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【番外編】大人になるには 学、大人の塔へ行く(2)

 もう一度、暴れてみるけど乱暴に壁に押し付けられて、息が詰まった。 「ね?何してるの?」  あ、なんか本気で迅の声が聞こえる。  なんかもう幻聴の聞こえる年なんだな。オレ。  人が動く音、押し殺した悲鳴。軽くなる背中。 「どうしたの?」  ぐるっと身体を回された。ぽすっと倒れ掛かった身体はただ一人、知っている恋人の感触で。その向こう側にはオレに痴漢をしていたらしき太ったスーツの中年の男が苦痛に顔を歪めている。 「迅?」 「うん」  返事をした迅の表情に、身体が震えた。  一切の表情のない、その顔はオレの知らない迅の顔だった。 「何された?」  冷ややかな声と視線は、いつもの迅とは違っていて、嘘をつくことも誤魔化すことも許してくれなかった。 「ち、痴漢」  震える声で怯えながら囁くのが精一杯だった。 「そう」  その瞬間、ぼきっと嫌な音が聞こえた。  オレにのしかかっていた男が手を押さえながら膝をつく。 「ああ、ごめん」  迅が狭い通路で、その男をまたいで向こう側でしゃがみ込む。  うめき声をあげる男の手をつかむと、指を捻った。  また嫌な音がして、男が叫ぶ。 「脱臼したの元に戻したから……楽になるけど、一応病院行ってね」  はあっ。はあっ。息を吐きながら男が迅の顔を見てる。 「山本さん」  とても静かな声で迅は言った。  男の瞳が驚愕に見開かれる。 「山本……隆さん?」  ぽんと、迅が男の肩を叩いた。  「警察に、ね、訴えてもいいけどさ、ここの防犯カメラに全部映ってるだろうから、あなたもただじゃ済まないと思うんだよね」  ひいって声をあげて、男が立ち上がった。 「渋谷の辺りに住んでる人って、そっち系が多いって聞くけど、ほんと?」 「な、なに」 「東京都渋谷区えび……」 「やめろ!」  しゃがんだままで、迅が男を見上げる。  癖のある長めの前髪の間から、何もかもを見通すような瞳が太った男を見つめた。じり、じりっと男が後ずさって、背中を向けて狭い通路を走って行く。 「逃げたね」  しなやかな動きで迅が立ち上がる。 「怪我は?」  差し伸べられた手をつかもうとして、ここが家じゃなくて、店の中で、自分が震えていると気がついた。 「な、ない」 「よかった」  にこりと笑った顔は、いつもの迅で。 「ど、して?」 「ん、帰りが遅いから、ホワイトデーのものでも探しに行ったかなって……学の会社の帰りったら新宿だろ? 学の行きそうな店って、見に来たら、ちょうど店から出るとこで……様子もおかしかったから、昔の習慣でそのままつけたんだ」 「じゃ、最初から?見てた?」  キラキラしながら、おもちゃ見てるとこ見られたのかと思って顔が赤くなる。その上、痴漢されてるとことか全部見られてたとか、なんなんだ、すげえ恥ずかしい。 「いや、外で待ってたんだけど、なんか嫌な目つきのおじさんが学の後から入って行ったし、時間かかるから気になってさ」  あ、おもちゃ観賞は見られてなかったらしい。  しかし、迅のカンってすごいなあ。  ごほんって音が聞こえて、そっちを見ると、店員がこっちを見ている。早く帰れって顔だよな。あれ。 「か、帰ろう」  戻りかけたオレを迅が止める。 「いや、なんか欲しいんでしょ?買って行こうよ」  ぎょっとしたオレを見て、迅が微笑む。 「これとかどう?」  迅が初心者用って書いてある箱をオレに差し出した。 「やっ!いや、いい」 「そ?」  棚に戻すのかと思ったそれを、迅はそのままレジに持って歩いて行く。 「ちょ」 「迷惑料だよ」  通っていく間に、ローションやらゴムやら、手馴れた手つきで箱に重ねて行く。  