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第10話 薄暑

 ベッドの上に体を起こすと、寝不足の頭をゆるゆると左右に降った。  シャワーを浴びて頭の隅に残る小さな頭痛の種を追い出さなければならないと思った。ほとんど空の冷蔵庫から炭酸水を取り出すと勢い良くあおった。  強い炭酸の刺激のせいで起き抜けの体に痛むような、中からざわっと触られるような感覚が走る。ぶるっと小さく身震いすると飲みかけのの炭酸をそのままシンクの上に置いた。  昨日の藤倉の態度は何だったのだろうと考える。別れた恋人への執着だとしても解せない。  藤倉と別れてから数こそ少ないが、付き合った相手がいない訳では無い。その関係が長く続いたことは無かったが、それなりに愛情を持って付き合っていた。  藤倉はそれらの交友関係はすべて知っている。昔から、こちらの話を酒の肴にするようなところがあった。  ……けれど、一度も今回のようにあからさまに嫌な顔をしたことは無いのだ。  そもそも、何らかの行動を起こせとからかっていたのは自分じゃないかと思い出して腹ただしなった。  あの態度は一体何だったのだろう。  コーヒーショップを無言で出た藤倉は、「じゃあ、明日」それだけ言うといつものように帰っていった。  ただ、帰り際に言われた「明日」と言う言葉けがいつもとは違っていた。友人として会うようになってから一度も次の約束をしたことは無い。それも昨日の今日だ。  「今日が何なんだよ……」  シャワーから出て、洗いざらしの硬いジーンズを履き、銀の糸で小さく鷲が左胸に縫い取られた白いTシャツを着る。  「あつっ」  まだ五月だというのに暑い。窓を大きく開けて外の空気を取り込んだ。  無意識にスイッチを入れたテレビから関東地方は夏日になる模様ですと聞こえてきた。  この連休は何もする事が無いはずだった。穏やかに過ごしていつものように休み明けから仕事をする。  それだけのはずだった。  去年から続いていた悩みの種も今回の人事異動で終わったはずだった。  だと言うのに、ここに来て身辺が急に騒がしくなってきた。虫の羽音が耳について離れないような不快さだけが残る。  「手にしなきゃ無くさないんだ」  何かの呪文のように呟くと、窓を閉めてカーテンをひいた。太陽の熱を遮って、外の世界から自分を守るように。  時計はまだ午前9時だ。今家を出て、実家へでも帰れば桜井にも会わずに済む。一言、断りの電話を入れればいいだけの事。  それでも桜井のあの表情が、藤倉の「明日」と言う言葉が縛りとなって家から出ることさえできない。  規則正しく動く時計の針が止まってしまえば良いのにと恨めしくなり丸い壁掛けを見上げた。  『お前……何かを期待しているのか?有り得ないよ』  耳の横で誰かが囁いた、そんな気がした。  シンクの上では置きっぱなしにされた炭酸水のペットボトルが汗をかいていた。

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