
生きていくのに困るのは勿論だけれど、それ以上にすごく悲しい。
本当のところ、オズは俺をどう思っているのだろう。優しいから文句も言わず置いてくれているけれど、そろそろ迷惑だと思い始めていても変じゃない。
それに——、俺たちは、またいつあの日のようにおかしくなるか分からないのだ。
その問題をあやふやにしたまま、オズに頼り続けるのも良くない気がする。俺も街に出て、内職でも何でも仕事を見つけた方が良いんじゃないか。
そう考えていたときだった。
「——すまんが、誰かいるか」
「えっ、あ、はいっ!」
玄関のドアがノックされるのと同時に声をかけられ、俺は反射的に返事をしてしまった。
失敗した。
オズからは誰が訪ねてきても居留守を使うようにと言われていたのに。
しかし返事をしてしまった以上対応しないわけにはいかない。
俺は慌ててフード付きのローブを頭から羽織ると、玄関へ向かった。
そしてドアを僅かに開き、外を窺い見る。
そこにいたのは、オズよりもずっとガタイが良く、険しい顔つきをした男だった。
頭には黒く丸い耳が生えている。
何の動物の獣人なのかは、獣人初心者の俺には判別できなかった。
しかし——人を、いや獣人を見かけで判断するのは良くないが、どう見ても怖そうな男だ。とりあえず、小動物系ではないことだけは分かる。
男はじろりと俺を睨みつけると、低く響く声で言った。
「オズはいるか」
「……えと、今日は仕事で、」
「そうか。なら良かった」
どうやら男はオズの知り合いらしかったが、いなくて良かったとはどういうことだろう。オズのいないこの家に一体何の用だろうか。
男の放つ威圧感にびくびくしていると、その黒い瞳がじっと俺を見つめた。
「……家にはお前だけか」
「そ、そうですけど……」
「オズとお前と、ほかに住んでる奴はいないのか」
「俺たち、二人だけです……」
そう答えると、男は目を見開いた後、何かを考え込むように顎を擦った。
よく分からないけれど、怖い。とりあえず怖い。
聞かれたからつい答えてしまったが、無視したらその太い腕でぽきっと首を折られそうだ。
こんなときケータイがあればすぐに110番するのに。それかオズを呼んで対応してもらう。
しかしそのどちらも望めない俺は、目の前の男と対峙するしかなかった。
男がぽつりと呟く。
「……まさか男だったとは」
「はい?」
「まあ良い。中に入れてくれ」
「え?なか、中に?でも、ここはオズの家でして」
こんな怖そうな男を家に入れるだなんて恐ろしい。二人きりになった瞬間ぽきりと首を折られそうだ。強盗とか、もしかしてそんなやつなのかも。
俺が苦笑いを浮かべて何とかごまかそうとすると、男はずいと顔を寄せてきた。
真っ黒な瞳がビビリまくった俺を映している。
……オズ、ごめん。
ニンゲンは生身で戦う力を持たないんだ。俺は心の中で先に謝っておいた。男の口が動く。
「お前と話がしたい」
この世界の生態系では圧倒的弱者の俺は、その申し出に大人しく頷いた。
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