棚から小さなピンクの楕円の玉のついたのを見て、首を傾げると棚に戻した。ほっとしたのも束の間、隣の、玉が二つのを取り出した。 「ちょっ……な、そんなのいらないだろう……」  迅の服を引っ張ると、振り向いた迅にひそひそと囁いた。 「そう?」  迅がオレの顔を見てにこりと笑うと、箱を重ねてレジに向かって歩いて行く。 「お、オレが出す……」  財布を取り出す間もなく、迅が支払いをしてしまった。  がさがさと店員が商品を袋に詰めている。ああ、ちゃんと中身がわからないように梱包してくれるんだとか、袋とかも店の名前ないんだなとか、変なことに関心してしまう。 「いこ?」  こんな場所で言い争う度胸もなかったから、迅の後に黙って着いて行った。エレベーターのボタンを迅の綺麗な指が押す。黙ったままの迅に、もしかして怒っているのかと不安になった。 「迅……」 「こういう所はさ、カメラとかついてるから。後でね」  オレの顔を見た迅が微笑む。 「ああ、怒ってないよ」  一瞥しただけで、オレの考えている事がわかってしまうのか。  そんなに解りやすいのか、そう思うとなんだか落ち込んでしまう。  迅は探偵だったんだし、人間観察が趣味だとも言っていたから、そういうのが得意なんだっていうのはわかるんだけど。でも、もう四十だってのに、簡単に考えていることを読まれてしまうのもどうなのか。  エレベーターを降りて、連れ立って夜の街を歩く。 「さっきの人、知り合いだった?」 「だれ?」 「さ、触ってた……名前、知ってたよな」 「知らない人だよ」  迅がコートのポケットから見た事のない財布を取り出して、間に挟んであった免許書を振って見せた。  そこにはさっきの男の写真があった。 「後ろポケットに財布を入れちゃダメだよね。あと、財布に免許証もアウトかな」  財布の間に免許証をしまうと、迅が微笑む。 「学に夢中になってたから、抜いたんだ」 「そ、それ、スリじゃ……」 「本気でムカついてたから、腕力で行くとやばいとこまでやっちゃいそうだったからね。心理の方で潰すほうにしたんだけど……」  指を脱臼させる方だって、十分ヤバいと思うんだけど。  迅が財布を見て、う~んって唸る。 「警察に届けたら、連絡行ってビビるかな」 「や、やめろよ。そんなの」 「だよね」  迅が植え込みのうえに財布を乗せる。 「な、何して……」  手を伸ばして拾おうとしたオレの手を、迅が握る。 「触るな」  迅の目が険しくなってびっくりした。手を引かれて、体が迅にぶつかる。 「汚れる」 「汚れる……って……」  呟くと、迅が微笑んだ。 「あんな男のものに、学が触るのが嫌なんだ」  でも、って言おうとした口に、迅の唇が触れる。  うわってのけ反ると、するって腰に手を回された。 「え?あ?」  ここ、外だよな。いくら、夜で、新宿でも、目立つだろこれ。  どうしたらいいか判らなくて、身体が固まってしまう。 「じ、じん。ヤバいって」  もだもだと腕から抜け出そうとすると、腰に回っていた手が背中に這い登ってぎゅって抱きしめて来た。 「迅!」 「酔っ払いに絡まれてるだけだよ」  そう言ってオレを見る迅は全然酔っ払いには見えない。くせのある髪の間から見える瞳は酔った所なんか全然なくて、真っ直ぐにオレを見ていた。 「心配したってわかってる?」 「ご、ごめん。だけど、オレみたいなのに悪戯するやつなんているわけないって……」  迅が薄く笑う。 「俺はしたけどね。今もしたいけど」 「う……あ、」  悪戯……最初の時のあれのことを言っているんだろう。  だけど、あれはオレの望んだ事だった。ドアを開けた瞬間からそうだった。オレは迅のしたことすべてを拒まなかったし、楽しんだ。  そのことを思い出すと、いつでもそうなるように、うなじの毛が逆立って、背筋がぞくぞくした。 