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早咲きの一花(2)

 次の日、佐藤学がいつもの様にトレーニングを始めようとして、はっとした様に立ち上がった。うろうろとしてから姿見の前に行く。自分の平らな腹を撫でて、うらめしそうにしている。  何を悩んでいるのか。  ふんっと力を入れると筋肉が浮く。  それは見事な身体で、好ましいものに見えた。  なのに、佐藤学は、はあと大きく溜息をつく。  とぼとぼとベッドに歩み寄ると座って何事か考えている。  思い切ったように立ち上がると、腹筋を始める。  いつもより遥かに少ない回数で止めると、うな垂れながら鏡をまた見てつぶやく。  鏡に呟いた口を読唇術で読んだ。 『筋トレやりすぎ』  指が腹を撫でる。肩のラインを撫でて溜息をついた。唇がまた言葉を紡ぎ出す。 『華奢がいいのに。これじゃマッチョだよ』  なるほど。  彼の必死のトレーニングは体形維持の為だったわけだ。しかもベクトルとしては華奢な身体を作る為の。  結果、トレーニングに夢中になりすぎるあまり華奢というよりは筋肉質になってしまい、落ち込んでいると。しかし、完全にトレーニングを止めるのには不安があり、トレーニングをついしてしまう。そしてそんな自分に落ち込んでいるわけだ。  暗い部屋で、吹き出した。  慌てて口を押さえたが、そのままくすくすと笑ってしまう。  もちろん、佐藤学は気がつく筈がない。  面白い…………それに…………  そこで思考を止めた。  何かが消えて、同時に浮かべていた笑みも消えた。  そして、自分が笑っていたと気付いて驚く。  まだ笑えたのか。  目が醒めるような驚きを感じて、窓の向こうの平凡な容姿の男を凝視する。  込み上げる何かを押し殺して立ち上がるとシャワーを浴びた。  頬に流れる何かは気にしないことにした。  心に灯る何かにも。  灰色のくたびれたスエットを腰にひっかけると、部屋の照明をつけて、冷蔵庫から缶のビールを取り出すとゆっくりと煽った。  すたすたとソファーに近づくと、身体を晒すように横たわった。  視線を感じながら、テレビを見るふりをして、窓の向こう、明かりがついていては見えないもうひとつの籠の中を透かし見る。  見ればいい。  そう思う自分に心の中で苦笑いを浮かべる。  何をしようというのか、何をしたいのか。  もしそこに甘いものがあるとしても、こんな自分では手にする事など出来ないだろう。許されはしないだろう。  それでも。  見ればいい。  そう思う気持ちは止まらなかった。  ぼろぼろになってくしゃくしゃになって、落ちてきた暗い場所に、可憐な花が咲いていたとして、それを欲しない人間などいるわけがない。  心を慰める為に花の匂いを嗅ぎたいと思わないわけがない。  その花が自分を欲していたとしたら、その身を惜しむ理由などあるわけがない。  しばらくして、視線を感じなくなった。  カーテンが閉まっている。  寝てしまったのか。  どこか捻くれた、見捨てられたような気持ちで、テレビを消し照明を消した。  ソファーに座りたばこをくわえて火をつけるとくせのある髪を掻き上げる。  薄暗い部屋にたばこの煙が広がった。  微かな気配。いや…………  立ち上がってベランダへ向かう。  静かに窓を開け、ベランダに出た。 「ん……あっ……ああん」  男の喘ぐ声。聞き覚えのあるその声は確かに彼のものだ。  男がいたのか。  ぞわっと背中を何かが撫でる。微かに震える指でタバコを吸った。  吸い上げられてチリチリと焦げて赤くなる火は何かに似ている。 「あ……きもち……ぃ……あっ……」  窓を閉めて、カーテンを閉めた。  タバコを灰皿に押し付けてソファーに座る。  眠れそうにないな。  溜息をついた。

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