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第九話 雨はすべてを流すか③

 結果として、タクマの——いや、タクマと私の熱が収まるまで三日かかってしまった。  やっとの思いで家に上がり、泥だらけの服を脱いで二人でベッドになだれ込んだ。タクマはもう息も絶え絶えで、そして私も我慢の限界だったが、前回に比べ私には僅かに理性が残っていた。  身体を冷やし弱ったタクマに体温を分けるようにして、できるだけ優しく肌を合わせた。  ふた月ぶりだったというのに、タクマの身体はしなやかで——特に後孔は、濡れてほどけていたから驚いた。  ニンゲンというのは男もすんなり受け入れるのか。タクマはとても答えられるような状態ではなかったから、私は一人で勝手に納得した。  タクマは、香りのせいだとは思うが、なんというか、とてもかわいらしかった。  優しくしてやりたい、とゆっくり行為を進めると焦れて泣き出すし、いざ繋がって動き出すと恍惚の表情で「きもちいい」「もっとして」と強請る。  私の腰に両脚を絡め、快感に喘ぎながら自分で身体を揺するタクマも相当に刺激的だった。 「ああ、ぁっ、オズ、オズ……っ!」 「タクマ……」 「奥きて、もっと……、や、離れちゃ、やだ……っ」 「…………っ!」  想いを寄せる相手に散々甘えられ、私の心臓と脳はとうに限界を超え、崩壊寸前だ。そして私の身体も、その痴態に煽られて一向に治まる気配を見せなかった。  いくら触れても満足できない。タクマの身体を気遣う余裕もなく、腰を振って欲望叩きつける。濡れそぼったナカに精を吐き出すたび、タクマは悦びの声を上げて痙攣した。  消える気配のないうなじの傷に舌を這わせると、なぜかこれ以上ないほどに私の胸は幸福感に満ちた。  私のものだ。  私だけの、愛おしいいきもの。  繋がって、少し休んで、繋がって、少し寝て、また繋がる。  これを三日間繰り返し、お互いに「そろそろ良いんじゃないか」と落ち着いたのがつい先程のことだ。外は陽が落ち、また夜がやって来ようとしている。  私も三日間無断欠勤をしてしまった。  しかし事情が事情なだけに、仕方ないと達観する自分もいた。さすがにお灸は据えられるだろうが、クビまでは行かないだろう。  けれど私がそうだからといって、もうひとりがそうだとは限らない。 「……タクマ、そろそろ良いんじゃないか」 「……いや、まだ、全然無理……」  湯浴みをして簡単な軽食を取った後、徐々に状況を理解し始めたタクマは、突然「あわわ」とおかしな声を出した後、ベッドの上で頭から掛布を被り丸まってしまった。  今も単なる丸い塊と化したまま、時折「ひぃ」だの「ぐぉ」だの変な呻き声を漏らす。かれこれこの姿になって一時間くらいか。そろそろ普通に話がしたかった。 「タクマ」 「…………」  諭すように名前を呼べば、白い塊は少し黙り込んだ後、もぞもぞと動き出した。その隣に腰掛けると、布の下から気まずそうに眉根を寄せたタクマが現れる。  色んな意味で泣かせたせいで目がまだ赤いが、幸い体調は崩していないようだった。タクマは軽く唇を噛んだ後、俯いて呟く。 「……ごめん」 「……どうして謝るんだ」 「迷惑かけてるから。いや、もうずっと前からだけど……オズは違うって言うけど、俺、オズにすっごい迷惑かけてる」 「そんなことは」 「あるよ!」  タクマがきっとこちらと睨みつけた。  充血した目に見る見る涙が溜まって、そのうちの一粒が頬へと流れた。 「迷惑じゃん、こんなの。タダ飯食らいで、変な匂いでオズをだめにして、仕事だって休ませてる」 「タクマ」 「そんなの嫌だよ。俺だっていつこんな風になるか分かんないし……その度にオズに苦労させるなんて、」  嫌なんだ、と呟きながら、タクマは乱暴に涙を拭った。 「オズがクビになってニートになっちゃったらどうしよう」とも言ったが、にいとが何なのかよく分からなかったので黙殺しておく。  