「思い出しちゃったんだ?」  低くて小さな声が聞こえて、ああ、いつもこんな風に見破られてしまうなって思う。  スーツを着たおっさんらしいおっさんが、こんな所で迅みたいないい男に抱きつかれてるなんて、そっち系の客と客引きにしか見えないだろう。  そんなこと判っているけど、こうやって迅に抱かれていると、常識とか人目とか、そんなことはどうでも良くなってしまう。ぷるぷると震えているオレの肩に頭を乗せた迅が、耳元でふふって笑う。 「ね、これで悪戯して帰ろうか」  がさっと身体の後ろで迅のぶら下げている紙袋が音を立てて、悪戯の意味に色をつける。 「このへんなら俺達でも入れるとこ、あるよ?」 「え、」  顔に血が登って行く。開いては閉じる口を、迅が横目で見て物憂げに微笑む。 「明日は土曜日で休みだよね?」  震えながらもこくりと頷くと、迅が罪そのもののような声で囁く。 「行こ?」  身体を離した迅がオレの手を引いた。足元がふわふわしているような気がする。知り合いに見つかったらとか、手をふりほどかなきゃとか、細切れの思考がぽつぽつと頭に浮かぶけど、オレは売られていく牛のように迅の後をついていった。  くすくすと笑う声が聞こえて来るような気がする。冷やかしの声も。  そうするとオレの手は臆病に震えて、握る手から力が抜ける。  だけど、迅はその手を決して離そうとはしなかった。  臆病で平凡なオレが、迅しかいないオレが、何処にも行くわけがないのに、指先は力の抜けた手を握りしめる。まるでそれが大事なものだっていうように。  だから、オレは力の抜けた指先にまた力をこめた。  迅がオレを振り返る。  目が合うと微笑むその顔は、オレの大好きな表情だった。  いつの間にか繁華街を抜けていた。  少し静かな通りはそれでもネオンで輝いている。  ホテル街に入ったんだなってなんとなく気がついた。  緊張しながらぎくしゃくと歩くオレを迅が振り返った。 「ここ」  南国ムードなそこに、ごくりと唾を飲みこんだ。  ああ、そういえば、オレ、ラブホとか来たことない。  出張でビジネスホテルくらいしか泊まったことなかった。  挙動不審になるオレの腕を迅がつかむ。 「初めてでしょ?こういうとこ」  うんと頷くと、迅が笑み崩れる。 「いいね」  身を屈めた迅がキスをしてきた。 「う……あ……」  びっくりしたオレの口の中に迅の舌がぬるりと入り込む。  息が詰まって頭がくらくらした。 「や、あ」  声を出すと、前が途端に硬さを帯びる。  それを知っている指先が服の上から軽く触れた。 「じ、じん!」  咎める声は、自分でも甘くて、誘っているようにしか聞こえない。  くせのある髪が目の前で揺れる。そこから見える瞳はいつもの欲情を浮かべていた。誘うような、踏みにじるような、貪欲な色。かたりと震える身体を迅が抱きしめた。  背中に回された腕に従順に従いながら、ホテルの入り口をくぐる。  そこで、オレはおもちゃすごいな、でも、もっと迅はすごかったとか、おっさんを酷使するとこうなるとかそういう事を知る事になる。 ──Happy Whiteday.  なんて言葉があるのかどうかは知らないけど、迅は始終喜んでいたみたいだし(喜んだか?なんて聞いたらもう2~3ラウンド追加になるくらいの知識はもう身についてるんだ)、オレも喜んだから、いい思い出になった、と思う。 【HappyEnd】 ★ ★ ★ 他サイトへのUPの都合で、ENDマークを付けましたが、この後に章を変えてもうちょっと書いて行きたいと思っています。 ええ、おじさんがラブホテルできゃっきゃしたり、いちゃいちゃしてるだけのおまけ的な話になるかと思います。

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