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第4話 穀雨

 遅れて入ってきた桜井が会話の中心となる。そもそも部外者の自分がこの場所にいること自体がおかしいと気がついた。  自分だけがガラスの大きな箱に押し込められたようだ。目の前にい二人の音声が耳には届かず無声映画のように目に映る。  「申し訳ありません、私は失礼させていただきます」  桜井が入ってきた時にここを去るべきだった、そう考えたて関に声をかけた。立ち上がると、関に頭を下げた。  「ああ、桜井君を少しだけ借りるよ。仕事中にすまないね」  了承の意を表すために軽く頷くと、静かに会議室を出た。  「痛っ……」  むこうずねをキャビネットに強か打ち付けた事を思い出した。痛いのは足だけのはずなのだが、なぜかそこからちくちくとした痛みが全身に広がって行った。デスクに戻りパソコンの画面に集中する。自分の心をここから遠くへと飛ばすために。  「……ちょう、羽山課長」  突然、桜井に声をかけられ驚いた。  「え?あ…すまない、どうした?」  「関部長お帰りになりました、よろしく伝えて欲しいとの事でした」  「……それで…」  「はい?」  それで何を聞くのだと、おかしくなった。  「いや、明日の会議の資料を」  「はい、この前の会議のアジェンダに加えて、付属品の仕入れ先リストと単価比較表でよろしいでしょうか?」  「それで十分だよ」  「確認して頂けますか?こちらに用意してありますので」  桜井は既にきちんと整えられた書類を差し出してきた。  「これでよろしいようでしたら必要部数コピーを取っておきます」  入社一年目ではないから仕事の流れはある程度わかっているだろうとは思っていたが、ここまでとはと苦笑いする。  他の営業につけたとしたら、指導者より先に仕事をしてしまっていただろう。ある意味自分で引き取って正解だったのかと思う。  自分の下について二ヶ月目には桜井は以前からいるアシスタントより役に立っていた。  「ありがとう、よく出来ている」  褒められた子供のように顔を崩して嬉しそうに微笑む。そんな桜井を見て、ついつられて微笑んだ。またはらりと薄い絹のようなものが心の中で落ちて積もった。  こうやって気持ちは少しずつ育ってしまう。そして自分では動かせなくなってしまうのだろう。あと少し、少しの辛抱で桜井はここを立ち去る。会えなくなれば、この居心地の悪さもいつしか消える。会わなければいつか降り積もった想いも風化して消えていく。  仕事に意識を全部向けた。そういえば今朝の郵便物にと思い当たる節があり、桜井に声をかけた。  「そう言えば、ここだけれど……」  資料をゆび指した時、桜井が上からかがみ込むようにして資料をのぞきこんできた。こちらの手元にある書類をよく見ようとしたのだろう、呼吸の音が聞こえるくらい距離が詰まった。桜井とのあまりの距離の近さに慌てて後ろへと身を引いた。  「……っ。ここのメーカーだけど、新製品のラインナップと価格表が届いてたから」  「すみません、気が付かなくて」  少し、しゅんとして残念そうな表情を桜井はした。  「いや、今朝届いたばかりだから。ここは直しておくから、これデータでもらえるかな?」  「課長、最後までやらせていただけませんか?」  桜井は新しい価格表を受け取ると自分のデスクへと戻っていった。そろそろ昼休みになる。このまま桜井を置いて食事に出かけるのもはばかられる。  「桜井、それ終わったら飯一緒に行くか?」  完璧な書類を作れかなった悔しさからか少し険しくなっていた桜井の表情が一瞬にして柔らかくなった。  「はい、喜んで。課長をお待たせしたくないので、すぐに仕上げますね」  そんな桜井の一挙一動に自分の心が跳ねる。  あと少し?……本当にあと少しで桜井への気持ちを葬り去る準備に入れるのだろうか。  もうすでに手遅れのような気がしていた。

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