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第28話 明易
コーヒーを淹れながら、ふとこの風景に既視感を覚えた。そうだつい先月のことだった、いきなり桜井が押しかけてきたのは。いったい桜井は何を求めてここに来たのだろうと不思議に思う。
部屋の真ん中に座り、あたりを見渡しながら楽しそうな様子の桜井には違和感しか覚えない。桜井が自分といて何が面白いのか、なんの特になるのか。
「お前、予定はなかったの?」
その質問に桜井は満面の笑顔で答える。
「予定ですか?羽山さんと会うこと以外にですか?」
「それは予定じゃないだろ……」
「今日は羽山さんと会うことが予定です」
コーヒーマグを桜井に手渡しながら、つい苦笑いした。桜井が相手だと、どう答えるのが正解なのかいつも解らなくなる。
「ビンテージでしたよね」
カップを持ち上げ、こちらの目を見ながら揶揄いがちに桜井が言う。
「ああ」
またこうやってた当たり障りのない事に会話は終始して、結局核心には触れずに時間だけが過ぎていってしまうだろう。
聞きたいことは自分から切り出せばいいのだが、どう切り出せばいいのかわからない。
桜井が自分に向けている好意がどんなものなのか聞きたいが、その答えは欲しくないような気さえしている。
「羽山さん、もう体調は大丈夫ですか?」
「なんともないよ、単に寝不足なだけだから」
「良かった」
それっきり黙って桜井はコーヒーを飲んでいる。時計に目をやると午後二時半になっていた。そろそろ帰るのだろうかと思いながら桜井方へと視線をよこした。その時桜井が口を開いた。
「あの……今日ここにいてもいいですか?」
唐突な質問に返事が出来なかった。
「昨日、帰ってから気になって結局ほとんど眠れなくて、羽山さんからはメールの返信もないし、電話にもでてもらえませんでしたから……」
改めて携帯の履歴を確認した。桜井からのメールは二件、着信は一件だけだった。帰りついてから、そして朝目が覚めてからもう一度メールをよこしたのだろう。
「そんなにしつこくは送っていませんよ」と桜井は笑った。まさか一晩中待つなんて有り得ないと思った。
「悪いことをしたな……」
「いえ、勝手にやったことなので。もし具合が悪くなって呼ばれて気が付かなかったらと思うと、眠れなかっただけですから」
「夜中に人を呼ぶほど具合が悪くなったら、さすがに救急車を呼ぶよ」
呆れて桜井にそう告げた。
「具合の悪い時は不安になりませんか?誰かに居て欲しいと思いませんか?それが私だったらいいのにと、思って待っていました」
「……」
「ですから、今日は羽山さんがきちんと食事をして眠るのを確認したいのです」
「……いや、大丈夫だから……」
「迷惑ですか?」
「迷惑…ではないが……」
「良かった、じゃあ買い物に行ってきます。鍵預からせていただきますね。羽山さんは少し休んでいてください」
そう言って桜井はテーブルの上に置きっぱなしだった部屋の鍵をつかんだ。
「いってきます」そう言って出て行く桜井を見送りながら、別に具合が悪いわけじゃないんだがと小声で答えた。
三時半になっても桜井はかえって来ない。気になって玄関を確認する。どこへ行ったのだろうと不安になる。部屋をうろうろと落ち着かず歩いていたら、桜井の足音がした。
大きなスーパーの袋を二つ下げた桜井が部屋に戻ってきた。袋をがさっと床に置くと、具合は大丈夫ですかと声をかけてきた。誰かにこうやって気にかけてもらえるのは悪くない。
「もう大丈夫、ところでお前は何を買ってきたんだ?」
「夕食の材料です。と言っても何も作れないので、味噌汁の材料とすぐに食べられそうなものヨーグルトや果物とか、あとはレンジで温める御飯と……」
「え?なんだそれ」
食事をさせると豪語しておきながら、作れないなどと面白いことを言う。その桜井の困ったような笑顔に緊張の糸がほぐれた。
「桜井、食事作るからそこに座って待ってろ」
「え?作ってくださるんですか?」
台所に立つのは久しぶりの事だった。最低限の道具しかないが、簡単な食事なら作れると思った。そして自分が嬉々として、料理をしていることに気が付いた。
子どものように無邪気に喜び、本当においしそうに何でも食べる桜井を見ながら、誰かのために食事を作るなど本当に久しぶりだと思った。
「羽山さん、元気になって…よか…った……」
大きく欠伸をしながら、桜井は今にも寝てしまいそうだった。
「少しだけ、少しだけ休みます」と言うと桜井は床に横になった。横になったと思った瞬間に規則正しい寝息が聞こえてきた。昨日の夜一睡もしていないのなら、きっと明日の朝までは起きないだろう。
床の上に横になり 気持ちよさそうに寝息を立てている桜井の顔を見る。薄手の布団をかけてやる。この時期だ、風邪をひくことはないと思った。床の上で眠って明日多少体が痛いだけだ。
そして、その隣にそっと横になった。ぎりぎり触れるか触れないかの距離に。
この時期の夜は短い。すぐに夜が明けるだろう。すこしだけ、ほんの少しだけそばに居させてもらおう。夜が明けるまでその短い間だけでも、そう思って静かに眠りについた。
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