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第16話 時告鳥
「おはようございます」
日曜日の朝、電話がなった。ワンコールで自分が電話に出てしまったことを後悔した。声が上擦っているような気がする。
「ああ、おはよう」
何かを期待するほど青くはない。この先には期待してはいけないことも経験から十分に知っている。気持はとうに桜井に持っていかれてしまっているが、だからと言って、何か変わるかは別の話である。
ただ、久々に感じた浮遊感はすぐに手放してしまうのは惜しかった。連絡しますと言われてから、桜井の電話を待つ時間の焦れるような、それでいてくすぐったいような感覚が心地良かった。
「羽山さん、すみません。金曜日にとお約束していたのに……」
別に約束をしていたわけじゃない。恋人でもあるまいし、そう思う。それでも桜井から連絡が来ないと拗ねていたのは事実だった。
「いや、忙しそうだね」
「ええ、慣れなくて。時間の流れがはやすぎて置いて行かれそうです」
「桜井が?」
桜井が置いて行かれると言うのなら、他の誰でもついていけないだろう。それにしても、桜井が弱音を吐くのは珍しいと思った。あれだけ仕事ができるのに可愛いところもあるものだと小さく笑った。
「珍しいな、桜井の泣き言は初めて聞いた気がするよ」
「……そうですか?羽山さんと一緒に働いていたときは楽しかったですから、本当に」
自分が桜井からの電話に少し浮かれているのがよくわかる。しかしこの電話の本当の目的は何だろうと考えてしまう。この会話の着点が見えないのだ。
こうやって話をすることで桜井が得るものが何かあるというのだろうか。この電話をどうやって終わらせるべきなのだろうと考えた。ただ愚痴を言うためだけに桜井が電話をかけてきたとは思えない。
「もし、今日お時間ありましたら食事でもご一緒できませんか?」
突然、話をふられて携帯を落としそうになった。自分の考えが桜井に見えてしまったのかとさえ思ったくらいだ。もちろんそんな事はあるはずないが。
桜井の申し出を断る理由はない。断る理由はないのだが、それ以上に一緒に出かける理由もないのだ。一瞬答えに窮して何も言えなくなった。
「いえ、あの無理にと言うわけではないのですが。会社の事で伺いたいこともありますし」
そう桜井に言われて、逃げ道ができてしまった。会社の事で後輩が聞きたいことがあると言うのなら会う理由もあるのだ。そこに邪な考えがあろうと、なかろうと正当な理由があるのだ。自分は予定もない時間は空いている。桜井の申し出を断る理由はどこにもないのだ。
「今日の夕方なら……」
「ありがとうございます。では、この前の店でもいいですか?」
「六時くらいでいいか?明日も会社あることだし」
「はい、ではまた夕方に」
電話を切った後、灯された小さな火から、じわじわと身体中に熱が広がるのを感じた。桜井がいなくなれば、きっと自由になれると思っていたはずなのに。
断らなかった、断れなかった。つまりそういう事だ、桜井とどこかで繋がっていたいと思っているのだ。ただ一緒にいるだけではそのうち物足りなくなる。人間の欲は底知れない。
……何かが時を告げている気がした。何かが始まるかもしれない、新しい時の始まりを。
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