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第十話 余計なお節介③
男の脚はそれほど速くなかった。
これなら追いつける。
そう思った瞬間男がこちらを振り向いた。
僅かに男の速さが緩んだのを認めて、俺はその襟首を掴む。
その反動でお互いのバランスが崩れて、俺と男はもたれるように地面に倒れ込んだ。
「おい、あんたっ…!」
熱くなっていた俺は、そのまま男にのしかかった。
中年の人相の悪い男だった。
息を切らし、激しく俺を睨みつけている。
——ここでもし逃げられても、何の獣人かくらいは目に焼き付けておいてやる。
そう思って俺は男のフードを剥いだ。
けれど。
「……え?」
男の頭には、耳が無かった。
それに動揺した瞬間、男は俺の襟首を掴み地面に引き倒してきた。
頭を打って息が詰まるのと同時に、男の顔の脇から大きな耳が生えているのに気付く。
人間にしては大きすぎる、それ。
「……猿?」
俺が地面に倒れたまま呆然と呟くと、男はフードを被り直し、歯茎を剥き出しに意地悪く笑った。
そして、周囲に集まり始めた獣人たちに向かって叫んだのだ。
「捕まえた!こいつが泥棒だ!」
「なっ……」
男は盗んだバッグを素早く俺の手元に置くと「憲兵隊を呼んでくる」と宣言しその場を立ち去った。
大勢の獣人に取り囲まれ、俺は言葉を失う。
やられた。
そう思っても遅すぎる。
後ろから駆けつけた猫の女が、叫ぶようにバッグを指した。
「ああ!あたしのバッグ!」
「お嬢さん、こいつに盗られたのかい?」
「そう、そうね……そういえばフードを被ってたわ」
混乱のなかで、何もかもが悪い方向に転がっていることだけは理解できた。
途端に獣人たちは俺にのし掛かり「ふてぇ野郎だ」とフードを取る。
「……なんだ、こいつ」
耳が無い、いや、顔の脇に妙な形のが付いてる、という呟きが細波のように広がっていく。
頰を地面に擦り付けながら、俺は心臓がばくばくと跳ねる音を聞いていた。
——違う、違うんだ。俺じゃない。
そう叫びたいのに、まるで声が出てこない。
獣人たちは俺の頭上で口々に「こんな獣人見たことがない」「外国から来た奴じゃないか」とがなり立てている。
俺は怖くて泣きそうだった。
獣人は俺とは違うイキモノなのだと改めて思い知らされる。
憲兵隊って何だろう。
俺はどうなるんだろう。
尋問とか拷問とか、そういうことをされるんだろうか。
「最近ここらで流行ってるひったくり、こいつの仕業だろうな」
「なんだか妙な耳をした奴だって俺も聞いたぞ」
違う。そんなの違う。俺じゃないのに。
オズの顔が思い浮かんで、すぐ消えた。
俺がわがままばかり言うからバチが当たったんだ。
どうしよう、もうオズとは会えない。
そう思ったら堪えていた涙がこぼれた。
俺を匿っていたと知られたら、オズだってただでは済まないはずだ。
「憲兵隊が来たぞ!」
その言葉とともに、群衆が割れた。
足元しか見えないけれど、磨き上げられたブーツを履いた脚がいくつもやってきて、俺を取り囲む。
余計なことするんじゃなかった。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
俺はどんな処罰を受けるんだろう。
もしかして、ギロチンとか、そういうのだろうか。
「分隊長、こちらへ」
俺の目の前で、一際暗く輝くブーツが立ち止まった。
「こんにちは、泥棒さん」
やけに涼やかな声に恐々と視線を上げれば、細身の男が俺を見下ろしていた。
細められた目は冷たく、何の感情も読み取れない。
ぴんと立った三角形の耳は、濃い灰色だ。
優雅に弧を描いていた唇が、ゆっくりと動き言葉を紡ぐ。
「憲兵隊分隊長の、アルノといいます」
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