悲嘆に暮れるタクマを見て、私は不謹慎ながら僅かな感動を覚えていた。  つまりタクマは、自分の身体の不調よりも、私のことを心配してくれているのだ。もうすっかり熱は治まったはずなのに、「迷惑をかけるのが嫌だ」と泣くタクマを見ていると、少し欲を覚えてしまった。  これはあまり紳士的ではない。 「私は、タクマにいて欲しい」 「……なんで?」  純粋な疑問が胸を衝く。  これは一体、どうしたものか。  こういう場面での経験値が圧倒的に少ない人生を送ってきた自分を呪うが、どうにもならない。  訳もなく見つめ合うと、焦げ茶色の澄んだ瞳に確かに自分が映っているのに気付いて、急に喉が渇いた。 「タクマ」  所在なさげなタクマの手を握って、そっと名前を呼んだ。緊張で冷や汗が出た。もしかしたら掌も汗で濡れているかもしれない。  しかし今更離すわけにもいかず、私はパニック状態に陥った。不思議そうに見返すタクマに怖気付きながら、私は意を決して口を動かす。 「わ、私は」 「…………」 「君の、ことが、……その、あれだ、」  こめかみのあたりで血管が脈を打っていた。気持ちを伝えるというのはこんなにも難しいのか。アルノに頼んで口説き方を教えてもらうべきだった。  顔に血が上って私がそれ以上口をきけずにいると、タクマはぽつりと言った。 「……ディーナが、」 「うん?」 「……オズの想い人は、俺だって」 「…………」  一瞬で血の気が引いた。  そして代わりに湧き上がってきたのはディーナへの憤怒だった。あの腐れ熊男め。次に会ったら生かしてはおけない。今度は目の前が真っ赤になるのを感じていると、タクマが手を握り返してきて、我に返る。  しまった。どうやって言い訳をするべきか。 「タ、タクマ」 「……そういうことでいいの?」  タクマの眼差しは真剣だった。  けれどその奥にゆらゆらと迷いが揺らめいている気がして、私は反射的に答える。 「そういう、ことだ」 「……そっか」 「そういうことだから……その、タクマには、ここにいて欲しいと、いうか」  決定的な言葉を告げられない自分がとんでもなく情けない男に思えたが、私はタクマに甘えた。  タクマが涙を引っ込め一気に赤くなったのを見て、私の胸はじんわりと温かくなる。タクマは少し考える素振りを見せてから、うん、とひとつ頷いて言った。 「……分かった。そういうことなら、俺もここにいたい」 「そ、そうか」  良かった、と胸を撫で下ろすのよりも早く、タクマが言葉を続ける。 「一緒に寝よう」 「…………ん?」 「疲れてるだろ」  繋いだ手をそのまま引かれて、半ば無理やりベッドの上に引き倒された。当然のように掛布を身体に掛けられたが、頭の中は混乱し切って言葉が出てこない。  それに、このベッドは二人で寝るには狭い。慌てふためく私の頰に手を添えて、タクマが囁いた。 「……俺も、そういうこと、だから」 「…………」  つまり、これはどういうことなんだろう。  私は思いついたままの言葉を口から放った。 「と、虎の姿になった方が、」 「……このままでいいよ」 「しかし」 「おやすみ、オズ」  ぽんぽんと私の腕を軽く叩いて、タクマはそのまま目を閉じてしまった。  ちゃっかりと、身体を私の腕の中に潜り込ませて。 「…………」  タクマ。君はなぜこの状態で平静に寝ようという発想になるのか。  虎の姿ならまだ良かった。それならまだ、タクマは毛並みを楽しんでじゃれているだけだと、なんとか理由を付けられたのに。獣人のままだと、密着度が高すぎてタクマの意図するところをあれこれ勘繰ってしまう。 「………タ、タクマ……」  残酷なことに、返事は無かった。  そのうちすうすうと寝息を立て始めたタクマの身体に腕を回す余裕さえ持てず、私は悶々としたまま一夜を明かしたのだった。

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