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第24話 梅雨間
『多分、私は羽山さんのことが好きなんだと思います』桜井の言葉が頭の中で繰り返し自動再生される。
「多分ってなんだよ」と、頭を抱える。桜井が帰った後の部屋は、急に気温と湿度が上がり、そこにいること自体が落ち着かない空間に変わった。
この部屋は自分にとっては誰にも侵されない城だった。ここにいれば何者も自分に害をなさない。安心して眠れる場所だったのに、じわじわと床から広がってくる中途半端な熱が身体にこもり呼吸まで荒くする。
心に灯されていた吹き消せそうな小さな炎は、ゆらゆらといつの間にか大火となり、仄かだったはずの光が赤々と自分の内面を照らしさらけ出す。
見えてしまった。もう隠せない。二人で過ごす時間のわずかな幸福と、その時間の得も言われぬ苦痛とのバランスが崩れてしまった。
仕事で同じ時間を共有するだけなら隠し通せたかもしれない。気取られずいつの日か風化させることもできたのかもしれない。
「お前がバランスを崩したんだ、桜井……」
頭の中までは覗けない、ましてや心の内側なんて。犬猫を好きだと言うのとは訳が違う。不用意に発された一言、その言葉の持つ意味がどれだけ大きい意味を持つのか桜井は気が付いていないのだろう。
……身体が熱い。
スウェットから手を入れて自分の身体をなぞる。粟立つ肌に忘れていた感覚が戻ってくる。目を閉じると、振り返り声をかけてきた桜井の顔が浮かぶ。薄っすらと開いた目に幻覚が見える。
『多分、私は羽山さんのことが好きなんだと思います』また再生されるその声に鳩尾のところかはむずむずとした感覚が全身に広がる。
「俺は桜井が…欲しいのか……」自分自身の発した言葉に身体が震えた。
「馬鹿か…ガキじゃあるまいし……」そう独り言つ。
それでも熱い呼気の、その意味は自分が一番よく知っているのだ。気が付かないふりをしていた身体の熱、荒くて速い呼吸の意味するもの。
十も年下だ、まだ若い。それ以前に……普通の男だ。
吐き気がする、まるで安い酒で悪酔いしたような気分だった。だんだんと夜は深くなり、感情はただマイナス方向へと引かれていく。
上司と部下ではもうない、まして友人などではない。なぜ仕事で忙しいはずなのに時間をなんとか作ってまで自分い会いに来るのかと考える。
……単なる暇つぶしなのか、考えは一巡してまた悪い方へと少しずつ沈み込んでいく。
『一稀、一緒にいてくれてありがとう。お前が何より大事なんだ』そう言われて有頂天になった日々を思い出していた。
二人だけで世界は完結すると思い込んでいたあの日々のことを。藤倉のためだけにこの先、生きていくのだと信じていた頃。今の桜井より少しだけ若い時だった。
永遠に続くと思っていたその小さな世界は、いつの間にか広がり、気が付けば藤倉も自分も大人と呼ばれる年齢になっていた。そして、二人の関係は誰も幸せにしないことを知らされた。
互いが幸せならと踏みとどまっていた場所から、邪魔だと押し出された。誰に疎まれようと生きていけると思っていたのに、自分の存在が藤倉から笑顔を奪ったと知った時の絶望を二度と味わいたくはなかった。
……すべてを失った。あの時、決して誰かの負担にならないと誓った。そしてこれまで上手くやってきたはず。それなのに。
部屋の中で一段と明るく光った携帯の画面がメールの着信を知らせた。「大丈夫ですか?何かあったらすぐに連絡ください。おやすみなさい」と、桜井からのメッセージが浮かんだ。
「俺が眠れないのも、何かあったって事に入るのか?」と、その画面のメッセージに語りかけた。桜井に届くはずもないのに。
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