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第9話
麻琴は昔からずっと、完璧だった。
中高の定期試験で、自分たちは常に1、2の成績を争い、同級生からは「アイツらだけ、異次元で戦ってる」と良くも悪くも囁かれていた。けれども、麻琴の方がはるかに聡明だ。自分が異次元だとすれば、彼は超次元にいると言って良いだろう。長年、彼と切磋琢磨してきた邦孝だからこそ、痛いくらい分かっていた。
アイツと俺は違う。それを理解してもなお、彼と比肩していたかった。
邦孝は、幸か不幸かプライドが高く、負けず嫌いだ。幼い頃から目端が利き、勉強もスポーツもできた。母親に似て背丈は低いが、二重まぶたで目が大きく、鼻筋がくっきりと通った面立ちのため、女の子からモテていた。
3人兄妹の長男で、昔は弟と妹の面倒をよく見ていた。そんな邦孝を両親はしきりに褒め、そして期待してくれていた。
三つ子の魂百まで、というのがすべてではないだろうが、育ってきた環境が性格形成に大きく影響したのは否めない。
要領の良さというのは、生きていく上において非常に重要なものだが、昔から良い(、、)子(、)だった邦孝は、人からの叱責にとにかく慣れておらず、打たれ弱かった。そのくせ、負けず嫌いだから「なにクソ」と腹が立ち、見返してやろうと努力する。
前職の不動産営業で、無理難題とも言えるノルマを課されるも、それは何とかこなしていた。しかし、終わりの見えないデスマーチと上司からのパワハラまがいの小言に、邦孝の心身は蝕まれていった。
続々と辞めていく同期や同僚、補充されては消えていく中途社員。あまりにも速い人々の移り変わりを目に留める余裕もなく、契約を取り続けるために奔走する自分。……そんな環境を異常だと判断することもできないまでに、邦孝は追い込まれていた。
やがて、蝕まれた心と肉体は、助けを求めて悲鳴を漏らし始める。
日に日に食欲が減退していき、何かを口にすればキリキリと胃が痛むため、ゼリー飲料ばかり飲んでいるうちに、元々痩せていた身体がさらに痩せていった。仕事が気になって夜は眠れず、日中は頭がぼうっとしてケアレスミスを繰り返すようになり、上司からの怒号で精神ぶたれることが増えた。
まるで使えない男のような扱いに、最初は身を以て反抗してやろうという気力が湧いていたのに、それが事実だと思い込むようになったのは、いつからだろうか。次第に気分が塞ぎこむようになり、客先での作り笑いもろくにできなくなった自分自身に、「無能営業」と烙印を押し、胸のうちでの嘲笑が上手くなっていく。
それでも邦孝は、仕事へ行き続けた。休む、辞めるという選択肢はとっくの前に頭から除外され、まるで思考や感情のない機械のように自らを酷使し続けた。
2年目の秋、自宅の浴室でシャワーを浴びている最中に意識を失った。
次に目が覚めると、病院のベッドの上にいた。
傍らには、青白い顔の麻琴がいた。たまたまその夜は彼も自宅にいて、「大きな音がして覗いたらお前が倒れてて、慌てて救急車を呼んだ」とのことだった。左手首には点滴の針が刺さり、仰々しくも心拍数や血圧などの測定器が身体に取りつけられ、枕元のモニターにその数値が表示されていた。
診てくれた救急医は、「過労ですね」のひと言だった。そして、「もうすぐ心療内科医が到着しますので、診察を受けてもらいます。それから、3日間ほど入院して頂きます」と付け加えられた。麻琴からは「12時間ほど、死ぬように眠ってたで」と言われ、愕然とするのみだった。
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