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第7話 若葉

 誰も訪ねて来る予定はないばず。ああ、そうか昨日注文した水がもう届いたのかと、ドアを躊躇いもなく開けた。  そして、開けた扉の前に立つ相手を見て、その場に凍り付いてしまった。  「おはようございます」  「さ…くら…い?」  「はい、お言葉に甘えてやって参りました」  お言葉に甘えて?  何を言われているのか理解出来ず、まるでお化けでも見たかのような顔をして、目の前の相手の顔を見た。  「何か、約束をした…か?」  「課長、おっしゃいましたよね。桜井なら何時でも歓迎するから遊びに来いって」  一言と求められて最後に確かに何か言った。しかし、それは会社での話だ。まさかその言葉を間に受けて自宅まで来るやつがいるなどと誰が考えるだろう。  驚いた表情に桜井が口を開いた。  「課長、解ってます。あれは会社での話で、実際に招待された訳じゃないことくらい。でも、こうやって勘違いして押しかけない限り会えないですよね」  桜井のその言葉の真意を測りかね、どう答えるのが正解かと考えをめぐらせた。桜井が自分に好意を寄せる、そんな事があるはずは無いのだから。  「そ…うか、じゃあコーヒーでも……」  コーヒーでも飲みに行くかと外に出ようした時、ドアに手をかけた桜井がぐいと紙袋を押し付けてきた。  「手土産です。では、上がらせていただきます」  「え、あ…えっ?」  押し付けられた紙袋を抱えて気圧されて後ろに下がってしまった。こちらの答えも聞かないうちに、桜井はずいと入ってきた。  「お邪魔します」  桜井は満面の笑みで靴を揃え部屋に入ると、部屋の中を見回した。  「なんだか、とても課長らしい部屋ですね」  「何が……」   「シンプルで無駄が無い。でも、何故か少し寂しい」  桜井のその言葉に傷つく、寂しい所が自分らしいと言われた事に。  「余計なお世話だ」  小さい声で反論を唱えた。  「いえ、その…私はいいと思います」  そう言うと桜井は窓へと寄って行った。窓から外を見ると柔らかな表情をした。  「あの桜の木……」  とうに桜は散っていて、その花びらの欠片も残ってはいない。緑の葉をつけたその木を見ながら桜井は本当に嬉しそうだった。  「桜の木?それが、どうした?」  「咲いている時はとても綺麗だったのでしょうね」  「ああ、見事だったな」  「残念、見たかったなあ。来年、見られれば嬉しいのですが」  桜井が何を伝えようとしているのか全く分からず返答に困った。  「桜井…その」  「あ、すみません。突然お邪魔してしまって……。それ、実家のそばの煎餅屋で買ってきたんです。小さい頃から好きで」  桜井は自分が胸に抱き抱えたままの紙袋を指さして続けた。  「良かったら、食べてください」  「ありがとう」  ゴールデンウィークも残すところあと二日。これはどう言った状況なのだろうと、桜井の笑顔を見ながら考えた。

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