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第十話 余計なお節介②
「タクマ、今日は機嫌が悪いな」
「……少しだけ」
このひと月の間に、俺の生活にも変化が訪れた。
オズの友人——熊の獣人のディーナの仕事を手伝わせてもらえるようになったのだ。
ディーナは街中で花屋を営んでいる。
本人は「こんなナリで花屋だなんて」と恥ずかしがるけれど、ディーナの選ぶ花はどれもきれいで可愛らしいし、手入れの仕方も実に丁寧で愛情がこもっている。
花束を作らせたらそりゃもうセンスの良いものが仕上がってくるから、お客さんだって大喜びだ。
この前の件をきっかけに分かったことだが、どうやらオズ以外の獣人は俺の匂いを感じないらしい。
そしてオズと話し合い、街に出てみても問題ないのではないか、という結論になったのだ。
もちろん、フードは被った状態で。医療用の付け耳もあるらしいが丁重にお断りした。この世界では当たり前の耳ではあるが、俺が付けるとなると心情的に小っ恥ずかしくてだめだ。
そして俺を「ニンゲンの獣人」だと思い込んでくれているディーナの厚意もあって、この花屋で手伝いをさせてもらっている。
ディーナにはオズから「タクマは持病があって不定期的に発作を起こす」と説明してあるから、もし俺がおかしくなってもすぐオズを呼んでもらえる手筈になっていた。
なんちゃってアルバイトは不安もあったが、いざ働いてみると家に籠もっているよりもずっと楽しい。
家事は相変わらず俺が担当しているから、オズは「適当でいい」と言ってくれるけれど、働く喜びで毎日にメリハリがついたおかげで、俺は却って前よりも生き生きしてるくらいだ。
それなのに、昨晩のオズときたら。
生花の茎の状態を点検しながら、俺はディーナに愚痴をこぼす。
「……オズって、真面目すぎると思わない?」
「なんだ、ケンカでもしたのか?珍しい」
「ケンカでは、ないんだけど」
誘っているのにセックスしてくれないから悩んでいる、とはさすがに言えない。
獣人の世界では、獣の習性上異性からあぶれる者が多く、同性同士の恋愛には抵抗がない、と以前ディーナから聞いた。
それでも、おそらくオズ以上に真面目なディーナに性生活に関する問題を相談することは憚られた。
俺が黙り込むと、ディーナは大きな手を忙しなく動かしながら言った。
「確かにあいつは真面目だな。でもタクマには相当入れ込んでると思うぞ」
「……それはどうかな」
「そうさ。そもそも虎の獣人はな、誰かと一緒に暮らすことを好まないんだ。成人したら必ず親から独り立ちするし、たとえ夫婦でも別々に暮らす」
「え、そうなの」
じゃあやっぱり俺は迷惑なのか、と青ざめたところで、ディーナが慌てて続けた。
「だからこそ、あいつがタクマと暮らしているのはすごいことなんだ。習性なんか関係なく一緒にいたいってことだからな」
「……ディーナは励ますのが上手だね」
「オズやアルノからは口下手だと言われるがな」
にい、と豪快に笑う顔を見て俺もつられてしまう。
アルノ、というのはオズとディーナの学生時代からの友人らしい。群れを作る狼の獣人だというのに、群れることを好まない変わった男だと聞いている。
一度は会ってみたいとは思っているが、どうやらアルノは仕事が忙しいらしい。
何の仕事をしているかまでは聞いていないけれど。
手を動かしながら、オズのことを考える。
真面目すぎて俺と一緒に眠ることさえ避ける男。
きっと、あまり押したらダメなんだ。
一旦引いてみるべきか。
いや、でも引いたら引いたで一切触れ合いが無くなってしまうような。
「タクマ、少し店を空けてもいいか?」
「えっ、あ、何?」
考えごとに集中していたら、ディーナに声を掛けられた。どうやら配達が何件かあるらしい。簡単な花束なら俺も作れるようになったから、ディーナがいない間も少しなら何とかなる。
「いざとなったらお客さんにディーナが帰ってくるまで待ってください、って言っとくから」
「悪いな。そんなに遅くならないとは思う」
華やかに纏められた花束を抱えて、ディーナは外へと出て行った。一人残された俺は店先に出て大きく伸びをする。
通りを歩く獣人たちの頭には、当然ながらそれぞれ異なる形の耳が生えている。
不思議な感じだ。
このなかで、俺だけが違うイキモノだなんて。
耳をじろじろ見るのは失礼に当たる、と以前オズに注意されていたから、流れる人波にこっそり視線を這わす。耳の形だけで何の獣人かを当てるのが、空き時間の俺の密かな楽しみだった。
あれは兎、そしてあれはきっと犬。
ああ、それであそこにいるのは牛だろうか。
動物好きとしてはたまらない。
皆が獣の姿になってくれたら、意思疎通のできる動物たちに囲まれるという贅沢な体験をできるのに。
そんな妄想を楽しんでいたときだった。
「……あれ?」
路地裏から出てきた、フードを被った男。
ゆらゆらとあちこちを歩き回りながら、通り行く人並を窺っているように見える。
どう見たって動きが変だ。
フード仲間といえど、何か良からぬものを感じて俺はそいつを注視していた。
そして次の瞬間、フードの男は動いた。
「っきゃあっ!」
「!」
男は若い猫の獣人の女性に突然体当たりをすると、持っていたバッグを奪い取り走り出したのだ。
「ど、泥棒!」
悲鳴をあげ倒れ込んだ女性に何人かが駆け寄る。
周りの獣人たちが辺りを見渡したが、フードの男はそのなかを巧みに縫い、あっという間に人目を振り切ってしまった。
目で追っていたのは、俺だけ。
「——このっ、待て!」
反射的に俺は駆け出した。
一部始終を見ていただけに見逃すわけにはいかなかった。
店にはすぐ戻ればいい。
そう考えて男の後を追った。
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