15 / 86

第15話 待ち人

   桜井が五月から移動になったのは、管理部門の一つだ。その辞令を見た時にやはり、桜井は幹部候補生なのだと理解した。  社の業務全体を把握した後、調査部への移動。なるほどと思った。  桜井に娘を紹介したいと言ってきた北沢専務は、その辺りの事情は既に調査済みだということだったのかと、その時に気づきもした。  結局、見合いの話がどうなったのかは伝わってくることはなかったが。  桜井のいる本社管理部門はオフィスが駅の反対側の高層ビルの一つにある。  調査部といっても何かを調査するというのではなく、管理が主な業務なのだ。  会社の経営状況の調査管理が主たる業務で、社長直轄になる。収益の見込みやロス、全てを調べ会社の基本方針をまとめる部署だ。  内部調査やコンプライアンスにもかかわる会社の根幹をなす部署になるのだ。  確かに忙しいのだろう。それでもメールのひとつくらいくれても良かったのにと思った。  恋人でもあるまいしと、自嘲気味に笑ったのは先週末の事だった。  もう来ないのかと諦めていたが、僅かな間を見つけ電話をかけてくれたという事実が、胸の中にあったざわつきを取り除いてくれた。  そして代わりに小さな灯火を残していったのだ。今にも消えそうな小さな炎はゆらめき微かな熱を放つ。  裸足の足裏に感じる僅かな地熱のような暖かさ。それがどんな意味を持つのか解っているからこそ用心深くなる。  今ここにあるものは崩れやすい感情と、不安定な未来だけ。そんな事は百も承知している。それでもなぜか報われたような気がしてしまう。  「何を期待してんだか……」  デスク周りを確認して、鞄を手にした。今日は迷わずにまっすぐ家に帰れるという自信しかなかった。  いつものように地下鉄の駅へと向かうその足取りは軽かった。

ともだちにシェアしよう!